関東大震災発生時に遠く離れた宮城、柴田郡などで起きた事柄などを中心に今後発生が予想される首都圏大地震の際どの様な支援ができるのかについて考える講演が県南のJR大河原駅近くの図書館を会場にして東北大学災害科学国際研究所准教授の川内氏から話された。
当時仙台市向山にあった東北帝国大学の地震観測所では震度4を記録したとあり長周期振動だった波形も残されている。発災は翌日から連日地方紙「河北新報」に報道され宮城県民もすぐ知ることになった。東京の被災民は当時の東北本線列車に乗って宮城県内に避難したものも多かった。これを受け入れた鉄道沿線各地の行政機関や篤志家たち、更に救援物資を募り被災地に送り届ける等救援作業は行政が中心となり実施した。
当時の交通手段としては鉄道しか無かったのでその沿線の町などがその任にあったった。交通網が当時と比べておおきく発達した現在、自動車による避難がおおかたになるだろうが大渋滞が予想されその混乱は目に見えている。
こうした場合大方のJR赤字路線が廃止した国の施策はどうなのか疑問を得抱かざるを得ないという参加者からの意見が出された。
一極集中の首都東京でもし大地震に見舞われた場合混乱を起こさぬため、どうすべきか国で具体的対策を考えておく必要があるだろうと考えさせられる講演だった。
講演する川内講師