いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

旭山動物園の動物たち 続・番外編 ニャンニャン(娘娘)の親ごころ

2009-01-28 00:40:27 | 散策
両頬に見えるスプーンを貼り付けたような白い毛並み、薄い眉毛の顔からニャンニャン(写真)と推定します。

「どうして特定できないの」
「何を目印にしますか、観音さまは」
「それは、企業秘密ですね」
「ノノ、リンリン、そしてニャンニャンは、旭山動物園の公式ホームページに登場しています。
それらの顔つきと写真を見比べて、やっとこさ、ニャンニャンとしたのに・・・」
「分かりました。ノノのお母さんニャンニャンとして話を進めましょう」

ヨウヨウ(陽陽)とアカネの娘がニャンニャンであり、ニヤンニヤンは平成
16(2004)年旭山生まれ。
今年5歳を迎えると勝手に決めた経緯は前(17日)に書きました。

レッサーパンダの吊り橋は、橋を渡った先にある樹木に設けられた踊り場を回ると往路に戻る作りになっています。
その踊り場から何処かを見下ろしている彼女の目線は、カメラ目線ではない。
何を見ているのか、見当がつきません。

ともあれ、細い鉄棒を網目状に組んだ通路の積雪が邪魔して、彼女の手足や腹部が見えません。
腹部は黒いので「腹黒」と呼ばれていますが、腹黒い顔つきには見えませんね。

「むしろ、レッサーパンダの仲間のことを、もう少し知ってほしいと、ニャンニャンは訴えていません?」

ニャンニャンの肩を持つボケ封じ観音さま。

「物の始まりが一ならば、国の始まりが大和の国、レッサーパンダの始まりはパンダ、それに続くはジャイアントパンダ。
よ~うござんす。彼女の訴えに答えましょう。
レッサーパンダは、パンダの仲間という考え方もありますが、一般的な考え方はアライグマの仲間です。とにかく、よ~く食べる。基本的には竹を食べていて、野生では時々、鳥の卵なんかも捕って食べるんですね。
動物園にいるレッサーパンダは、イモやリンゴも大好きです。旭山では与えていませんが、中国からきた名残から、おかゆを与えている動物園も沢山あります。どんどん食べて、どんどん出す。食っちゃ出し、食っちゃ出ししている。しかも、竹のうんち、イモのうんち、リンゴのうんちと混ざらないで出てくる」

旭山動物園獣医としての坂東元(ばんどう・げん)、通称ゲンちゃんが「いのち」の大切さを伝えるために著作した『動物と向きあって生きる』からの引用です。「パンダの5つの?」の回答にします。

「レッサーパンダは、前足でものを挟んで食べるが、右きき、左ききがはっきりしている。
手を器用に使うと必然的に右きき、左ききのパンダが出てくる、ともありますね」

パンダはエサを手で持って食べるの?

「ボケを封じる効果があります。その答えは私に任せて」

「パンダの前足(手)には5本の指と向かい合うようにして、第6の指となる突起が掌球にあります。この指状の突起がパンダの指と呼ばれていますが、それは指ではない。手首の骨の一部が変化したもので、猿が手で物を掴むみたいに、竹の茎などを上手に掴んで食べることが出来ます。これは、5つの問いを解説した看板からの受け売りですが、簡潔でわかりやすいですね」

「なァ~るほど。世上に氾濫している情報を整理し、それを記憶に留め維持する力、それを対外に向けて発信する努力を怠らないこと。これが、観音さまのボケを封じるツボになっている」

「お褒めに預かり、有難う。レッサーパンダの大きさは、キツネ、タヌキと同じくらいですが、警戒心は彼らのように強くない。
こんなにほのぼのとした生き物がどうして野生で生きていけるのか、不思議なくらいだ。中国の自然は、懐が深いのだと思う。レッサーパンダは、中国の山深いところに棲んでいるが、あまり天敵もいなくて、一見のろまな彼らがのんびり生きていけるだけのおおらかな自然があるのだろう、とゲンさんの著書にありますよ」

「彼らを檻越しに見るケージ形式ではなく、既存のオリは撤去して堀を作る。幅2m、深さ1.5mの堀で隔てたモート形式にすれば、跳躍力のない彼らと見学者が間近で対面できる。レッサーパンダの吊り橋を作って、樹上を好むレッサーパンダの行動展示を実現させたのですが・・・」

吊り橋が完成してからゲンさんとジョッパリ合戦を続けているリンリンのことは、前回紹介したので省きます。

「元気印さん、家庭菜園の畑作りで汗を流し、それが終わってシャワーを浴びてから生ビールで喉を潤し息抜きをする快感を学習しています。野菜作りを続けるエネルギーは、その学習効果によるところが強いですね。
洗濯が大変だから家庭菜園は止めてと、山の神さんに苦言を呈された方が、畑の土作りで汗と土まみれになった作業服を洗濯機に放り込むのと、リンリンがゲンさんに怯むことなく威嚇攻撃をする動機は、同じでしょう。異論がありますか?」

ニャンニャンの目線の先にあるモールでは、ゲンさんとリンリンがジョッパリ合戦を繰り広げているのでは・・・。

「自分の腹を痛めたリンリンのど根性をちゃんと分かっているから、ジョッパリ合戦の成り行きを踊り場から見据えていても、息子が妥協しないことを、彼女は信じていますよ」

こういい残して、ニャンニャンの母性愛の深さに胸を打たれた観音さまは、北の空へ向かって飛び去ります。
キングペンギンの散歩が始まり、雪山を走ったり、腹ばいになって雪の上を滑るトボガンをするジェンツーペンギンの姿を楽しめる旭山に行きたくなったのです。

何はともあれ、踊り場にいたのはニャンニャンだったのか。
そして、踊り場から何を見下ろしていたのかを、観音さまは探りたくなった。
今頃は、リンリン一家との団欒に花を咲かせている筈です。



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旭山動物園の動物たち 番外編:縄張りを主張するリンリン(凌凌)は、1歳と6ケ月

2009-01-17 23:29:14 | 散策
「ほっきょくぐま館」を出て「もうじゅう館」へ行く途中にレッサーパンダの吊り橋があります。

「ほっきょくぐま館」の放餌場(ほうしじょう)で朝寝の準備に没頭しているコユキの仕草が面白く、暫く見惚れていたのですが、3頭のパンダが忙しそうに吊り橋を往復する光景に魅せられます。

旭山動物園で飼育されているパンダは5頭ですが、昨年11月14日の見学では、吊り橋を往復する3頭に心を奪われ、名前や飼育されている頭数などの情報を仕入れることを忘れてしまったのです。
『ふむふむパネル』には、レッサーパンダについて解説してあるのですが、見付けられなかった・・・。

先日、旭山で撮った写真を整理していると、レッサーパンダ像を『パンダの5つの?』にして解説した看板がありました。

第1の? レッサーパンダは何の仲間?
第2の? どこにすんでいるの?
第3の? 何を食べているの?
第4の? どんなウンチをするの?
第5の? パンダはエサを手で持って食べるの?

「はい、そこまで。答えは、ネットサーフインや図鑑などで探索する旅の楽しみにしましょう」

ボケ封じ観音さまのご下命です。5つの問いの答えに挑戦してみてください。

ところで、パンダには、ネパールレッサーパンダとシセン(四川)レッサーパンダと呼ばれる2種類の亜種があり、ネコ目(もく)レッサーパンダ科に属しています。
そして、前者を飼育している動物園は熱川(あたがわ)バナナワニ園(静岡県伊豆町)だけで、他の動物園で飼育されているレッサーパンダは、後者です。
 
「それでは、駄目なんです。答えを探してもらうと、約束したばかりでしょう」
「ヒントも駄目。仕様がないなア~、話の調子が出ない」
「じゃあ、こうしましょう。旭山にいた5頭のレッサーパンダの名前、教えます」
「・・・」
「ヨウヨウ(陽陽)、アカネ、ノノ、ニャンニャン(娘娘)、1昨年6月21日に生まれたリンリン(凌凌)です。
リンリンの父はノノ、ニヤンニヤンが母です。祖父母に当たるヨウヨウとアカネは専用のパンダ舎に住み、リンリンは父母と一緒に家族パンダ舎で生活しています」
「パンダ舎がふたつ? 吊り橋を往復していた3頭はリンリン一家なのだ」
「ヨウヨウ爺ちゃんは、平成4(1992)年6月19日、鯖江市(さばえし)西山動物園(福井県鯖江市)生まれですから、今年17歳になります。人の命とは単純に比較できませんが、天寿をまっとうする高齢ですね。
1歳の時に旭山へ婿入りし、アカネとペアリングした結晶がニャンニャンです。彼女とノノとのペアリングでリンリンが生まれました。

レッサーパンダは、生後2年目になると子供を生めるようになるので、人の20歳に当たります。
つまり、レッサーパンダの2歳は人の成人であり、それ以降は1年ごとに人の4歳分の年をとると考える専門家もいます」

「多摩動物公園(東京都日野市)生まれのノノは、今年7月には7歳になります。
リンリンを授かって青春を謳歌する20代後半を迎えるノノの生命力は、これからも輝きを増します」

ボケ封じ観音さまに一矢を酬いる、元気印です。

「1歳6ヶ月になった平成16(2004)年2月13日、ノノは旭山へ向けて生地を出発しています。近親交配による繁殖では様々な遺伝障害が発症するので、ニャンニャンと新たなペアリングを作るためです。
これは、レッサーパンダに限らず、動物園で飼育されている動物たちの種を繁殖させ保存する際の常套策ですし、世界の動物園は互いに連携し合い動物の保護・繁殖に努めています。絶滅危惧種に指定されている動物の種を維持・保存するための弛まぬ努力が、動物園では続けられているのです」

 「レッサーパンダが日本で飼われたのは何時ごろから?」

 「残っている記録では昭和30(1978)年からです。それ以前にも飼われていた形跡が散見されているようですが、その時期は特定できないのです。
ところで、レッサーパンダの繁殖賞は、釧路市動物園が昭和51
(1976)に受賞しています。
この賞は、日本で最初の繁殖を行い、6ケ月以上生存させた日本動物園水族館協会に加入している園館を協会が表彰するものです。さらに、釧路市動物園には、北海道で初めてネパールレッサーパンダとアフリカゾウが来園しています。昭和50
(1975)年のことですから、レッサーパンダの飼育ノウハウを既に蓄積していたので、翌年の繁殖賞受賞となっています」

 「ネパールレッサーパンダを飼育しているのは、熱川バナナワニ園だけですね。他の動物園で飼育しない理由があるんですか?」

 「食べ物、習性に大きな違いはなくても、シセンレッサーパンダの方が一回り大きい。ネパールレッサーパンダは、暑さと病気に対する抵抗力が弱いので飼育が難しいと言われています。

こんなデータがありますよ。
世界で飼育されているネパールレッサーパンダは384頭ですが、日本のそれは26頭しかおりません。でも、その理由は、観音の私にも分かりません」

さて、旭山動物園ホームぺージ「しいくにゅーす」(2007年7月~9月)には、3年ぶりにレッサーパンダのあかちゃんが生まれたことが紹介されています。また、ゲンちゃん日記(2009年1月特別号)を読んで、その赤ちゃんがリンリンであることが判明しました。

「上野動物園にいたジャイアントパンダの名前もリンリンでしたよ、たしか・・・」
「結構毛だらけ、ネコ灰だらけですね。上野のリンリンは陵陵、旭山は凌凌です。
ジャイアントパンダが発見されるまでは、パンダと言えばレッサーパンダを指していたことはご存知でしょう、元気印さん。
それ以降は、頭に小さいを表すレッサーをつけて、呼び名をレッサーパンダに改め、ジャイアントパンダの大きいパンダと区分し、レッサーパンダ科とクマ科とに分類され、属する科がお互いに違うことも」

「去年4月30日に陵陵が死んだ時、中国から1億円のレンタル料でどうですかという申し出があったとの報道がありましたが、日本の動物園が所有権を持っている陵陵が死んだので、現在、日本にいるジャイアントパンダは、中国から借り入れている個体だけになってしまいました。
ジャイアントパンダのレンタル料は、番(つがい)一組で年間1億円位のようでも、動物園の運営には、重く圧し掛かってきます。
ちなみに、ジャイアントパンダが見られるのは、神戸市立王子動物園(兵庫県神戸市)とアドベンチャーワールド(和歌山県白浜町)だけになりましたね」

「363頭。これは、世界の施設で飼育されているレッサーパンダの頭数です。その内215頭は日本の50施設で飼育されていますから、いかに日本のレッサーパンダ人気が高いかが分かりますね、観音さま」

「そして、日本平動物園(静岡県静岡市)では、日本のレッサーパンダの飼育状況把握、血統登録、近親交配を防ぐためのペアリングを行うなどの調整をしています。また、レッサーパンダ繁殖数の日本一は、鯖江市西山動物園です」

ゲンちゃん日記特別号では、リンリンとの対決映像が観られます。

ゲンちゃんは、リンリンの前に跪き両手を床にバン、バン叩きます。
後ろ足で立っているリンリンは、その様子を窺います。さらに、ゲンちゃんがリンリンに近寄りバンバンやると、リンリンは後ずさりし、モートの壁際まで追い詰められます。
その間、リンリンは万歳をする格好でゲンちゃんを威嚇し、最後にはゲンちゃんに向かって飛び掛るのです。リンリンは、ゲンちゃんが何者であるかを知っているはずですが、怯むこともなくゲンちゃんに正々堂々と戦いを挑むのです。

カワウソやマングース、ミーアキャットが後ろ足で立っている姿は動物園でも観られ、図鑑に掲載されている写真にもあるので、当たり前の姿になっています。
他方、レッサーパンダが後ろ足で立つ姿がメディアで報道され、主役となった風太は、日本平動物園生れの千葉市動物公園(千葉県千葉市)育ちなのは、先刻ご存知でしょう。

図鑑に掲載されている立姿のカワウソやマングースの両手は、腹に乗せるように下がっており、リンリンのような万歳はしていません。おそらく、リンリンも平和時であれば同じ姿であると思いますが、臨戦時ではそうは問屋が卸しませんね。

リンリンはモートに降りる常習犯なので、そこに降りると嫌な思いをすることを学習させようと考えたゲンちゃんは、リンリンをモートに入れ威嚇攻撃をしたのですが彼には効かなかった、と日記にあります。

1年前のゲンちゃん日記です。
「レッサーパンダの新施設建設も大詰めを迎えたので、レッサーパンダを試験的に放餌場に出してみました。(中略)。深さ1.5メートルの掘(モート)があるのですが、しばらくは、ここから先はいいや、と気にしていない様子でした。ところが、今年生まれのやんちゃ坊主が堀の底を見始めました。すると、何の躊躇も無く飛び降りました。堀の底に溜まっていた水が飲みたかったようです(以下略)」

もうお分かりですね。
6月に生まれて半年後のリンリンは、ちゃんと学習していたのです。
リンリンの2歳は人の成人に相当する訳ですから、小学生低学年位の学習能力があっても然るべきです。
ゲンちゃん日記には、性別はまだ不明だけど、行動から多分オス、と書かれている時のリンリンが、モートの底の水で喉を潤してから、どのようにしてモートを脱出したかは分かりません。
しかし、初めて見る1.5メートルの堀に飛び込むには恐怖感が伴います。リンリンの渇望状態は恐怖感を凌いでいたから、リンリンは飛び込んだ。警戒心よりも好奇心の方が勝っていたとしても、目的を達成した満足体験がリンリンをモートに降りる常習犯にした要因になっていると、元気印は勝手に考えています。

家族が一緒に吊り橋を往復することが多いリンリン一家。
リンリン一家の放餌場に立てられた偽木(ぎぼく)を吊り橋の架かっている所まで登り、吊り橋を渡ります。橋を吊っている反対側の木には、渡って来たリンリン達が木の周りを回って橋に戻るための踊り場が設けてあります。
鉄枠に金網を張った作りになっている踊場通路の目の大きい金網を通して、例えば、ノノの前を通るリンリンの態度や2頭並んで周りを展望する様子が観察できるし、3頭が一列に並んで吊り橋を往復して偽木を降りて根元でマーキングする仕草(写真)を観察していると、時間が経つのを忘れてしまいます。

偽木の根元にマーキングをして自分の縄張りを主張しているのはリンリン(写真)であると、元気印は決めています。
写真に写っているのは、1.5メートルのモートに飛び込んだ熱血漢、やんちゃ坊主その者のリンリンです。
だから、これからも続けられるであろうところのリンリンとゲンちゃんとのジョッパリ戦からは目が離せません。また、ジョッパリ合戦がどのように展開するのか、元気印には、皆目見当がつきません。




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続・旭山動物園の動物たち 頭上のアムールヒョウはアテネ? キン!?

2009-01-02 23:49:21 | 散策
アムールトラが運動したり遊んだりする放飼場(ほうしじょう)の回りは、細い鉄棒を格子状に組み金網を張った柵で囲まれています。

『トラがお尻を向けたら注意しましょう』

「もうじゅう館」でライオンを観た時、ガラス窓越しに直進して来た雄ライオンは、元気印の方へくるっとお尻を向けると水鉄砲のごときションベンを窓にかけ、分厚いガラスは、ドスン、ドスンと音を立てて耐えていたんです。
注意を促す看板の現実に直面です。

道産子が山親父と呼ぶヒグマを横目に観ながら進むと手書きの解説板があり、ユキヒョウのゴルビーとプリンが写真入りで紹介されています。

ヒヨウの仲間の中でも美しいと、希少価値が高い毛皮をもつユキヒョウは、檻の中から通路を見上げています。
野生の生息数は、密猟などで1,000頭までに減少したのですが、今は5,000頭までに回復したとされ、絶滅危惧種にも指定されています。
日本の血統登録は札幌市円山動物園が担当しており、そこで生まれたプリンが、旭山動物園でゴルビーと暮らしていたのです。

東山動物園(名古屋市)生まれのゴルビーは17歳のオス、プリンはゴルビーと同じ年。円山動物園生まれのメスで17歳と書かれていますが、どちらに対面したのか判りません。

ニコンD80に映っているユキヒョウをモニターで確認して何気なく頭上を見上げると・・・。

「恐れ入谷(いりや)の 鬼子母神(きしぼじん)、でしたね。元気印さん」

「男は度胸で女は愛嬌 坊主はお経で、学生は勉強、庭で鶯ホーホケキョウ、と啖呵を切りたいところですが、ライオンのションベンのこともあって、それどころじゃあ~ありませんよ」

旭山動物園の隠れた名物に「手書きで情報を発信する解説看板:ふむふむパネル(以下、パネル)」があります。

『アムールヒョウ
アテネ・オス・4歳『兄弟』キン・オス・4歳 <広島>安佐動物園生まれ』 
と、紹介してあるパネルには、名前の上に写真が添えてあります。

堂々とした風情を漂わせ、頭上に構えていた鬼子母神はアムールヒョウ(写真)でした。
彼は名乗らなかったので、アテネかキンなのかは定かでありません。

ところで、アテネとキンの「ひいおじいちゃん(曾祖父)」は、ビッグです。
ビッグは、21歳の時に旭山動物園で死んでいます。平成19(2007)年7月15日のこと。その3日後、ホッキョクグマのハッピーが死んでいます。25歳のメスです。

『現在、国内でアムールヒョウを飼育している園館は、たったの3園。
国内で繁殖した個体は、みんなビッグとエイラの子孫になります。
なので、ビッグはアテネとキンの「ひいおじいちやん」にあたります。
血はつながっていますが、もう、オス対オス。一緒にすると闘争のおそれあり。
今は、ビッグとアテネ・キンを交代で外に出しています』

ビッグが生きていた時のパネルです。

ビッグとエイラの子・サクラが神戸市立王子動物園でタマコを生み、広島市安佐動物公園に嫁いだタマコは、アテネとキンの母親になったのです。そして、アテネとキンは安佐動物公園から旭山に里帰りをしたことも、家系図を用いて説明されていました。

開園当初からいたサムが昭和56(1981)年に死んだので、アムールヒョウの飼育を熱望していた旭山動物園。昭和63(1988)年に入り、2頭のアムールヒョウが旭山へ来園します。
旭川市民に愛称を募集した結果、ヘルシンキ動物園(フインランド)の彼はビッグ、センターヒル動物園(アメリカ)の彼女はエイラと命名されました。

彼女は平成14(2002)年に先立っているので、ビッグは曾孫と暮らしていたことになります。
親が子供を育てた自然繁殖を対象にした繁殖賞があり、旭山動物園が受賞対象になった動物は、ホッキョクグマとアムールヒョウです。
後者は、ビッグとエイラが来園してから3年後の3月11日に繁殖したことが対象になっていると思い込んでいる元気印は、この時生まれたサクラが、神戸市立王子動物園へ嫁いでアテネ、キン兄弟の母・タマコを生んでいることを既に書きました。残念ですが、タマコはこの世にいません。

それはそれとして、ビッグは幸せなアムールヒョウでした。
アムールヒョウの平均寿命は、おおよそ15年といわれていますから、21歳まで生きて、曾孫と4年間に亘って一緒に暮らしていますから、大往生でしょう。

さて、平成19(2007)年2月~3月、ニューヨーク動物園の野生動物保護部会(WCS)などが行った調査によると、現在生息している野生アムールヒョウは25~34頭と報告されています。
7年前の生息数が22~28頭、4年前は28~30頭ですから、生存に必要とされている100頭以上の生息数には遠く及びません。

これは、東京都の2.3倍に相当する5,000平方キロの領域に設けた158カ所以上の調査ポイントで確認されたアムールヒョウの生息数なのです。
ユキヒョウと同じように絶滅危惧種に指定されていますが、アムールヒョウ一頭が普通に暮らし子孫を残すには、シカなどの草食動物が十分に生息できる状態のよい
500平方キロの森林が必要である。これは、アムールヒョウが生きてきた本来の環境である、とする学者の指摘です。

「一方、平成14年7月時点では、世界の動物園にいるアムールヒョウは224頭。
すでに動物園にいるアムールヒョウのほうが野生よりも多くなっているのだ。そのほとんどが、動物園生まれである。絶滅に瀕している動物に関しては、とくに動物園での繁殖が期待されている」(動物と向きあって生きる:坂東元著 あべ弘士絵)。

先に書いたアテネとキンのルーツを説明したパネルに込められたもうひとつの伝言です。

「もうじゅう館」の行動展示に話を戻します。
見学者が見上げる頭上は、アテネやキンにとって昼寝をする場所にしか過ぎないのです。
夜行性のネコ科の動物は、昼間はたいてい寝ている。また、自分が上にいるときは優位に立っているとの感覚を持ち、木に上る習性のあるヒョウなどは、特にその傾向が強い(同上)。

彼(写真)の目線は目前にある昼寝場に向けられており、腹の下でカメラを構えている元気印には無関心を装っています。
ぬいぐるみのヒョウのようにふっくらしていますが、手足に鋭い爪を忍ばせて歩く肉食獣を、真下から初めて観た時の驚きは忘れられません。
恐怖感がなかったといえば、張り子のトラです。

「そんなところで、お前は何をしているんだ」

彼は、張り子のトラなんか相手にしません。
猫は、ネコじゃらしで遊んでストレス解消をしていますから、彼は元気印をネコじゃらしの代わりにしている訳です。

彼が生息している極東ロシアの森を再現して、そこに彼を見せる展示方法はランドスケープ型と呼ばれ、全体を把握して細部を作るアメリカ人の発想が生んだ施設とのこと。
そして、「もうじゅう館」建設の設計が動き出した頃、世界の動物園で流行していたのです。
ところが、細部から入って全体を構築することに長けている日本人の能力に拘って「もうじゅう館」を設計し建設したのです。

動物園のユキヒョウは、彼らの能力や習性を発揮している時が一番本質的だし、いきいきとしている。それを伝えるために設計した「もうじゅう館」は、開園してから行動展示をしている施設と呼ばれました。
「いのち」をもっている「動物のいのち」を忘れた動物の見せ方が許せなかった旭山動物園副園長で獣医でもある坂東元(ばんどう・げん)さんの成果でした。
初めに行動展示ありき、ではなかったのです。

でも、げんさんは、旭山動物園の居心地はよくない、と公言しています。
獣医として治療をしたげんさんを「おれ達にイヤなことをしたアイツである」と、旭山の動物たちに認識されているから・・・。
これはペットも同じです。ペット病院へ連れて行くと嫌がらないペットはいません。
だから、旭山動物園の居心地はよくないは、野生を失わずに動物園で生きている動物達に対するげんさんの愛情表現であると、敢えて書きます。

野生動物はペットじゃない。
これが、旭山動物園の主張ですが、「あいつらはとんがっている」と、日本では異端児扱いされています。それに押しつぶされたら日本の野生動物は守れなくなると、旭山動物園の関係者は、腹に力を入れて頑張っています。

旭山動物園をブームで終わらせないぞ。いつか、異端児ではなく、本物になってやる、と。

「そんなところで、お前は何をしているんだ」

元気印に呼びかけたのは、アテネなのかキンなのか。
彼は名乗りませんでしたが、堂々とした風情をもって張り子の虎を威圧する鬼子母神であり続けるでしょう。


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