一橋大学生の石原 慎太郎が著した「太陽の季節」が第34回芥川賞に選定されてから、その単行本が26万部を売りあげ、それまで社会的関心が低かった芥川賞は、国民注視のイベントになった(現代風俗史年表 昭和20から年~平成12年:世相風俗観察会編)。
一方の映画界は、昭和33(1958)年に観客動員数11億2700万人と戦後のピークを迎えて、映画製作本数は年間500本を超え、映画各社は2本立て体制に突入していたのです。
そんな時代背景にあった昭和32(1957)年、『幕末太陽傳』は、日活製作再開三周年記念として公開されています。日活が平成24(2012)年に迎える創立100周年を記念して、54年前のフイルムにデジタル修復を施した修復版が、今公開されています。
「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」「お見立て」など10話の古典落語のエピソードを話の随所に散りばめ、幕末の太陽族に見立てた佐平次に、長州藩士・高杉 晋作らの一党が絡んで物語は進行していき、佐平次が無銭飲食で居座った相模屋からバイバイしながら去っていくところで話は終ります。
明治大学専門部文藝科を昭和13(1938)年に卒業して、松竹大船に入社した川島 雄三が45年の短い生涯で残した監督作品は、51本あります。渋 谷実、島津 保次郎、清水 宏、野村 浩将、大庭 秀雄、小津 安二郎、木下 恵介などの助監督に付き、3年以上の助監督歴を持つ者を対象にした監督試験を首席で突破した川島助監督は、昭和19(1944)年に『還ってきた男』を撮り、監督デビューします。
余談です。
川島 雄三が松竹へ入社当時時の月給は25円。他社は60円位で、東宝はそれより高もかったようです。
さて、パンフレットに紹介されているキャスト・プロフイール。
左からフランキー 堺(28歳)、南田 洋子(24歳)、左 幸子(27歳)、石原 裕次郎(23歳)、芦川 いづみ(22歳)、金子 信雄(34歳)。次ページに掲載されている小林 旭(19歳)、岡田 真澄(22歳)、二谷 英明(27歳)。出演当時の年齢を( )内に追加しました。川島監督の39歳と金子 信雄の34歳とが目立ちます。
また、無銭飲食を承知で相模屋に乗り込み、どんちゃん騒ぎを始める佐平次に気をもむ「気病みの新公」を演じた西村 晃には、演技者としての地位が定まってからの水戸黄門とは違う役者の味を、元気印は垣間見ました。この時、川島監督より3歳年下の36歳です。役者としての一端を再認識する役柄でもありました。
ところで、文春文庫ビジユアル編集部が昭和63(1988)年末に行ったアンケートをもとにした『日本映画ベスト150』(文藝春秋編)があります。そのなかでフランキー 堺は、川島監督とこの映画について次のように語っています。
「川島監督とは計11本、一緒に仕事しています。『幕末太陽傳』はその2本目で、川島監督はこれを撮り終えて日活をやめ、フリーになっているんです。
そのこととのかかわりでよく覚えているのは、あのラストシーン、台本(脚本・今村 昌平)では太陽が品川の海に昇る刻(とき)、居残り佐平次が旅立つというふうになっているのを、川島監督はスタジオの中から外へ出て、さらに撮影所の外まで走らせようっていうアイデアを出してきた。これでは会社と揉め事になると判断したセカンド助監督の浦山 桐朗が、ぼくにその案を撤回するよう監督を説得してくれと頼みに来たんです。結局は「台本どおり」ということで収まったんですが、あとになってああ、あのとき、もう監督は日活をやめることを決めていたんだな、と思ったんですね」
この映画を撮っている頃から川島監督は、遺伝的な進行性筋萎縮症が進んで自由に動けなくなっていたようです。それで、川島監督の分身として佐平次を映画のなかで思いっきり動かした。
その佐平次を労咳(肺結核)持ちにするフランキー 堺のアイデアに川島監督は、「他人にわかろうがわかるまいが、それでいきましょう!」と大賛成であった、とのこと。
「ぼくと川島監督とがセットの待ち時間によく話していたことなんですが、佐平次の生き方というのは、戦後民主主義がたどるべき道なんだ、ということですね。つまり、才覚を働かせて闘っていくしか生きる道はないんだという日本が当時おかれていた現実、それがまだダブっている。だからこそ『幕末太陽伝』は、非常に高いテンション(緊張度)と説得力をみち、川島作品のピークを形づくることになったんじゃないでしょうか」
と述べて、最後の結びは、
「もし、川島監督が生きていたら『写楽』、その積極的逃避精神ですね。これを一緒にやりたかった。彼も、生活のために、だけでなく、撮りたいと思っていたテーマだと思うんですよ。青蛙房(せいあぼう)の『江戸商売絵図』一冊を僕に残して死にました。彼の遺志を、必ずぼくはどこかで継ごうと思っています」
それから38年を経て、フランキー 堺は篠田 正浩監督の『写楽』(原作・脚本:皆川 博子)で企画総指揮に携わり、川島監督の遺志を継承しています。平成7(1995)年2月4日、松竹系配給で封切られ、自らも、蔦谷 重三郎役で出演しています。
川島監督は、自ら戯れて軽佻浮薄(けいちょう・ふはく)派と称していたようです。
44歳の若さで急逝した川島 雄三の死を惜しむ人は跡を絶たず、51本ある作品の中には埋もれた傑作、異色作が数少なくあって、これらの作品群は、今また再評価されるべきではないだろうか。あらためて、その夭折が惜しまれる所以である(日本映画ベスト150)。
先に書いた『日本映画ベスト150』は、昭和天皇が崩御され、年号が昭和から平成(1989)になった6月に発行されています。
フランキー 堺が書き残している佐平次の生き方は、54年後の現在にも訴えかけてくるものがあるように思います。川島監督の戯言「軽佻浮薄」、心が軽薄で、時流や調子に乗って行動する傾向が強い昨今、板蕩(ばんとう)とも思わせる今の世相に相通じるものがある、と、痛感させられます。
さて、相模屋の板頭(いたがしら:江戸の岡場所で、その娼家の最上位の女郎)を競う女郎のこはる(南田 洋子)とおそめ(左 幸子)との喧嘩は、映画ファンの間で伝説として語り継がれているシーンのようです。女優としての意地が乗り移り爆発しています。
若尾 文子と共演した『十代の性典』が大ヒットして注目され、大映から日活へ移籍した直後の昭和31(1956)年、『太陽の季節』で主演を張った南田 洋子に対して、『真昼の暗黒』(今井正)他1本の映画を撮った翌年、『幕末太陽傳』に出演した左 幸子は、女優の沽券にかかわると邪推させるど迫力で狂演しています。一方の南田 洋子も、負けては沽券にかかわると爆演で応じます。
白井 佳夫が川島 雄三の話を聞き書きした「日本映画黄金伝説」で、川島監督は『幕末太陽傳』について、次のように語っています。
「松竹にいた時から考えていた題材です。古典落語に出てくる居残り佐平次という人間と、歴史上の人物である高杉晋作がいっしょに出てくるんだが、話のこしらえ方は、割とすんなり出来ました。幕末のことは、事実を知っている人が多くいるわけだし、史実はちゃんと調べ、ウソをつく時は、はっきりウソだという形で出したいと思いました。(中略)。調査部門で、チーフ助監督の今村 昌平とセカンドの浦山 桐朗の両君が、よく働いて、献身的にやってくれました。(以下略)」
大阪から出た落語の居残り佐平次は、固有名詞みたいで、普通名詞みたいなところのある、おしゃべり、おせっかい、などの意味のある言葉です。この、オブローモフ的な性格の持主佐平次に対して、片や乱世の英雄で、29歳位で脳梅か何かで死んでしまう高杉 晋作という、違った意味での行動力のある人間を、ぶっつけてみた。土蔵相撲で高杉が遊んでいたのは事実なんですが、映画の設定は、史実とはちょっと違います、とも語っています。
川島 雄三が白井 佳夫に語り残した話の中には、これからは石原 裕次郎の時代になる。今後の映画作りは若い方の線でいくべきだ、と予言したことを川島監督は誇りにしています。
また、川島 雄三ご本人は、日本喜劇映画の最高傑作といわれる『幕末太陽傳』よりも、その前年、昭和31(1956)年に撮った『州崎パラダイス』の方が好きな作品と言っていますが、元気印はいまだに観ていません。『雁の寺』や『青べか物語』とは馴染み深いのですが・・・。
映画タイトルからは、他にも観た映画があるとは云っても、タイトル以外に記憶に残っていないので、本稿では省きます。
では、『日本映画ベスト150』から A.作品 B.監督 C.男優 D.女優のベスト3を挙げてみます。このアンケートへの回答者数は、372人。
A.作品(ベスト150のうち)
1.七人の侍(黒澤 明) 2.東京物語(小津 安二郎 3.生きる(黒澤 明) 10.幕末太陽傳
B.監督(ベスト20のうち)
1.黒澤 明 2.小津 安二郎 3.溝口 健二 10.川島 雄三
C.男優(ベスト20のうち)
1.板東 妻三郎 2.高倉 健 3.笠 智衆 8.石原 裕次郎
D.女優(ベスト20のうち)
1.原 節子 2.吉永 小百合 3.高峰 秀子
『幕末太陽傳』を上位とした回答者を列記します。
油井 正一(ジャズ評論家)
川島 雄三の才気。フランキーの神がかった名演技。若き日の裕次郎、小林 旭、二谷 英明、金子 信
雄、岡田 真澄など配役の妙。
佐藤 正悦(プロデューサー) 田中 千世子(映画評論) 橋本 勝(イラストレーター) 塚本 邦雄(歌人)
植草 信和(キネマ旬報編集部) 土屋 好生(読売新聞記者) 三枝 有希(フリーライター)
油井 正一が若き日の云々とするコメントの意味は、出演者の年齢からも納得できますし、出演者の中では、石原 裕次郎が男優のベスト8に選ばれているだけです。しかし、映画の出来映えはキャステインで決まる要素も大きく、「配役の妙」そのものが楽しめる活動写真でもあります。
そして、男優ベスト3には漏れた石原 裕次郎は、20位中8位に食い込んでいます。
『幕末太陽傳』で生硬い高杉晋作を演じた裕次郎に対する川島監督の眼は、確かであった証です。