いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

川村記念美術館のはな その5 ウラシマソウと下天(げてん)の幻

2008-05-12 06:59:10 | 散策
散策路に入って直ぐにカタクリと出会い、その脇に未知の花が生えていました(写真)。

花の中から細長く伸びているひょろひょろに興味を惹かれ、思わずパチリ。
初めて見る花でしたので、バス停横にある花屋の店主に花の名前を教わり、ウラシマソウ(浦島草)と知りました。
店の奥から、わざわざ図鑑を持ってこられて、懇切丁寧に教示してくれたのですが、大変親切な女将さんが店を切り回しておられ、恐らく、花の門外漢はお邪魔虫なのではと、自問自答しながら、説明を聴いていたのです。

さて、蔓のようなひょろひょろは、雄花や雌花の先から糸状に長く伸長している附属体と称し、雄花や雌花は肉穂花序(にくすいかじょ)、それを包み込んでいるのが仏炎苞(ぶつえんほう)です。
つまり、私達は仏炎苞を、ウラシマソウの花として見ている訳です。

クマガイソウの「気まぐれな美」、アツモリソウは「変わりやすい愛情」が花言葉になっていますが、それらは、日本の神話や伝説などの伝承・歴史・風俗、書物による故事来歴、宗教などから生まれたものとは、ニュアンスが違う感じがします。花名の謂れや花言葉はその4に書きましたので省略します。

ウラシマソウが持っている特徴的なひょろひょろ蔓を、浦島太郎の釣竿の釣糸に見立てたのが名前の由来で、花言葉は「変わりやすい愛」です。

浦島伝説や羽衣伝説、天橋立(あまのはしだて)伝承は、日本最古の部類に入るものであることは周知のことですね。
室町時代の「御伽草子(おとぎぞうし)」によって浦島伝説の定型が決まり、明治になって国定教科書向きに書き換えられて現在に至り、尋常小学校唱歌も作られています。

♪♪ 乙姫さまのごちそうに
   鯛やひらめの舞い踊り
   ただ珍しく面白く
   月日のたつのも夢のうち ♪♪

何の不自由もなく暮らす竜宮城生活は3年に亘ります。
太郎を竜宮城へ招いた乙姫は、両親を交えて歓待の宴を開きます。
その合間に、太郎は竜宮(海神界)と人の住む現世(人界)との違いを乙姫から諭されましたが、あっという間に3年が経ってしまうのです。

やがて、太郎は故郷に残してきた両親のことが心配になり、夫婦の契りを結んだ乙姫に帰りたいと申し出ます。この時、乙姫は太郎に助けられた亀(海神)であることを告白します。
亀は命の恩人を不老不死にすることで報いていたのです。

しかし、生身の人である太郎に、海神界の仕来りを無理強いしませんでした。
乙姫は太郎の望郷心の強さを知って別れを惜しみ悲しみます。
太郎との約束が破局に終わることを見抜きながらも、乙姫は玉匳(たまくしげ:化粧箱、玉手箱)を太郎に手渡し、切ない愛の忠告をするのです。

「ここに戻ってくる気があるなら、ゆめゆめ開けるなかれ」

♪♪ 帰ってみれば こはいかに
   元居た家も村もなく 
   みちに行きあう人々は
   顔も知らない者ばかり ♪♪
 
浦島伝説に登場する天皇名から、竜宮城で太郎が暮らしたのは、おおよそ、人の世の
300年に当たると比定した説もあります。

♪♪ 心細さに蓋取れば
   あけて悔しき玉手箱
   中からぱっと白けむり
   たちまち太郎はおじいいさん ♪♪

玉手箱は魔法の箱、消え去ってしまった村や両親と共に暮らした家が恋しくなって玉手箱の蓋を開けました。この解釈が、今の常識です。
昔は、女性のみが開ける匳を男が開けた。すなわち、太郎の浮気を象徴している。このような説もあったのです。

太郎は村の古老に尋ねます。
 
「ここにあった浦島という人の家は、どうなったのでしょうか」
「古い塚があそこに見えるじゃろ、あんたの言う人の墓じゃ」

それを聴いた太郎は、これまでの出来事の一切を古老に吐露します。

「・・・。待てども、まてども息子は海から戻らないので、両親はその子の墓を立てた。
その傍にあるのが二人の墓じゃ。この村の衆は、もう700年も前からそのように聞き伝えているんじゃよ」

熊谷直実の伝説は、クマガヤソウの母衣に書きました。
幸若舞の演目のひとつ敦盛(あつもり)のなかに、直実が出家して世をはかなんで舞う場面があります。

 思えば、この世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
 金谷に花を詠じ、栄花は先立って無常の風に誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

特に、織田信長はこの一節を好んで演じたと伝えられていますし、映画でも度々演じられています。多分、黒澤明監督の「影武者」に登場する信長も、この一節を謡い、舞っています。

信長が下天(げてん)と謡った化天(けてん)は、六欲天(ろくよくてん)の第五位の世で、人間界の800年が一昼夜に当たり、下天は、六欲天の最下位の世で、人間界の50年が一昼夜に相当し、そこの住人の寿命は500歳とされています。
どちらも、人間の命は化天あるいは下天の住人に比べれば儚いのです。人間は「じんかん」と読まれ、五十年は、当時、人間の寿命は50年であったことを意味しているとのこと。

実は、人間五十年云々だけは憶えていたのですが、このシリーズを書くための情報ハンテイングで幸若舞の演目にあることを改めて知りました。クマガイソウ、アツモロソウ、ウラシマソウのお陰ですネ。

墓しか残されていない浦島一家のことを太郎に語った古老は、知恵者だったのでしょう。
古老は、敦盛を謡い舞う直実の心境を滲ませて、太郎の両親の結末を知らせた筈です。

「乙姫から手渡された玉手箱が、形見であることまで?」
「古老は、乙姫の真意を察していたのじゃが、全てを明かしたのじゃ」
「どうして? 観音さま」
「両親への思慕か乙姫への愛情か。この二者択一を太郎に迫り、自立することを望んだのです。乙姫は神仙界と人界との違いを太郎に諭してから夫婦の契りを結んでいますね。古老は700年前の出来事であったと、太郎に明言しているではありませんか」

玉手箱を開けてしまった太郎は、人間の世界へ戻されます。
匳から立ち上る煙を浴びた太郎は、①老人になった ②老死した ③鶴になって飛び去った、などの諸説があります。

「元気印のシニアは、どの説を採りますか?」
「う~ん」
「蓋を開ける前の答えを出してから、答えて下さいね」
「ますます分からない、観音さま」
「あなたは、乙姫のくれた匳をどうしますか」

ボケ封じ観音さまは、直ぐに答えを出すように迫ってきます。

「乙姫の匳は開けないで、両親と自分の墓の前に置いて生きなさい。クマガイソウとアツモリソウは、ウラシマソウの釣り糸を切って自立しなさい、と励ましています。信長が天下統一の志に向かって邁進できたのは、この決断を下せたからです。乙姫も、人間の変わりやすい愛を太郎が断ち切って自立してくれることを切望したからこそ、匳を太郎に手渡したのです。これが、太郎の問いに語りで答えた古老の真意ですよ」

元気印のシニアの耳元に囁き声を残したボケ封じ観音さまは、また、いずこかへ旅立ってしまうのです。

「ウラシマソウの花言葉を忘れないでね」

観音さまの声が聞こえてきます。風の流れに乗って・・・。

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ヒナゲシ紋次郎の旅立ち 

2008-05-11 00:21:19 | 散策
夏目漱石の新聞連載小説「虞美人草(ぐびじんそう)」は、世間にヒナゲシを大いに知らしめました。

「虞美人草って知っている」
ボケ封じ観音さまが問いかけます。

「我輩は猫であるの作者が書いたんでしょう」

元気印の答えを聞いた観音さまは、突拍子もなく歌いだしたのです。

『丘の上 ひなげしの花で
 占うの あの人の心 今日もひとり
 来る来ない 帰らない帰る』

「どうして、アグネスチャンのデビュー曲なんだ、よ~う、観音さま」

意にも介しません。

『あの人はいないのよ 遠い街に行ったのよ
 愛のおもいは 胸にあふれそうよ
 愛の涙は 今日もこぼれそうよ』

「これで、すっきりしました、ああ~、ああ~ァ」
思いっきり背伸びをします。

「あっしには、かかわりのねえことでござんす。
結婚しようよと、口説かれた昭和47年、どうにもとまらないので、瀬戸の花嫁でしょう。
それからは、毎日まいにち、女のみちの愚痴を聴かされ、姐御(あねご)のお竜はスクリーンから、長らくお世話になりました、と観客に語りかけた挙句の果てに、映画界から引退して堅気になったんですよ。チャン・メイリンに関っている暇なんぞ、ねぇんでござんした。それにしても、ひなげしの花の歌詞、観音さまは、よ~く覚えている」

自ら、西楚(せいそ)の覇王と名乗った項羽(こうう)の愛人・虞美人の伝説に由来する花名のことは語りつくされています。
実際のところは、ヒナゲシは唐の時代になって中国に伝わっているのです。虞美人が自決した漢の時代から1000年も後なのです(図説 花と樹の事典)。
平家物語に由来する熊谷草、敦盛草は、それだけ熊谷直実の生き様、平敦盛の潔よさが庶民に受け入れられ愛されたように、1000年を経た時代になっても、虞美人の悲恋物語は唐人の心を奪う伝説だったのでしょう。

かわいらしい花をつける芥子(ケシ)が和名のヒナゲシの漢字は、雛芥子、雛罌栗です。
ケシは漢字で「芥子」と書きますが、「かしい」と読みカラシ(辛子)の意味なので、「雛罌栗」と書くとのこと(同書)。

罌栗(おうぞく)の、
罌(おう)は「かめ」、腹の部分が大きく、口の部分が小さい丸いかめ。
罌栗は、草の名・けし。
つまり、罌栗とは、
芥子の実は、罌の形をした実のなかに栗のような種子が入っているという意味(同書)。

三度笠姿のヒナゲシは野原ではなく、花畑に咲いていました。
アメリカンフットボール用ボールをピーナッツ大にした蕾を下に向け、蕾が濃紫色に色ずき頭をぴい~んと立てると、蕾を押し破り花弁が顔を出し始めます。

昔は薬草として大切にされた麗春花(れいしゅんか)でしたが、今はポピーとかコクリコーの方に馴染みが深くなっていますから、ヒナゲシ紋次郎の言い分を代弁します。

麗春花は咳止めに重宝な薬だったのです。
三度笠を外した直後の花を日干しにされた雛罌栗は麗春花と呼ばれ、日常生活で顔を利かせていたのです。だから、雛罌栗の三度笠姿は、麗春花へ変身するために旅立つ晴れ姿なのです。

しかし、花畑に群生していた紋次郎ヒナゲシは、7日後、仲間と一緒に刈り取られて、今日も放置されたままでした。

物言わぬヒナゲシ紋次郎の「傷だらけの恨み節」が聴こえてきます。

 何だかんだと お説教じみたことを代弁させて参りましたが
 そういう私も 日陰育ちのひねくれ者
 お天道様に背中を向けて歩く
 馬鹿な虞美人草でございます

♪♪ 真っ平ご免と 三度笠飛ばし
   歩きたいけど 歩けない
   嫌だ嫌です お天道さまよ
   日陰育ちの泣きどころ
   明るすぎます あっしには ♪♪

とは言いながら、しぶといのがヒナゲシ紋次郎なのです。
無事、種子に成育した雛罌栗は、地中に埋もれても24年間命を燃やして、紋次郎になる機会を狙っているのです。

「お天道様が明るすぎる畑に放置されたままでも、あっしには、かかわりのねえことでござんす」 

三度笠をパチン~と弾いて、新しい世界に旅立とうとしている紋次郎ヒナゲシは、喜びに耀いていませんか。

「ちょっと、まっておくんなせい」

ヒナゲシ紋次郎が睨みつけます。

「あっしの花びらで恋占いをしていた昭和47年、庶民宰相と持て囃された角さんが登場して、日本列島改造の暴風が吹き荒れていましたね、元気印さん。お忘れですか」

「政界では、日中国交回復が超党派で政治的に具体化されていましたし、ニクソン大統領が訪中の際、アメリカに贈られたパンダが、日中友好の記念として中国からプレゼントされました」

ボケ封じ観音さまが合いの手をいれるのです。

「友好第一と訴えた中国の姿勢は好意的に受け止められ、パンダ贈与で中国ブームはクライマックスに達しましたよ、元気印さん」

「そうでござんす。それ以降の日中関係がどのように進展してきたのか、国益を名目にした他国への内政干渉は日常茶飯事でしょう。かの国のしたたかな外交戦略を忘却の彼方へ葬り去っては同じ轍を踏みます。くわばら、クワバラ。ゆめゆめ、お忘れなく」

ぴゆ~ん、ぴしっ。

ヒナゲシ紋次郎の口吹き手裏剣、細長く研ぎ澄まされた楊子が顔をかすめて飛び去ります。
命取りにならないうちに、三日坊主は退散しよう、逃げるが勝ち。







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天狗アヤメに出会う!?

2008-05-10 01:30:18 | 散策
自宅近くの花畑で咲いているアヤメです(写真)。

シャガのヒゲの正体を知るために、自宅周辺の花畑に咲いているヒナゲシ、アヤメ、ムラキツユクサなど、花の写真を撮っていた時のお土産です。

外側にある4枚のがく、内側に3枚の花冠(かかん)があります。

「がく」が顔の輪郭をつくり、花冠は眉と鼻のような配置になっているので、天狗のように見えます。
眉の下の「がく」の凹凸は眼です。
それも、仏像の眼ではありません。何かに怒りをぶつけている鬼の眼にみえます。
花冠の状態が解かるように右側の花びらを外側に曲げられたことを怒っているかのように。
天狗の顔をキリット引き締めている赤い舌のように見えるのは「雄しべ」でしょうか。

「川村記念美術館のはな」シリーズを書くためのハンテイングをしていると、天狗アヤメと遭遇したり、旅立ちをするヒナゲシに挨拶されたり、色々なことがありました。

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川村記念美術館のはな その4 クマガイソウと母衣(ほろ)

2008-05-07 14:48:34 | 散策
提灯をぶら下げたようにうつむいているのがクマガイソウ(熊谷草)の花で、唇弁(しんべん)と呼んでいます(写真)。

騎乗の武士が背中に長い布をたわませているのが母衣(ほろ)。
馬が駆けると風をはらんで膨らみ、武士の背後に長く尾を引いて、背面からの流れ矢を防ぐ防具の役割を果たした、といわれています。

正徳(しょうとく)2(1712)年頃に出版された日本の百科事典「和漢三才絵図:わかんさんさいえず」に記載されている母衣を畳んだ図と、クマガイソウの唇弁は酷似しています。

一ノ谷の軍(いくさ)破れ
討たれし平家の公達(きんだち)あわれ
暁寒き須磨の嵐に
聞こえしはこれか青葉の笛

16歳の若武者・平敦盛(たいらの・あつもり)の首を刎ねた熊谷直実(くまがい・なおざね)が母衣を背負っている姿に見立てたのが「熊谷草」の由来です。

討たれし公達は、敦盛。
敦盛と一戦を交えた日の朝、陣中で聞いた美しい笛の音の主は誰かとも知らず、直実は一ノ谷の軍に出陣します。義経の奇略、鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし攻撃を受けた平家方は、惨敗を喫して須磨の浦へ船で逃げます。しかし、逃げ場を失った敦盛は沖へ向かって馬を泳がせるしかありません。

「後ろを見せるとは卑怯なり。返せ、返せ~え」

一騎打ちを挑みかける直実。
馬のたづなをぐい~っと右に引き絞り、敦盛は陸へ引き返したのです。

若武者が腰にした矢入れ(箙:えびら)に笛が入っていることに気が付き、直実は思い至るのです。聞こえしはこれ、青葉の笛であったのか、と。
その笛は、笛の名手だった祖父・忠盛が鳥羽上皇から賜った「小枝(さえだ)」といわれている漢竹の横笛で、敦盛も愛用していたのですが、退却の際、小枝を持ち出すのを忘れ、取りに戻ったため退却船に乗り遅れたのでした。

この合戦で討死した嫡男・小次郎直家の面影を、止めを刺されて転がっている若武者の刎首に重ねる直実。
それが敦盛だと知るのは、首検分が行われたときなのです。

更(ふけ)くる夜半に門をたたき
わが師に託せし言の葉あわれ
今わの際(きわ)まで持ちし箙に
残れるは「花や今宵の歌」

わが手で討ってしまった敦盛は、現世にはいない。
陣中で、吹きひと知らずで聴き入っていた、あの笛の音しか残っていない。
直実は武家の業、そして戦国の世の無常感に襲われるのです。

熊谷草と対になった敦盛草(アツモリソウ)があります。
どちらも、日本に自生する野生ランの代表格です。花の名前が一の谷合戦の故事に因んでいるのは、熊谷草と同じ。川村記念美術館敷地内には植栽されていないようです。

アツモリソウは、山地の草原か疎林内を好み、紅紫色の花を咲かせます。
「移り気」「変わりやすい愛情」「君を忘れない」の花言葉が散見されます。
そして、絶滅危惧Ⅱ類(VU:絶滅の危機が増大している種)に指定されています。

一方のクマガイソウは、山地樹林下、特に杉林、竹林に群生します。
クマガイソウと一緒に植えられたアツモリソウは、その年限りで枯れてしまうようです。
このような生命力の違いを象徴した見事な花名対比だと思います。

祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり  
沙羅双樹の花の色  盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず  ただ春の世の夢のごとし  
たけき者も遂には滅びぬ  偏に風の前の塵に同じ

熊谷草と敦盛草を見る人に、琵琶法師が語る平家一族の宿命をも思い起こさせます。

絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されているクマガイソウの花言葉を探して、ひとつだけ見つけましたので引用します。

『シプリペディウム(学名:Cypripedium)はラン科で、「ヴィナースのスリッパー」という意味である。北半球に五十種以上があって、主に北米と北インドに分布している。(中略)
わが国ではクマガイソウとアツモリソウがその仲間である。(中略)シプリペディウム属の花ことばは、「気まぐれな美」「私を勝ち取って、はいてください」(英)で、前者は花の形の変わっていることに、後者は木靴やスリッパーに結びつけた意味らしい』(春山行夫の博物誌Ⅰ 花ことば-花の象徴とフォークロア1)。

連休の最終日5月6日は快晴でした。
次男夫婦と孫と一緒に川村記念美術館へ出かけ、クマガイソウの様子を探ったのですが、対になっている扇円形の葉だけになっていました。
花が散ってしまったクマガイソウには、気まぐれ美人の魅力はありません。

一般開放している「ツツジ山」も最盛期を過ぎてしまい、深紅の絨毯は見られませんでした。係りの方の話では、最盛期は4月29日だったようです(その2)。

ドウダンツツジの花もなく、丸く剪定された小枝の葉の上で、親指大の蛙が一匹、日向ぼっこをしているだけでした。

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川村記念美術館のはな その3 シャガのひげ面

2008-05-06 02:17:01 | 散策
シャガ(射千)の本籍地は中国ですが、日本へ帰化した年代や持ち込まれた経緯などは判然としていません。
それは、日本に文字が成立し文献によって検証が出来る時代を含めて、シャガの記録は残っていないからです。

専門家は、帰化植物に属する有史前帰化植物(ゆうしまえ・きかしょくぶつ)に分類しています。

そして、有史前帰化植物は①~③に分けています。

①稲栽培に伴って日本へ伝播した植物群で、水田雑草として定着している
②麦類の栽培伝来と共に日本へ渡ってきた植物群で、畑作雑草として定着している
③中国から有用植物として持ち込まれたか、古里を思い出させる花

ヨモギ、ヒデリコ、イグサなどは①、②はナズナ、カタバミ、スベリヒユ、ツユクサなどで、ミツマタ、ヒガンバナは③、シャガも同じ仲間です。

そして、これらの植物群は、有史以降も含めた古い時代に日本へ到来し、文献などに記録が残されていないのです。
シャガは1596(慶長元年・豊臣秀吉が朝鮮半島へ第二次出兵をした)年、花が美しいからヨーロッパに紹介されているようですが、日本にはそのような記録は皆無なのです。

しかし、弥生時代以前、日本へ侵入後2千年以上経過した植物とされていますが、稲の伝来以前に日本にはいなかったと証明されておらず、「そうであることが推定される」とされている植物群なのです。文献などの記録や口伝による伝承などが発見、発掘されていない現在、それは致し方のない問題点と認識して、帰化植物の研究は行われています。

また、単に、国外から日本へ伝播した植物を帰化植物とは呼ばないようです。
なんらかの人為的な手段で持ち込まれた植物のうちで、野外で勝手に生育するようになった植物が帰化植物とされています。
シャガはそのひとつでした。

シャガの言葉遊びをしてから話を先に進めます。
射千はヒオウギの漢名に由来した和花名で、漢名の胡蝶花(こちょうばな)は誤用のようです。
それから、ヒオウギの漢名は射千です。
扁桃炎や去痰に用いるために乾燥したヒオウギの根茎を射千(しゃかん)と呼び、ヒオウギの漢名も「しゃかん」で、庭園用、切り花、鉢栽培されて観賞用に利用されています(図説 花と樹の事典)。

一方、シャガの和名由来は、ヒオウギの漢名「射千」から採られています。
これは、日本ではシャガよりも先にヒオウギが認知され、加えて日本へ帰化していたことの傍証になるのではないでしょうか。
また、「しゃかん」が時の流れや好事家達の口伝で名前を聞いている過程で「シャガ」に訛り、それが定着したと推察されます。
千葉地方には、「シャガバナ」の別称が残っているようです。

先ず余興で、シャガの和名から連想した単語と意味を思いつくままにキーボードで打ち込んでみます。

者 我:我者顔の略語 傍若無人の意で用いる

社 蛾:風の読めない上司、夫を濡れ落ち葉と謙称する山の神

車 駕:官公庁の公有車や企業の社有車、最近は出張もどき旅費精算の際に清算書に添付するタクシー「領収書」の隠語、時には、数百万円を超える私用車駕もある

斜 臥:全ての天邪鬼、職場(国会議事堂)では党利・党略に凝り固まっている、テレビで粋がっている「イケメン議員」や万年野党議員を強調する際に用いられることが多くなった

射 賀:サマージャンボの超々幸運クジを表す、或いは、購入だけが楽しみで手に入れ、神棚に放置されている元締めにとって笑いの止まらない当りクジ

舎 家:我家の謙遜語:拙宅 他家の謙譲語:お宅と同義語 注釈:「お家」は幼児語の誤用

「随分、者我な講釈をしていますね」
「ビンゴ~!!」
「元気印は、本当に斜臥です。開いた口が塞がりません」
「斜臥は禁手と約束したのに。ぼけの始まりでしょう、ったく。話を元に戻すよ」

花の構造を事典の絵図で調べると、①外側の「がく:外花被(そとかひ)」②内側の「花冠(かかん):内花被(うちかひ)」③「雌しべ」④「雄しべ」から構成されています。

シャガの花には、黄色い模様のある「がく」、それに挟まれた「花冠」があり、花の中央には「雄しべ」とも「雌しべ」とも言えないものが写っています(写真)。

門外漢の者我では、スイセンのように、花冠や雄しべが変形して副花冠にはなっておらず、花床には雌しべもありません。ツツジやユリのような雌しべは見当たらないのです。
花を構成する要素が絵図とは全く違いますから、斜臥の意地で「ヒゲ」と命名します。

シャガのヒゲ面を真正面から眺めると、外花被3枚、その間隔を埋めるようにして内花被3枚が配置されています。
白色のヒゲは白い花に溶け込んで目立ちませんが、黄色い斑点は外側の大きい花びらの模様のように見え、加えて、花のチャームポイントになっています。然も、内花被の先端が独立していることを、拡大した写真で発見しました。

シャガが有史以前から生命を燃やし続け生き延びたのは、チャームポイントのお陰でしょう。
換言すると、林の中で群生しているチャームポイントのないシャガのヒゲ面に見向く人は少ないし、今日のように、日本各地の山野の林に群生出来ず、移植された最初の土地や地域に限定して群生している筈です。

その理由は、シャガは胚・種子を経ないで次世代の植物が繁殖する無性植物に属し、日本各地に繁殖しているのは、誰かに其処へ移植されて、地下茎につく子株(こかぶ)で繁殖したもので、シャガのヒゲは結実しないからです。

シャガが移動する手段は、花の愛好家や植物研究者などが本籍地から現住所へ運んで移植して貰う、つまり、他力本願にすがるしかないのです。

シャガに付き合ってから、射千を謳った和歌を見付けました(同上)。

鶏や 首さしのべて 射千の花 里倫
射千に 折目のつくや 秋の風 涼帒

里倫は、鶏に突かれているシャガを、秋風にあおられ折目を残している檜扇(ヒオウギ)の葉を涼帒は謳っています。

ヒオウギの漢名は射千です。
扁桃炎や去痰に用いるために乾燥したヒオウギの根茎は射千、ヒオウギの漢名「しゃかん」と同じ呼び方をします。花は、庭園用、切り花、鉢栽培されて観賞用に利用されています(同上)。

一方、シャガの和名由来は、ヒオウギの漢名「射千」から採られ、著莪とも書きますが、園芸品種はありません(同上)。

これは、シャガよりも先にヒオウギが日本へ帰化し、日常生活に密着していた傍証になるのではないでしょうか。
また、「しゃかん」が時間の流れや口伝で名前を聞いている過程で「シャガ」と訛り、それが定着したと推察されます。

シャガ、根茎アイリスの仲間に「ヒメシャガ」がいます。
姫射千が和名。学名はイリス・グラシリペス(Iris gracilipes A.Gray)で、シャガよりやや小さくて似ていることが和名の由来です。
シャガの花の縁は、糸状に細かく切れ込んでいますが、ヒメシャガに切れ込みがありません。基本種の花は淡紫色ですが白花品種もあり園芸化されています。

シャガの学名はイリス・ヤポニカ(Iris japonica Thunb)、ヤポニカは「日本の」を意味していますから、外国の植物学者が日本で、或いは日本人が発見したのでしょうか。
Irisはアヤメ科イリス属(アイリス属)を表しています。

シャガはヨーロッパに紹介されたことを書きましたが、学名から推測すると「ヒメジャガ」の可能性もあります。準絶滅危惧(NT)に指定されている植物です。
乱獲に祟られる美しい花と、舎家の花畑の片隅に植えられていた花との格差です。
花の世界にも格差が存在していますが、それは人間達の者我な価値判断によるものです。花の世界には、それを社会問題にして目くじらを立てる理由など不要なのです。

「そのようなことを、シャガが告白したのですか」
「斜臥の者我ですよ、観音さま」



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