いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

六義園 その4:白おう橋から観たイチョウ

2007-12-11 00:57:17 | 散策
吹上茶屋から藤代峠へは、白鷗橋を渡って行きます。
イチョウを過ぎた所に、吹上茶屋を背景にした写真を撮った探勝ポイントがあります。このポイントと庭内八十八境(景)とは必ずしも一致していないようです。

紅葉に囲まれて静かに佇む吹上茶屋をフイルムに収め上機嫌になり、白鷗橋の先にある藤代峠から展望する未知の情景に心を奪われてしまい、イチョウの下を素通りして橋の中ほどまで来ると、背後で「わあ~、きれい」と感嘆する女性の声が聴こえます。ちょいと振り返ると、この景観があったのです。

それまでは、三歩あるくと自分の鳴き声を忘れてしまうニワトリに似通った精神状態だったのでしょう。それを知っているニコンF80Dは、ファインダーを覗いてシャッターチャンスを狙っている間も、クスクス笑をしてボデイを震わせ、意地悪をするのでした。

イチョウの手前を右折する道は、つつじの古木材を用いて建てられた「つつじ茶屋」を経て、左の道に戻ってきます。途中の枝道に入らず、道なりに紅葉狩をしていると、吹上峯を一周してイチョウと再会します。

イチョウを観ている白鷗橋から「つつじ茶屋」へ行く道沿いに造られた、小川のように細長く続いている池が剡渓流(せんけいのながれ)上流に当たるのでしょう。「つつじ茶屋」から染井門へ出る道があります。その道に沿って造られた細長い池は、剡渓流の下流となり山陰橋から藤浪橋、渡月橋(とげつきょう)を経由して中央池に繋がっています。細長池の対岸に藤代峠、蛛道(ささかにのみち)があります。

剡渓流、六義園八十八境(景)、藤代峠、蛛道は、その3に書きましたので、立ち読みしてください。



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六義園 その3:せん渓流(けいのながれ)に映える紅葉

2007-12-10 00:15:16 | 散策
どこが剡渓流(せんけいのながれ)の初めで終わりなのかは聞き漏らしましたが、藤代峠裏側の麓に沿って造られた、藤浪橋を経て渡月橋(とげつきょう)に到る細長い池だと思います。

中国の故事にのっとり、東晋(とうしん)の文人・王子猷(おう・しゆう)が小舟に乗ったと言われる渓流を表していると、案内版にありました。
このような案内板は、庭内88カ所の景勝場所・六義園八十八境(景)に立てられ、一行解説が記されています。

ちなみに、庭内の八十八境として、心泉跡(こころのいずみあと)、枕流洞(まくらながしのどう)、水分石(みずわけいし)、尋芳径(はなとうのこみち)、紀ノ川(きのかわ)など、88カ所あり、そこに建てられた石柱(せきちゅう)が32カ所現存しているようです。それがどこにあるのかを示す配置図や景勝境のガイド類は、六義園サービスセンターに用意されていないようです。

『32の石柱探索ツアー』を企画すると、応募者がいると思います。
ツアー結果を整理したレポートは、現存している石柱の配置と景勝境の由来を伝える情報源になります。32の石柱紹介は、六義園散策の新しい切り口になる可能性を秘めており、一石二鳥の効果が期待できます。

さて、落ち葉が浮いている渓流(写真)は、藤浪橋から観ると右側になります。この写真の対岸が藤代峠裏側の麓になっており、そこに蛛道(ささかにのみち)がありますが、樹林に隠れて見えません。蛛道も、六義園八十八境のひとつに選ばれています。

六義園スナップ・ベスト3に入ると勝手に決め込んでいるのが、この写真です。
風邪気味だったF80Dは、ドックに入れられる前に、紅葉狩りを一生懸命記録してくれました。

ボケ防止に一役かってくれる、愛おしいF80Dよ、ありがとうさん。

「どんな時でも、感謝の気持を忘れてはいけません」

どこからともなく、ボケ封じ観音さまの声が聴えてきました。


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六義園 その2:吹上茶屋を背景にした紅葉

2007-12-09 07:14:06 | 散策
千馬橋を渡り吹上茶屋へ向かうと吹上浜に松があり、その松の姿には、心を惹かれるものがあります。

その松を右手に見ながら直進して階段を上り右折すると吹上茶屋へ、左へ入るとつつじ茶屋へ行く分岐点があります。

分かれ路を右折して階段を下り、そこから振り返って観る景色も見応えがありますが、階段下から吹上茶屋を撮影したのが写真です。

吹上茶屋を覆い隠す紅葉と地上に植えられた緑の草木との組み合わせが、六義園を訪れた秋の季節に深みを生んでいます。
六義園のスナップで気に入っている1枚です。

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六義園 その1:藤代峠からの展望

2007-12-08 15:28:05 | 散策
先日、単独撮影モードで撮影していると、ニコンF80Dのシャッターがバシッ、バシと切られ連続撮影モードのような状態になりました。現像したフイルムを確認すると、その駒は真っ白で何も写っていません。

24枚撮りフイルムの6枚が未撮影の駒になっていました。インフルエンザに襲われ高熱をだして入院する前触れの風邪とも考えられます。愛しいF80Dをカメラ・ドックに入れることに決めました。

しかし、千葉市から最寄りのニコン・サービスセンターは銀座です。ドックインだけで出向いたのでは時間と費用が勿体ない。思案する日が続いていました。
そんな迷神(まよいがみ)に憑かれている時、紅葉のライトアップを始めた六義園(りくぎえん)の写真が新聞に掲載されたのです。

そうだ、六義園は、さわやか散策(年3回開催)の候補にも挙がっている。風邪気味のF80Dを六義園散策でチエックしてから銀座へ戻れば費用対効果がある。駒込まで足を延ばしたのは、11月17日の大安でした。

JR駒込駅を出ると、直ぐ左側に六義園の染井門が見えます。65歳以上のシニア料金150円を支払い、千里場(馬場跡)、しだれ桜の大木がある内庭大門(ないていだいもん)、滝見の茶屋を経て吹上茶屋へ向かいました。

染井門から滝見の茶屋までの散策では、80回シャッターを切りました。
普段どおりの調子なので、一安心して、一回目のフイルム交換を終えます。吹上茶屋から白鷗橋を渡り、藤代峠(ふじしろとうげ)の下へ出ます。藤代峠の頂上へ登ると、素晴しい展望が開けていました(写真)。

標高35mの藤代峠は、園内で一番高い築山、その頂は富士見山と呼ばれ、紀州(現和歌山)にある藤代峠の名にあやかっているようです。その名を汚さない展望が控えていました。

頂上からは、池中の中島に造られた妹山・背山(いもやま・せやま)と呼ばれる築山、その後ろには出汐の湊(でしおのみなと)周辺が展望できます。中島の左側に見える橋、田鶴橋は閉鎖されているので、中島へは入れません。

六義園内はどこもかしこも手入れが行き届いています。田鶴橋付近の盆栽の中からススキが顔を出しており、冬遠からじ、を感じさせる風情に隠し味を利かせていました。

六義園を1周して、12時30分頃入園した染井門へ戻ると、ボランティアガイドが案内版の前でオリエンテーションをしています。午後のガイドは2時から始まるので、おおよそ90分間に及ぶ六義園の撮影で4回フイルム交換をしました。F80Dは、連続撮影モード風邪もなく健康そのものでした。

元気印が気に入ったアングルにピントを合わせ、シャッターを開閉してフイルムを給送するシークェンス作業の繰り返しは重労働です。それを素早くやらないと「シャッターチャンスを逃がしたではないか」と文句をいわれ、しかも、くたくたになるまでこき使われる。風邪をひく暇なんかない、と何時も抗議するF80Dなのです。これでは、サービスステーションでドックイン費用が数万円になりますと説明されても拒否する術はありません。繁華街には夜のネオンが点灯され、これから活気ずく銀座を尻目に、家路に就きました。

藤代峠からの展望(写真)、吹上茶屋を背景にした紅葉、白鷗橋から吹上茶屋へ向かう小路にある黄葉したイチョウ、藤浪橋を過ぎ対岸の蛛道(さかかにみち)周りで池の水面に紅黄葉した落葉が絨毯のように敷き詰められ浮いるスナップなど、納得のいく写真が撮れました。

愛しいF80Dは、1週間後にドックを終えて元気印のもとへ戻り、明日からの酷使に供えているようです。







コメント (1)
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次世代に命を引き継ぐ駅伝ランナー:鋸山のアサギマダラ

2007-12-02 21:06:43 | 時の話題
ハクチョウ、ガンなどの渡り鳥が飛来する季節になりました。
11月23日、香取神宮(千葉県佐原市)に紅葉狩りドライブ、おにぎり弁当で昼食を
するため、平成14年に立て替えられた鳥居のある「鳥居海岸(津宮浜鳥居)」まで
足を延ばすと、カモの群れが利根川べりで長旅の羽根を休めていました。

孫たちが珍しがって堤防を下りて近づくと、警戒したカモの群れは、茨城県側へ向
かい飛び立ったり、川面に泳ぎ波紋を残して堤防から離れて行きます。

鳥居海岸一帯は鳥獣保護区に指定されている地域です。
カモは、銃猟される危険はない地域であることを学習しているので、視界から消え
てしまう遠方までは逃げません。堤防でじい~っとして待っていると、逃げ出した
テトラの上に再び戻り、休息するカモもいます。

このカモの群れは子育てを終え、春に帰郷への長旅に旅立ち、晩秋に日本を再訪
問し越冬する渡り鳥の行動パターンを繰り返します。ハクチョウ、カモなどの渡り鳥
の飛来は、季節の風物詩として新聞やTVで報道されますので、逗留地を訪れシャ
ッターを切るチャンスにも恵まれます。

7月8日、さわやか散策の候補地に鋸山(のこぎりやま:千葉県富津市)を選び、現
地の状況を把握・確認する目的で、実踏に行きました。この時の経緯は7月10日~
15日のブログで紹介しました。
アサギマダラにも触れていますので、寄り道してください。写真は、実踏の時に撮影
したものです。

『1,200kmの長距離を飛んだアサギマダラが沖縄で発見されました』
数日前の早朝ラジオで「アサギマダラ」の名前耳にしてから、鋸山で遭遇したアサ
ギマダラのことが気になり始めたのです。
帰宅後に、撮った写真を観ながら、蝶類図鑑と格闘して「アサギマダラ」であると
確認して一件落着でした。

アサギマダラが、1,200kmも長距離移動をする蝶であったとは・・・。
「長距離を移動することでも知られている」
はっきりと書いてある解説を、完全に見落としていたのです。

鋸山の「アサギマダラ」はオスでした。翅(し:昆虫の羽根)を閉じた時、尾に当たる部
分に黒褐色の大きな班紋があればオス、生物学の専門用語では性標と呼ばれ、メス
にはありません。

外国産の蝶が日本へ飛来するのは、偶然に季節風や台風に乗って日本へまぎれ込
む迷蝶(めいちょう)が多いらしく、チョウが自発的に移動するのではないと、専門家
は考えているようです。

カモのように、カモの足にリングを付けて出発地を確認することが難しい。
そのような環境にあって、チョウの仲間では、アサギマダラがマーキング調査を出
来るので、研究者や愛好家は移動距離や生態を調べていることも、ラジオニュース
は教示してくれました。

長距離移動するチョウとして、アサギマダラ、オオカバマダラが知られており、渡り蝶
とは言わず、長距離移動する蝶と表現しています。移動する形態が鳥の渡りとは違う
からです。

鋸山でアサギマダラに遭遇したので、オオカバマダラに遭えるかと期待したのです
が、食草(しょくそう)のトウワタの栽培が少なくなった昭和5(1930年)以降は迷蝶
の記録が残っているだけです。それまでは、琉球や小笠原諸島で多数発見されて
いました(原色日本蝶類生態図鑑Ⅳ)。

マダラチョウ科として、オオカバマダラの飛び方は①最も速やかで力強い、②滑空
を交えながら比較的高いところを飛ぶ。さらに、③メキシコやアメリカ合衆国西南部
の樹林中で越冬集団を形成する、④移住性が強く太平洋や大西洋を渡る。
このような習性がある、と解説にあります(同前)。

これは、オオカバマダラの長距離移動は偶然ではなく、何らかの根拠があると考え
られていますが、①~④の関係を証明する調査・研究はないようです。
恐らく、何処かにあるのでしょう。元気印は情報を持っておりません。

アサキマダラの移動は、マーキング調査による情報交換が盛んに行われているよう
です。研究者や愛好家のホームページが多数ネット検索できますし、月刊専門誌で
アサキマダラの移動調査報告を見ることも出来ます。

では、鋸山で遭遇したアサキマダラは、いかなる正体なのでしょうか。
アサギマダラの長距離移動は、鳥の渡りとは違うと書きました。
南から北へ移動する往路、北から南下する復路があります。往路と復路とでは、移
動の形態が異なっているのです。

次世代へ命のタスキを渡し繋ぎながら北上する駅伝が往路になります。
北上を始めた親マダラは、移動の途中で産卵し寿命を終えます。卵から孵化した子
供が成虫になり羽化すると北上を続けます。これを数回繰り返して目的地に到達し
ますので、駅伝と名付けました。

一方、カモの渡りはフルマラソンです。マラソンコースを熟知している親ガモが群れ
をなして日本へ来ます。その中に子ガモが混じり、親ガモや群れからフルマラソン
の指導を受けた親ガモからタスキを受け継ぎ、次の走者、子供に伝えます。
これは、往復路に共通している行動パターンです。

他方、海洋を回遊する長旅をしながら成長したサケは、生まれ故郷の川で産卵す
るため戻ってきます。これは、親サケ一代だけのフルマラソンですから、親ガモが、
命のタスキ渡しを、マラソンのOJTで子ガモに伝授するのとは違います。
サケが命のタスキ渡しを終えるのは、親サケが生地に戻って産卵する時です。

カモはOJTで学習・習得した体験でフルマラソンを走り、サケは、産声を挙げた川
の水味から生地を記憶して海洋を回遊しながら成長し、母なる川を遡上するので
しょう。彼らは、人類から不思議なカラクリと思われている羅針盤機能を備えてお
り、太陽の位置を基準にして、飛来する目的地の方向を見定めているのでしょう
か。

親チョウが南下して生息地に産卵して生涯を閉じるのが、アサギマダラの復路で
す。アサキマダラが生息する場所で、親マダラは次世代へ命のタスキを渡す役割
を全うするのです。

アサギマダラが北上する往路は駅伝ですから、次の走者へ渡す命のタスキがある
はずです。でも、目的地に着く途中で生涯を終える親チョウが、わが子に伝える命
のタスキが見えないのです。しかし、アサギマダラの子供達は、親が向かおうとし
た目的地へ到達し、親マダラの遺志を受け継ぎ、次の世代へ命のタスキを渡して
います。復路のフルマラソンを走るアサギマダラは、両親の生息地をどのようにし
て認知しているかは、今もって謎のままです。

鋸山で遭遇したアサギマダラは、7月ですから、鋸山地区で越冬した親の孫かも知
れません。鋸山地域でのアサギマダラの生態知識は持ちませんが、アサギマダラ
の越冬態(えっとうたい)は関東地方にも生息しており、4~5月に羽化します。2回
目は6~10月で多数の個体が羽化します(同前)。鋸山の彼は、この時期に羽化し
たと考えられます。

9~10月に羽化したアサギマダラは、より暖かい所の方へ移住しますので、彼の子
供が生息地まで南下するフルマラソンレースを完走し、次世代に命のタスキを引き継
ぐのでしょう。

アサギマダラの生活史(寿命)は、2.5~4.5ヶ月のようです。

『あなたは、鋸山で自分の生活史を全うし、鋸山が終の棲家になりました。
だから、駅伝やマラソンランナーに比べると幸せでしたね』

花から吸蜜し栄養を蓄えることに集中している彼に、元気印の呟きを聞かれると、

『それを言っちゃあ~、おしまいよ』

彼は、マダラチョウ科の特性である毒蝶の本性を表して凄みそうなので、言葉を飲
み込んでしまいました。








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