ハクチョウ、ガンなどの渡り鳥が飛来する季節になりました。
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11月23日、香取神宮(千葉県佐原市)に紅葉狩りドライブ、おにぎり弁当で昼食を
するため、平成14年に立て替えられた鳥居のある「鳥居海岸(津宮浜鳥居)」まで
足を延ばすと、カモの群れが利根川べりで長旅の羽根を休めていました。
孫たちが珍しがって堤防を下りて近づくと、警戒したカモの群れは、茨城県側へ向
かい飛び立ったり、川面に泳ぎ波紋を残して堤防から離れて行きます。
鳥居海岸一帯は鳥獣保護区に指定されている地域です。
カモは、銃猟される危険はない地域であることを学習しているので、視界から消え
てしまう遠方までは逃げません。堤防でじい~っとして待っていると、逃げ出した
テトラの上に再び戻り、休息するカモもいます。
このカモの群れは子育てを終え、春に帰郷への長旅に旅立ち、晩秋に日本を再訪
問し越冬する渡り鳥の行動パターンを繰り返します。ハクチョウ、カモなどの渡り鳥
の飛来は、季節の風物詩として新聞やTVで報道されますので、逗留地を訪れシャ
ッターを切るチャンスにも恵まれます。
7月8日、さわやか散策の候補地に鋸山(のこぎりやま:千葉県富津市)を選び、現
地の状況を把握・確認する目的で、実踏に行きました。この時の経緯は7月10日~
15日のブログで紹介しました。
アサギマダラにも触れていますので、寄り道してください。写真は、実踏の時に撮影
したものです。
『1,200kmの長距離を飛んだアサギマダラが沖縄で発見されました』
数日前の早朝ラジオで「アサギマダラ」の名前耳にしてから、鋸山で遭遇したアサ
ギマダラのことが気になり始めたのです。
帰宅後に、撮った写真を観ながら、蝶類図鑑と格闘して「アサギマダラ」であると
確認して一件落着でした。
アサギマダラが、1,200kmも長距離移動をする蝶であったとは・・・。
「長距離を移動することでも知られている」
はっきりと書いてある解説を、完全に見落としていたのです。
鋸山の「アサギマダラ」はオスでした。翅(し:昆虫の羽根)を閉じた時、尾に当たる部
分に黒褐色の大きな班紋があればオス、生物学の専門用語では性標と呼ばれ、メス
にはありません。
外国産の蝶が日本へ飛来するのは、偶然に季節風や台風に乗って日本へまぎれ込
む迷蝶(めいちょう)が多いらしく、チョウが自発的に移動するのではないと、専門家
は考えているようです。
カモのように、カモの足にリングを付けて出発地を確認することが難しい。
そのような環境にあって、チョウの仲間では、アサギマダラがマーキング調査を出
来るので、研究者や愛好家は移動距離や生態を調べていることも、ラジオニュース
は教示してくれました。
長距離移動するチョウとして、アサギマダラ、オオカバマダラが知られており、渡り蝶
とは言わず、長距離移動する蝶と表現しています。移動する形態が鳥の渡りとは違う
からです。
鋸山でアサギマダラに遭遇したので、オオカバマダラに遭えるかと期待したのです
が、食草(しょくそう)のトウワタの栽培が少なくなった昭和5(1930年)以降は迷蝶
の記録が残っているだけです。それまでは、琉球や小笠原諸島で多数発見されて
いました(原色日本蝶類生態図鑑Ⅳ)。
マダラチョウ科として、オオカバマダラの飛び方は①最も速やかで力強い、②滑空
を交えながら比較的高いところを飛ぶ。さらに、③メキシコやアメリカ合衆国西南部
の樹林中で越冬集団を形成する、④移住性が強く太平洋や大西洋を渡る。
このような習性がある、と解説にあります(同前)。
これは、オオカバマダラの長距離移動は偶然ではなく、何らかの根拠があると考え
られていますが、①~④の関係を証明する調査・研究はないようです。
恐らく、何処かにあるのでしょう。元気印は情報を持っておりません。
アサキマダラの移動は、マーキング調査による情報交換が盛んに行われているよう
です。研究者や愛好家のホームページが多数ネット検索できますし、月刊専門誌で
アサキマダラの移動調査報告を見ることも出来ます。
では、鋸山で遭遇したアサキマダラは、いかなる正体なのでしょうか。
アサギマダラの長距離移動は、鳥の渡りとは違うと書きました。
南から北へ移動する往路、北から南下する復路があります。往路と復路とでは、移
動の形態が異なっているのです。
次世代へ命のタスキを渡し繋ぎながら北上する駅伝が往路になります。
北上を始めた親マダラは、移動の途中で産卵し寿命を終えます。卵から孵化した子
供が成虫になり羽化すると北上を続けます。これを数回繰り返して目的地に到達し
ますので、駅伝と名付けました。
一方、カモの渡りはフルマラソンです。マラソンコースを熟知している親ガモが群れ
をなして日本へ来ます。その中に子ガモが混じり、親ガモや群れからフルマラソン
の指導を受けた親ガモからタスキを受け継ぎ、次の走者、子供に伝えます。
これは、往復路に共通している行動パターンです。
他方、海洋を回遊する長旅をしながら成長したサケは、生まれ故郷の川で産卵す
るため戻ってきます。これは、親サケ一代だけのフルマラソンですから、親ガモが、
命のタスキ渡しを、マラソンのOJTで子ガモに伝授するのとは違います。
サケが命のタスキ渡しを終えるのは、親サケが生地に戻って産卵する時です。
カモはOJTで学習・習得した体験でフルマラソンを走り、サケは、産声を挙げた川
の水味から生地を記憶して海洋を回遊しながら成長し、母なる川を遡上するので
しょう。彼らは、人類から不思議なカラクリと思われている羅針盤機能を備えてお
り、太陽の位置を基準にして、飛来する目的地の方向を見定めているのでしょう
か。
親チョウが南下して生息地に産卵して生涯を閉じるのが、アサギマダラの復路で
す。アサキマダラが生息する場所で、親マダラは次世代へ命のタスキを渡す役割
を全うするのです。
アサギマダラが北上する往路は駅伝ですから、次の走者へ渡す命のタスキがある
はずです。でも、目的地に着く途中で生涯を終える親チョウが、わが子に伝える命
のタスキが見えないのです。しかし、アサギマダラの子供達は、親が向かおうとし
た目的地へ到達し、親マダラの遺志を受け継ぎ、次の世代へ命のタスキを渡して
います。復路のフルマラソンを走るアサギマダラは、両親の生息地をどのようにし
て認知しているかは、今もって謎のままです。
鋸山で遭遇したアサギマダラは、7月ですから、鋸山地区で越冬した親の孫かも知
れません。鋸山地域でのアサギマダラの生態知識は持ちませんが、アサギマダラ
の越冬態(えっとうたい)は関東地方にも生息しており、4~5月に羽化します。2回
目は6~10月で多数の個体が羽化します(同前)。鋸山の彼は、この時期に羽化し
たと考えられます。
9~10月に羽化したアサギマダラは、より暖かい所の方へ移住しますので、彼の子
供が生息地まで南下するフルマラソンレースを完走し、次世代に命のタスキを引き継
ぐのでしょう。
アサギマダラの生活史(寿命)は、2.5~4.5ヶ月のようです。
『あなたは、鋸山で自分の生活史を全うし、鋸山が終の棲家になりました。
だから、駅伝やマラソンランナーに比べると幸せでしたね』
花から吸蜜し栄養を蓄えることに集中している彼に、元気印の呟きを聞かれると、
『それを言っちゃあ~、おしまいよ』
彼は、マダラチョウ科の特性である毒蝶の本性を表して凄みそうなので、言葉を飲
み込んでしまいました。