いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

千葉市動物公園 その20:大きな嘴で押し競べをするオニオオハシ

2009-05-16 17:28:44 | 散策
フタユビナマケモノの姿を撮りに、数回に亘り動物科学館の一角に設けられているバードホールを訪れました。

熱帯雨林を模したバードホールに飼育されているフタユビナマケモノは、1日1回降らせるスコールで濡れるのを嫌い動き出すことが多いので、2回目以降はその時間帯に合わせて撮影に行きます。

スコールで濡らされる場所から他へ逃避するフタユビナマケモノを撮り終えると、ホール内に飼育されている鳥たちが目に留まります。
いつも同じ木の枝に留まっている白色のソデグロバト、ハト科の中の孔雀と呼ばれるオウギバトの仲間であるカンムリバト、小さな池の周りをチョコマカ歩くクビワコガモなどに比べて、一際目を引く鳥がオニオオワシ(写真)です。

先ず、全身の3分の1を占める極彩色の大きな嘴が、人目を引きます。
さぞかし重たいのだろうと思いきや、意外に軽い作りのようです。
それは、中空になっている嘴の薄い角質のさやは軽いだけで強度が弱く、さやに骨質の支持棒を張りめぐらして、さやが強度を持つ構造になっているからです。

発泡スチロールで作った箱は軽いのですが外力への耐力がなく、外力を加えると箱はバラバラに壊れてしまい、その機能を発揮できません。木材や鉄棒などを埋め込んだ発泡スチロールは、外力に対する強度を持つので、箱として使用できます。埋め込まれた木材や鉄棒が箱への外力に耐えて、箱の役割を果たすのと同じ原理です。

さて、オオハシ類を代表する仲間は、キバシミドリチュウハシ、ハシグロヤマオオハシ、クリハシオオハシ、ニショクコチュウハシ、オウゴンチュウハシ、ムナフチュウハシなどです。その中で最大の嘴を持っているのが、このオニオオハシです。

オオハシ類は、木の高いところに止まることを好み、そこで枝から枝へと飛び移ります。
木の天辺からそれほど離れていない他の木の天辺へ、波形を描きながら飛び移ります(動物大百科 第8巻 鳥類)。

バードホール天井近くの梁から、熱帯雨林の樹枝に飛び移る時、オニオオハシは勢いをつけて飛び出しても、一旦沈んでから翼を羽ばたき揚力をつけて浮き上がります。他方、ソデグロバトの移動は、矢の如く一直線です。いくら、軽く出来ているといっても、体の3分の1を占めているオニオオハシの嘴はアンバランスですよ。飛び出した瞬間、その影響を受けて沈むので、波形を描いて飛ぶように見えるのでしょう。

それにしても、スコールの降る時間帯に観察するオニオオハシは、鮮やかです。
スコールの水滴が雨林の樹葉に潤いを与え、あたかも新緑の葉のように映えて見えます。
極彩色の黄色い嘴と青い眼、白い首筋の毛と尾が、新緑に囲まれたオニオオハシをいっそう艶やかにしています。

とはいっても、撮影の目的は、スコールで濡れることを嫌うフタユビナマケモノにあります。
スコールが降り始めるとフタユビナマケモノは、ぶら下がって休む別の場所へ移動を始めます。
この時がフタユビナマケモノを撮るチャンスですから、カメラマンの眼中にあるのは、フタユビナマケモノの行動だけです。

やがて、撮影が終りホットしていると、鳥たちの動きが活発になります。
スコールの中を枝から枝へと飛び交う鳥、葉に溜まっている水滴を狙うようにして枝へ留まる鳥など、バードホールで飼育されている鳥たちは、それぞれの個性のままに動き始めるのです。
なかでも、オニオオハシの濡れ姿は最高に綺麗で艶やかです。

ところで、艶やかに見えるオニオオハシには、面白い遊びをする隠れた習性があります。

2羽のオニオオハシは、嘴と嘴を打ち当てると互いの嘴を組み合わせて、どちらかが留まり木から後退して退去するまで押し競べをします。勝利したオニオオハシは別の個体の挑戦を受け、その勝利者は次の挑戦に挑むという遊びをするのです。

他の遊びに、木の実投げがあります。
1羽のオニオオハシが果実を投げ上げると別の1羽が空中でそれを銜え、次にそれを第3の個体に向かって同じように放り投げ、そして第3の個体は群れの第4の個体に投げる遊びがあります(同上)。
木の実投げ遊びは、嘴の先で採った食物を喉の奥に入れる際、頭を上に振って入れる採食行動から発展したのではないだろうか。そんな、漠とした想像を巡らしています。どんな世界にも粋な奴はいるんですね。

千葉市動物公園のオニオオハシには、嘴押し競べや木の実投げ遊びは見られないでしょう。
飼育されている3羽のオニオオハシには、嘴の押し競べくらいはと望んでも、ないものねだりですし、群れで遊ぶ木の実投げは、それぞれの来園者が空想の世界で創作するしか方策はありません。

1日1回、それも15分間のスコール・タイムの中には、フタユビナマケモノの行動や自然に振舞う鳥たちの姿を観察し、嘴押し競べをするオニオオハシの遊びを創作する夢の世界があります。
バードホールには、千葉市動物公園に潜んでいる魅力のひとつがありました。

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 千葉市動物公園 番外編 その9:一張羅の衣更を終えたトメキチ

2009-05-13 16:37:46 | 散策
多くの哺乳類は、全身の毛衣(けころも)を冬毛から夏毛に更新する換毛(かんもう)を、毎年一定期間に行っています。
千葉市動物公園のレッサーパンダーはその真っ最中です。ムフロンやアメリカバイソンの毛並みも、換毛の時期かと思うばかりにマダラ模様になっています。

桜の季節に換毛を行っていたトメキチ(写真)は、五月晴れの日差しを受けて颯爽としています。朝湯を浴びた若大将ですよ。
3月中旬に訪れた時、地面に体を擦り付けて衣更(ころもがえ)をしていたトメキチとクリスでしたが、綺麗に変身していました。

さて、トメキチとクリスの一張羅(いっちょうら)は、自前の毛衣です。
ところが、平安時代の貴族には、季節毎に衣更をする習慣があり、年7回も衣服を着替えています。
貴族達は、春は薄衣、夏になると単襲(ひとえがさね)で夕涼み、秋には生織(きおり)の綿入れを、冬になると練絹(ねりぎぬ)の綿入れに衣更していたのですから、トメキチ達には羨望の的でしょう。

江戸時代の庶民は、春と秋に衣を替えていますが、貴重品扱いの着物は摺り切れるまで活用しています。着物地は何度となく洗い張り・仕立て直して布地が擦り切れるまで使っています。
同じ1枚の着物を、夏は単(ひとえ)に、冬は裏をつけて袷(あわせ)にして着たり、大人の着古しを子供用に仕立て直して着るのが当たり前の庶民生活は、裁縫上手の女房が支えています。
成人するまでには一通りの縫物が出来ない娘は婚期が遅れるとされていたので、針の持てない娘が適齢期に嫁げるようにと、母親は厳しく針仕事を教えます。裁縫は女のたしなみだったのです(大江戸ものしり図鑑他)。
夏は麻の単、春秋は一重(ひとえ)に裏地つきの袷、冬は裏地との間に綿を入れた綿入れに衣更をする江戸庶民の楽しみは、針仕事の上手い女房の汗の賜物でした。裏方がしっかりと家庭を守っていたのです。

千葉市動物公園のクリスは、針仕事をする機会に恵まれないでしょう。
トメキチに、夏は単、冬になると袷に作り変えて衣更を促すこともなく、クリスが我が身の換毛に専念しても、トメキチは一言も文句を言いませんよ。トメキチは、クリスの衣更が、滞りなく終わることを待っているだけです。
お互いに衣更を終え、冬から春へ、春から夏へと移り変わる時の流れに身を任せて、自然体のままに生きるのが、蒙古野馬の生き方なんだから・・・。


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千葉市動物公園 番外編 その8:スコールが嫌いなナマケモノ

2009-05-10 12:15:06 | 散策
腹がへって餌を捕りたいときに給餌場へ移動しますが、それ以外は木の枝にぶら下がって動かないフタユビナマケモノ(写真)。

熱帯雨林をイメージして造られたバードホールにフタユビナマケモノが3頭飼育されていることを知った初回は、ただ彼らの姿を探すだけでした。それでも、2頭は見つけてそれなりに写真が撮れたので帰宅します。

昨年8月26日に産まれた3代目の仔が公開されていることは2回目の撮影時に知って、飼育されている3頭のナマケモノの来歴を飼育係の方に聞きます。

身持ちの母親が来園し、半年後に出産した長女と千葉市動物公園に居た父親がペアリングした仔が産まれて死亡しています。それから、今回公開している仔が産まれたことなどが分かりました。

動物科学館には夜行性動物展示室があり、フタユビナマケモノはそこで飼育されていたのですが、狭い部屋よりは熱帯雨林地方を模したバードホールの方が住み心地がよいだろう、との判断で移転させます。結果として、第一仔は死亡しましたが、今回の繁殖に結びついたのでしょう。

バードホールでは、1日1回、午後2時15分からスコールを降らせます。
フタユビナマケモノは濡れることが嫌いで、スコールを浴びると動き出すから、彼らの姿を観察するチャンスがある。ホール内の案内板に書かれていたヒントを信じて訪れた2回目は、スコール時間帯に合わせて一人のカメラマンとホールで出会います。

彼は、フタユビナマケモノがここ数か月間に潜んでいる場所を熟知しており、彼らの動きをも予測してアドバイスしてくれたのです。しかし、スコールが降り始めてもフタユビナマケモノ達の移動は予測通りに運ばず、三代目が公開されている収穫だけで帰宅します。

なんとしても、フタユビナマケモノの姿を撮りたい気持ちは、強くなるばかり。
意を決して、5月9日に3回目の挑戦をすることに・・・。

最初の時に見付けた場所に2頭います。そこは、スコールが直に当たる範囲内なので、フタユビナマケモノは必ず動き出す。それも2頭ですから、気持ちは早くもワクワク、ルンルンですよ。
残りの1頭は、両親とは反対側にいます。先にスコールが降ったので移動するのを待ちますが、動きません。木の葉の間に垣間見える寝顔を撮っていたので諦めて、2頭の撮影に切り替えます。
2頭のフタユビナマケモノの周りに容赦ないスコールが降り始めます。
怠け者のイメージでシャッターチャンスを待っていると木の葉に顔が隠れてしまい次のチャンスを待つ結果になります。これでは駄目と判断してピントを取っては写し続けます。彼らの動きは、想像していたよりも早く、そして一回の移動量が大きいのには、驚きです。
写真の状態から左手を前に、右足を前に移動すると1回の移動になります。それは、右手と左手の距離に等しく、50~60cmくらいありますから・・・。
この写真や顔が写っている三代目の写真も撮れたので、3回目の挑戦に満足しての帰宅です。

フタユビナマケモノは夜行性であると書きました。
飼育係の方の話では、フタユビナマケモノの動きが多い時間帯があるとのことです。
それは、昼行性動物と夜行性動物が入れ替わる時間帯のようです。
太陽が地平線へ近づき夕焼けが起こり、太陽が地平線に沈んだ後に起こる、大気による太陽光の散乱によって薄明が見られ、マジックアワーとも呼ばれています。黄昏(たそがれ)、夕方などの言葉がありますし、民間信仰では、逢魔時(おおまがとき)とも言われている時間帯ですね。

反対に、日の出の時間帯にも同じような現象が起こり、山男達はローゼン・モルゲンと呼んでいます。ブルーアワーとも表現されています。また、トワイライトは、マジックアワーとローゼン・モルゲンの両方を表す言葉です。

フタユビナマケの達の取材と情報収集を通じて、人間のローゼン・モルゲンを描いた「銀嶺の果て」(監督:谷口千吉 脚本:黒澤明)と「ザ・マジックアワー」(監督・脚本:三谷幸喜)が結びつくなどの副産物が生まれ、予想外の収穫を得ました。フタユビナマケモノは怠け者ではないのです。


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千葉市動物公園 その19:三代目フタユビナマケモノ見参す!!

2009-05-09 22:15:18 | 散策
昨年8月26日、母親の腹にしがみついていたのに、ひょんなことから、地面に落ちてしまい、そこで鳴いていた仔は、飼育員に拾われてから8ヵ月を過ぎました(写真・5月9日撮影)。

ここで飼育されているナマケモノ3頭、仔を入れて4頭は、みんな名無しの権兵衛(ごんべえ)。
ハシビロコウを筆頭にして、千葉市動物公園には権兵衛がたくさんいます。
先日、お騒がせしたアフリカハゲコウは、逃亡騒動の後に市民から「名無しの権兵衛では可哀想だ」との声が持ち上がったので、名前を市民公募してアフロンの愛称を得ました。逃亡は大成功だったと、権兵衛は微笑んでいるでしょうね。

さて、2頭のメスは、A、B、オスは1頭なのでオスとして話を進めます。
メスAは、平成3(1991)年3月4日に来園し、メスBを産みます。
メスBは、平成3年9月1日、千葉市動物公園で産まれたのです。フタユビナマケモノの妊娠期間は6ヵ月とされていますから、メスAは身ごもってここへ来園していますね。
それから、メスBが産んだ仔1は、平成17(2005)年12月に死亡し、昨年8月26日に仔2を産んでいるから、しがみついていた母親の腹から落ちた仔2は、3代目に当たります。

フタユビナマケモノの寿命は12年、飼育下では31年の例がある。オスは4~5歳、メスは3年で性成熟に達し、以後1年に1回繁殖する。小さい早世のコドモ(通常1頭)を産み、離乳期やその後の世話に多くの時間とエネルギーを費やす。胃の中の食物が消化されて比較的短い腸にすっかり送り込まれてしまうまでには1ヵ月以上かかる。糞や尿は1週間に1度きりで、木の根元の決まった場所にする(動物大百科・第6巻 有袋類ほか)。

とすれば、身ごもっていたメスAは、4歳位で来園しても可笑しくはないですね。今年、22歳ですから、野生寿命12年を越えた個体になり、メスBも18歳になります。オスが来園したのは、平成5(1993)年8月20日ですから、22~23歳になります。3頭共に、飼育されている個体の寿命に向かって生きています。

母親が生理現象を起こして地上に降りた時に、三代目は地面に落ちたのでは・・・。
普段生活している5mの樹上から落ちたのであれば、生後1ヵ月を経過しても何処かに怪我があるし、三代目を拾い上げた飼育員は異常を感じるでしょう。

「ナマケモノ類は瀕死(ひんし)の重傷を負っても、けっして死なないと考えられている。
咬傷(こうしょう)や深い傷はめったに化膿せず、数週間で完全に治ってしまう(同上)」

バードホールの案内をした方に元気印の疑問をぶつけます。
大百科の説明を踏まえた回答があり、仔2が無傷であったのかどうかの疑問は残ったままです。

それはそれで、良いとしましょう。
今回、三代目を人工保育に踏み切った経緯を紹介した案内版には、次のようにあります。

「仔1を産んだメスBは育児を放棄して死なせているので、仔2は人工育児に踏み切っています。
最初はミルクのみを1日5回与えていましたが、徐々に離乳食(バナナ、蒸かしたカボチャ・ニンジン、アボガド、レタスなど)を与えるようになり、現在はミルクを2回、離乳食を3回与えています。ナマケモノの人工保育は日本の動物園でも例が少なく、半年以上生きた例は鹿児島県の平川動物公園しかありません。」

千葉市動物公園は、仔2の人工保育が約2ヵ月半経過した昨年11月14日から公開を始めてから今日まで続いています。公開は、午前10時30分~11時30分、午後1時30分~2時30分の2回行われ、午前11時30分~午後1時30分は、日光浴のため公開していません。

樹上を生活の場にしているフタユビナマケモノは、体を丸めて木にぶら下がって過ごします。
産まれて数ヶ月であっても、公開されている時間の殆どは木にぶら下がる習性が発揮され、顔を見るチャンスは稀ですし、母親に見立てた丸タオルにつかまっていても、顔は反対側にしてぶら下がっています。ですから、壁側に置かれた鏡に映る顔を見るように工夫されている位です。

ぶら下がった顔を見学者側に向けた数少ない幸運を得たので、毎日1回スコールを降らせる午後2時15分の数分前に、仔2の両親と長女が生活しているバードホールへ向かいます。

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千葉市動物公園 その18:フタユビ・ナマケモノが見上げるオニオオハシ

2009-05-07 20:20:19 | 散策
ここは、動物科学館にあるバードホールの一角です。

フタユビ・ナマケモノとは、

「体は長い毛でおおわれ、頭は丸く、耳は隠れて見えにくい。前足の指2本、後ろ足の指は3本。つめはかぎづめで長く、樹上で体を丸めて木にぶら下がっていることが多い。生息地アメリカ、体重4~8kg、体長55~86cm」

オニオオハシとは、
「くちばしが全長の1/3をしめています。中は空洞で見た目より軽くなっています。えさはくちばしの先でつまみ、頭を後方にふり、のどの奥に投げ入れます」

バードホールの看板は、上記のように解説しています。

動物科学館に飼育されている親子3匹のナマケモノの姿を目の当たりにするチャンスは、稀のようです。これまでに姿を見せた場所を示す手書きガイドを参考にして樹上を探しますが、無駄骨でした。
そんな時です。木の枝に止まっていたオニオオハシは、枝から飛び上がると左側の窓際にある鉄製の梁へ留まったのです。壁に設けられた避難梯子にぶら下がっているものは何者だろうかと考える間もなく、その格好からフタユビ・ナマケモノだと分かります。

あと2匹のフタユビ・ナマケモノは、青々と茂った木の葉に遮られて見付かりません。
ところが、このバードホールは熱帯雨林をイメージした施設なので、1日1回スコールを降らせます。すると、突然木が揺れてフタユビ・ナマケモノが木の葉の陰から現れ・・・・。

これ以降は、見てのお楽しみにします。

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千葉市動物公園 番外編 その7:地下壕つくりを邪魔するプレーリードック

2009-05-06 20:02:45 | 散策
ここには、牧場もなく酪農家もいないプレーリードック天国です。
五月晴れの空には、ギラギラ光る太陽が汗もかかずに皆勤している。たまあ~には一息入れて、明日へのエネルギーを残してもいいよ、などと考えても埒があかない。下手の考え休むに似たり、とばかりに、プレーリードックは、得意の地下壕つくりに精を出します。
 
ツルハシ代わりに前足を使って崩した土を黙々と後ろへかき出しながら、プレーリードックは自らの名前の由来に思いをめぐらします。

「北アメリカ大陸中央部を、カナダからメキシコ湾岸にかけて南北に延びる大草原をプレーリーという。バイソンをはじめとする野生動物の宝庫であったが、肥沃な土壌にも恵まれ、白人による開発の進行に伴い、小麦、トウモロコシ、綿花などを産する農業地帯へ変貌してきた(世界大百科事典)」

開拓者達がアメリカ大陸に入ってくる前、約7000万頭も生息していたアメリカバイソンは、彼らの食用にされたり、スポーツ狩猟にされたりしたために、20世紀初頭には数百頭にまで生息数が減少しているのです。
現在は、バイソンの個体数はやや回復し保護区の個体と牧場で飼育されている個体を合わせて約20万頭は生息しているようです。

千葉市動物公園で飼育されているアメリカバイソンのターバン(オス)とヒート(メス)は、共に群馬サファリパーク産まれです。また、エキサイテイング・ビジネスを展開して動物輸入商たちがしのぎを削っていたプレーリードックが輸入禁止になってからは、日本産まれの個体が繁殖して飼育されているのです。

「北アメリカの大草原地帯東部の高茎草木からなる自然草原(プレーリー)に生成される土壌、プレーリー土(ど)は、中性~弱酸性で養分に富み肥沃である。北アメリカ中西部のトウモロコシの大生産地帯(コーンベルト)は、このプレーリー土の上に成立している(同上)」

ところで、家庭菜園でトウモロコシを植えています。
その種ピーターコーン235の生産地はアメリカとありますから、おそらく、コーンベルトで生産されたものでしょう。昨年は、北海道産トウキビの種を植えたのですが、地元の味が出ません。千葉との気候条件の違いが影響していると考え、何時ものピーターコーン235に戻しました。

40坪のプレーリーの一部にプレーリー土もどき土作りをして植えているトウモロコシも、順調に芽が出始めた5日、一雨きたので成長が楽しみですよ。家族はピーターコーン235の味に満足しているので・・・。

さて、地下壕から頭を出しているプレーリードックは、穴に入り壕つくりをしていたのですが、後から来た奴は、せっかく壕の外へ運び出した土を後ろ足で蹴って、穴へ戻し始めます。
それを察知した壕堀は、頭にかけられた土を払いのけて、やめろ、と怒っている場面です。
穴の外に飛び出して喧嘩をするかと思いきや、再び穴に戻り壕堀に精を出します。
一方、地上にいる奴は、やめろと怒鳴られても懲りずに悪さを再開します。そんなことを数回繰り返しているうちに悪い奴は他へ移動したので、地下壕つくりは順調に進められたのです。

地下壕の出来具合が気になり2日後に訪れると、大きくなった地下壕の入口には通路が作られ、そこと壕の中には小石が散らばっていますが、穴の周りの土は白く乾いています。写真のような新しい土がないのです。
ここ数日、摂氏20度を越す暑い日が続きましたから、壕堀プレーリーも悪さをする奴も、それぞれの巣部屋で暑さを凌いでいるのでしょう。

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千葉市動物公園 番外編 その6:来園者を信頼する性別不明のカンムリバト

2009-05-05 22:24:08 | 散策
人懐っこいカンムリバトは、頭に扇形のレース状の冠羽があり、鳩の仲間では最大級の大きさです。

求愛ディスプレーでは、オスは冠羽と尾羽を誇示して、お辞儀のような行動をしますが、性別が不明とされていてはそれもままなりません。
それよりも、千葉市動物公園で飼育されているのは1羽だけだから、学習するチャンスが得られません。

奥さんと2人のお子さん連れで動物科学館へ来ていたお父さんの色鮮やかな靴に気を惹かれ、お父さんの足元へ寄って行くとカンムリバトは立ち止まります。そして、お父さんが移動すると、その後を追います。

醜い大きな鳥とも言われているドードー(Dodo)は、世界中で絶滅動物のシンボルとされています。西暦1598(慶長3)年頃にモーリシャス諸島(インド洋)で発見されてから1681(天和元)年頃に絶滅した、飛べない大きな鳩です。カンムリバトは、ドードーと姉妹種といわれています。

ここは、動物科学館にある熱帯植物と鳥を展示しているバードホール1階です。
バードホールには、カンムリバトやオニオオハシなど10種類の鳥たちと一緒にフタユビナマケモノが3匹飼育されています。
4日前に来た時、3匹のナマケモノの姿は植物林の中に見つけたのですが、午後2時15分からの給餌時に訪れると満足する写真が撮れるはず。そんな思惑で昨日来園を試みました。しかし、動物園入口までの約1.5kmは車の渋滞が続いています。撮影中止は即決です。
それで、子供の入園料が無料になる5日は、もっと混乱すると予測して9時過ぎに出向くと、駐車場の車が平日より少し多いかな状態で、気分爽快です。

動物科学館へ直行して真っ先に、先日、フタユビナマケモノが潜んでいた熱帯植物林の中を注視しても、彼らの姿はありません。植物林中を眼をさらにして探しても姿は見付からない。午後2時15分からの給餌までは時間が有りすぎる。

そこで、小型サル類の展示場に立ち寄りオグロマーモセットの仔を撮り終えて1階へ戻ると、カンムリバトがお父さんと戯れていたのです。フタユビナマケモノとの出会いは次回に回して、カンムリバトと付き合う作戦に切り替えた、今回の撮影でした。

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千葉市動物公園 号外:悔しい!!里帰りしたモモコがお目出度なんて!?

2009-05-03 09:59:08 | 散策
上野動物園産まれのモモコとモモタロウが里帰りして5カ月も経たないのに、モモコにお目出度ですよ。モモコが里帰りすると言うから、俺・ケンタ(写真:5月1日撮影)はローラとのペアで、はるばる千葉へ来たのによ・・・。

さて、今年の干支は丑年です。
他方、世界的には、ゴリラの保全キャンペーンを行う「国連ゴリラ年」です。
世界の野生動物保全関係者が、絶滅の危機に瀕しているゴリラについて、国際的に様々な保全キャンペーンを行います。
日本では上野動物園(東京都台東区)と東山動物園(名古屋市)が、国連ゴリラ年にちなんだキャンペーンを行っています。

ところで、平成19(2007)年12月31日現在、日本におけるニシローランドゴリラの飼育頭数は29頭(オス15、メス14)です。
上野動物園7頭、東山動物園、千葉市動物公園で各4頭、京都市動物園3頭、各2頭が神戸市立王子動物園、日本モンキーセンター、浜松市動物園、日立市かみね動物園、福岡市動物園の5ヶ所、仙台八木山動物公園の1頭を、これら10ヶ所の動物園で飼育しています。
しかし、平成21(2009)年4月になると飼育頭数は26頭に減少しています。ニシローランドゴリラは、この3年間で3頭も死んでいます。

ちなみに、日本で最初にニシローランドゴリラの繁殖に成功した動物園は、京都市動物園です。
昭和35(1960)年10月18日に来園したジミーとベベのペアは、日本で飼育された最初の個体です。それから10年後の10月、日本で最初の繁殖となるマックを産みます。そして、マックとヒロミのペアから京太郎と元気(メス)が産まれ、親子3世代に亘る繁殖に成功している、日本で2番目に古い伝統ある動物園です。

他方、東山動物園にいる52歳のオキ(オス)は、昭和31(1956)年12月22日にコロンバス動物園(アメリカ)で産まれたコロ(メス)と共に世界最長寿を競っています。平成15(2003)年2月27日に東山動物園で産まれたアイ(メス)は6歳ですが、日本では最年少の個体です。

さて、基本的にゴリラの群れは、からだの大きいオス、つまり「シルヴァーバック」が統率しており、このシルヴァーバックは群れの近くに他の群れの個体が近づくことを許さない。ゴリラと人間が直接スキンシップをはかれるような施設造りを目指したアーペンヒュール動物園の創始者は、ゴリラに独立した大きな島をひとつ与えたが、ゴリラの個体数が増え、群れを分割した。しかし、ゴリラの群れを二つに分割しても、なおかつそこに争いが起きないように工夫せねばならなくなったアーペンヒュール動物園では、応用心理学を動物の世界に活かして解決した(動物たちの箱船)。

そのようなゴリラの飼育と繁殖にまつわる背景から、千葉市動物公園には、ゴロ、モンタ、モモタロウ、モモコの4頭が飼育されています。
昨年12月2日、モモコは息子のモモタロウと一緒に上野へ移動し、その代りにケンタとローラが千葉へ来たのです。そのモモコがハオコとのペアリングに成功してお目出度ですから、ケンタが上野に残って、ハオコが千葉へ来ていたら・・・。

モモコの妊娠は6年振りの快挙なのです。関係者の喜びもそれだけ大きいと報道されています。
それはそれとして、腕を組み、脚を曲げて石段に横たわっているケンタの心境を忖度すると、台風の勢いに乗った荒波に翻弄されている漁船のようです。そのせいでしょうか、今日のケンタは小さく見えます。

千葉へ来る前のケンタは、九州、神戸、京都と渡り歩き、平成16(2004)年5月24日東京へ、昨年12月8日に千葉へ移ってきました。
平成18(2006)年12月5日には、ナナが「愛媛県立とべ動物園」(愛媛県砥部町)から期間限定のレンタル花嫁として上野に来園し、その相手はケンタが有望視されていたのです。
ケンタは昭和52(1977)年産まれで、今年32歳になります。ナナは昭和57(1982)年4月4日産まれですから、ケンタの5歳下です。ケンタとナナの仔供が産まれた場合、第1仔はどべ動物園、第2仔は上野動物園が引き取る約束でしたが、「捕らぬ狸の胸算用」状態が続きます。
しかも、ナナが来園する当時から、近々オーストラリアから来るオスとのペアリングが予測されていましたから、既に、ケンタには恋敵がいたのです。

ナナ争奪戦は、平成19(2007)年6月27日に戦端を開きます。
タロンガ動物園(オーストラリア)からブリーデイング・ローン(繁殖を目的とした動物の賃貸契約)でハオコがやって来たのです。しかも、上野にいたメス・ナナとトトと一緒に運動場へ出るようになりましたから、ケンタが小耳に挟んでいた噂は現実話になります。

この頃になると、地球上で絶滅の危機に瀕している多くの野生動物を飼育下で繁殖させ、動物園での展示動物を確保するとともに、野生へも返していこうとするズーストック計画が国際的に進められていました。
そこで、東京都立動物園では、国内外の希少な野生動物50種をズーストック種と決め、これらの種の飼育・繁殖技術の確立に力を入れており、上野動物園はニシローランドゴリラ他16種を担っています。

この計画に基づき、動物園間のブリーデイング・ローンの一環として、上野動物園「ゴリラのすむ森」には7頭(オス3、メス4)のニシローランドゴリラが飼育され、繁殖を目指しています。その成果が、モモコのお目出度なのです。
モモコが10月に無事出産すれば、上野動物園で2度目になります。最初の相手は、ハウレッツ動物公園(イギリス)から平成9(1997)年12月に来園した10歳のヒジュでした。彼とのペアリングでモモタロウを出産し、今回のお目出度はアーペンヒュール動物園(オランダ)産まれのハオコですから、日本男児を自任しているケンタはふて寝をして、失恋の悔しさを紛らしているのです。

スペイン産まれのナナは、3歳の時に来日し、5歳でとべ動物園へ来て、17年間ゲン太と暮らしていました。平成16年11月にゲン太が死亡してから上野へ来るまで1頭暮らしを続けていたナナは、ブリーデイング・ローンで上野に来園してハオコに積極的でしたが、相手にされなかったようです。一方、太目の体型がナナと似ているモモコ、ヒジュがシルヴァーバックとして統率している群れに入り込んだ物怖じしないモモコの性格に、ハコオは惹かれたのでしょう。

余談になります。
京都動物園に里帰りして円山動物園(札幌市)からブリーデイング・ローンで京都へ来園しているゴン(コペンハーゲン産まれ)とのペアリングを試みている元気は、ヒジュと交尾があったのですが妊娠に至らず、モモコの積極果敢なヒジュへのアタックに破れた経歴の持ち主です。

千葉市動物公園でのケンタには、倦怠感があるようです。
5月1日、ワオキツネザル親子の写真を撮りに千葉市動物公園へ行ったのですが、ケンタのことが気がかりで、寄り道をした際の写真です。
ケンタは、石造りの休憩所の中に座り草を食べてから階段を下り始め、草の生えている地面の手前に来ると座り込んでしまいます。一度だけ眼がキラリと光ったのですが、それからは写真の状態のまま動きません。

動物科学館2階で飼育しているオグロマーモセット親仔の写真を撮り終えてケンタの様子を窺った時には、ケンタは仰向けになって地面に寝転んでいます。放餌場では、ローラが草を探し食べているのに・・・。ローラとケンタは、昭和52(1977)年産まれの同じ歳ですし、上野でも一緒に過ごした仲ですから、阿吽(あうん)の呼吸があるのでしょう。

隣の放餌場では、モンタが忙しそうにして草をむしって食べています。ここで最年長のゴロは、所狭しと屋内展示場の中を動き回っているのに・・・。ゴロは、昭和40(1965)年産まれの44歳、日本人の年齢に換算すると80歳以上のようです。寿命35歳で天寿が50歳といわれるニシローランドゴリラにとっては、ゴロは長寿ですね。73歳のケンタも長寿ゴリラの仲間といえば、ゴロと同じですよ ※。

今年26歳になるモモコは、日本人の歳に換算すると56歳、15歳のハオコは32歳だから・・・。

「やはり、モモコやハオコの歳が気になりましたか、元気印さん。ゴリラの年齢計算はボケ封じには、苦い薬ですからね」

365日、不老長寿の時間を過ごしているボケ封じ観音さまには、地面に仰向けになって寝転んでしまったケンタの思いの丈を聴いて貰いたくなりました。

※ 日本動物園水族館協会Webにある「動物年齢の秘密」では、知りたい動物名と年齢を入力すると、日本人の年齢に換算した該当動物の年齢が計算・表記されます。

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千葉市動物公園 番外編5:威風堂々と歩くミイ母さんにおんぶされ!!

2009-05-02 19:29:06 | 散策
私は、ミイ母さんの16番目の仔です。
母のミイは、これまでに11回も出産しているんです。
さっき、カラスの行水を観ました。
父のコポとミイは、ハシブトカラスが私を襲ってきたのでは、と警戒しましたが、20度Cを超えた暑さから逃れたくなって、カラスは水浴びしたのでしょう。

黒い輪と白い輪が交互に並んでいる長い尾を立てて歩くミイ母さん。父さんのコポも同じ格好をして歩きます。それは、お互いが見間違えないようにするための視覚信号なのです。ここに居るよ、と存在を誇示しているんです。今は細い私の尾だって、父さんや母さんのように立派になるんだから。

私達の社会では、ミイ母さんの方がコポより優位なのです。ここには2頭のメスが飼育されていますが、優劣順位の高いミイが私を産んでいます。オスは、父さんの外に2頭いるけれど、コポがいるのでミイとのペアリングはできません。

それでは、私はどちらなの?
生後31日しか経っていない私でも、自分がどちらなのか・・・。当然、知っています。
それを明かすのは、私たちを飼育し繁殖させてくれている人の楽しみですから、私を手に取って調べるまでは秘密です。

「カカア天下の兆しが見え隠れしている。はっきり物を言うのはミイの癖ですから」

ボケ封じ観音さまは、お見通しのようです。

「元旦に産まれたオグロマーモセットの仔2頭はどうでしたか」
「お互いが追いかけたり、逃げ回ったりで、1カ所にじい~っといていない。敏捷に動き回る先が読めないので、撮影ポイントが定まらなかった。今日は、根負けですよ」

露払いをしてくれたコポの後を安心してついて行くミイ母さんの肩の上で我慢している私だって、あと2カ月もすれば、オグロマーモセットの仔に負けないで放餌場を駆け回っているから・・・。
その時は、根負けしないでね。

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千葉市動物公園 番外編4:カラスの濡れ羽色に驚くコポ家族

2009-05-01 22:04:26 | 散策
5月1日、午後4時少し前頃でしょうか、右上空からカラスが鳴き声をあげて、橋の上でくつろいでいたワオキツネザル親子(写真)の頭上を横切り3mほど先に着水します。
ザブーンと音を立てて池に飛び込んだハシブト・カラスは、そのままジャブ、ジャブと行水を始めます。
思う依存分水を浴びると陸に上がり、翼を小刻みに羽ばたき水を振り払います。
髪はカラスの濡れ羽色と言いますが、まさにその色でしたよ。

階段の途中で左を向いているコポ、寝室と放餌場との間に架かっている橋の上に座り正面を注視しているミイ。
ミイの肩に小さな左手を乗せ、寄りかかっているのが3月30日に産まれたコポとミイの仔です。
ミイにとっては11回目の出産で、この仔は16頭目に当たります。
それにしても、コポ一家は、行水後に現れたハシブト・カラスの濡れ羽色に驚いている様子ですね。

コポは階段の途中にいますが、その先にある寝室への出入口前に他の1頭が休んでいます。
ミイは、カラスの行水が終ったことを見て寝室の出入口へ向かうと、先客は階段を下りて橋を渡り放餌場へ出ます。コポは周りの様子を窺うようにして階段の途中に留まります。安心したミイは、自分の身繕いや仔に授乳を始めます。暫くすると、橋を渡って放餌場に出るコポを見たミイは、その後を追います。

この時放餌場にいたのは、コポ一家とさっきの1頭だけでしたが、コポはミイと仔を守っているような気配があります。出入口の先客は、コポたちと行動は共にしていますが、越えてはならない境界線があるようです。

コポ一家の行動を観察してシャッターチャンスを窺うほぼ1時間、ミイの仔は母親からひと時も離れようとはしません。コポとミイも仔の行動には注意を怠らないようですし、太い絆で結ばれている家族でした。

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