私は訪問してリハビリを提供する仕事をしています。
少しずつ機能改善をされているご利用者でも自身の改善に気付けない方が少なくありません。
理由は病気が原因で気付けないと考える事もできます。
しかし、スケールで評価して数値で示しても納得できない時もあります。
理由をご利用者の言葉から考えてみます。
“良くなったと言っても結局は自由に身体を動かしたり、話がでるわけじゃないですか”
完全とはいわなくても、不自由がない程度までの回復を期待されています。
もちろんそれは悪いことではなく当然の気持ちです。
そして、私も回復を目指してサポートします。
“よくなる”とはどのような状態を指すのでしょうか。
一つはご利用者が目指している回復ができた状態です。
しかし、この“よくなる”を目指すと完全回復が難しい場合がほとんどだと考えると茨の道となります。
そこで、私が思う“よくなる”は後遺症があること自体どうでも“よくなる”です。
私の立場でこのような事を言うと誤解を招きそうですが、大切な考え方だと思います。
後遺症のため不自由は残存しているが残された機能でいかに人生を謳歌するか考える。
できなくなった事にフォーカスするだけでなく、できる事にも注目して欲しいです。
これは口で言うのは簡単ですが非常に難しいです。
また、病気や障がいに関係なくこの考え方は重要だと考えます。
人は失ったモノや得られなかったモノに視点が向きやすいです。
・背が低くて悩む
・人と上手く関わる事ができない
・お金に恵まれない環境である
視点を悪いポイントはどうでも“よい”と考えてポジティブな点にフォーカスすると
背は低いけれど、人と上手く関われないけれど、お金はないけれど
屋根のある所で暖かくして眠れており、着る物も食物もある。
そんな自分を理解してくれる人が1人でもいれば、それはもう大きな幸せではないでしょうか。
そこまで極端に思考できないとしても
『今の自分を認めて受け入れる』
そして、『小さな幸せを噛み締める』
どんな状況であれこの2つの考え方があれば幸せに生きていけそうです。
偉そうに言いましたが、自分でも分かっているけど、できないんだな〜これが😅
「よくなる」の目標をそれ自体がどうでもよくなる方向に視点を変えてみる。
確かにその方が気持ちの上でも楽になる気がしますし、
色んな場面で同じようにも考えられますね。
なるほど〜🤔
ありがとうございます。
目標に向かって頑張る事が目的になってしまうとしんどいですよね。
目標の大前提は幸せになる事だと思うので目標が変わるのは問題ではないと思います。