TAZUKO多鶴子

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高校3年の頃にデッサン指導して下さった『宮忠彦先生』の油彩画

2007-05-21 | TAZUKO多鶴子からの伝言
ブログ写真の油彩画は
私の先生の作品です。
詳しくいいますと
TAZUKO多鶴子が17歳の頃
初めて専門的に絵の世界に触れた時
その受験のデッサン指導をして下さった
『宮忠彦』先生が制作された作品なのです。
随分長い間、部屋に飾ってあります。
宮先生の絵はもう一点
この家(亡き父の後、この家は兄の家)にはあるのですよ。
この作品を譲り受けたのは父で
古美術商をしていたTAZUKO多鶴子の祖父から
頂いたものだと記憶しています。
宮先生との出会いはとても不思議な偶然なのです…

私が高3の頃やっと
遅すぎる美大受験を決意しました。
その時
受験をご相談したのは高校の美術の先生でした。
「受験のデッサンを勉強する年齢が高3では遅すぎる。
間に合うかどうか分からないが
県内でも有名な東京芸大を卒業された
デッサン力の優れた凄い先生を紹介する…。」
と言われて高校の美術の先生から紹介された先生が
このブログ写真油彩画の作者『宮忠彦』先生でした。

デッサン教室に通い始めて分かったことですが…
先生との関係でビックリするような偶然があったのです。
今は亡き古美術商をしていた私の祖父が
どうも…以前から画家を育てていたようなのです。
それは宮先生と出会って分かった事なのですが
育てていた画家のその一人に宮先生がいらしていたようで…

宮先生には壷の修理を頼んだり、
絵を買ったり…
深い付き合いがあったと思われます。

宮先生が亡くなる直前の時でした。
展覧会場で、またまた宮先生に偶然お会いしたのです。
その時、宮先生が言われた言葉が今も私の記憶から離れません。
「亡くなった貴方のおじいさんは、
凄い眼を持っていたんだよ。
生きている間に教えてもらえば良かったのに…。
お世話になった…。」
宮先生の作品を観る度に
その言葉を思い出します。
そして
宮先生の深い厳しいデッサン指導が
今の私の作家としての軸になっている事は間違いありません。
宮先生のその指導は
手取り足取り教えて下さるのでなく
むしろ
何も教えず
褒め言葉も一切無く
注意する以外の言葉は
殆どありませんでした。
いつも厳しさが痛い程伝わってくるのです。
先生の心の奥にある空気を学べ…。
何も伝えず自らが気付き、
そして悟る…そんな感じでした。
ふと!ある昔の
有名な伝統工芸作家が云った言葉を思い出します。
「教えない方が良い。教えすぎると良く無い。…」
その言葉の奥深さは
私が宮先生から学んだ事と同じだと観じています。

現在、私も様々な指導に係っていますが
常に教えすぎる事に反省しています。
教えすぎると先が無くなるので…。
しかし
教えないとなると…
好き勝手にやって良いとも勘違いしてしまう…
学ぶ姿勢
それは
プロになる為であろうと
趣味であろうと同じであると思うのですが…

…でも…しかたないのです。
現代は教えすぎるやり方で無いと致し方ない…。
今という時代は
私が宮先生から教わった見事な指導に無理があるという
難しい現実があります…
教える立場でも
画家としても
常に私は葛藤し
激しく苦しんでいます。


「今…貧乏画家を育てる人間はいなくなってしまった
…それが現代だ。」
近年、私に言った叔父の言葉が
私の心に突き刺さっています。