TAZUKO多鶴子

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TAZUKO多鶴子は何故名字がない雅号なのか?

2007-05-25 | TAZUKO多鶴子からの伝言
今日は私の雅号について書き込みたいと思います。

『TAZUKO多鶴子』の雅号を
最終決定して下さったのは
イタリアで個展をした時のギャラリーオーナーでした。
最初は私が個人で『TAZUKO』(海外でも通用するように)
と付けいていたのですが…。
あれはイタリアの個展をする前でした。
たまたまその当時
日本に帰られていたギャラリーのオーナーにお会いしたのです。
その当時のイタリアでは
日本の漢字やひらがなが流行していたのですよ。
その関係もあって
「漢字を入れると覚えてもらいやすいかもしれない…漢字も入れてみては?」
とオーナーが言われて最終決定したのです。
しかし…更に…
多くの方はその前に
「何故名字が無いのか?」
と不思議に思われているかもしれません。
それには様々な理由があるのですが…
今日はその中の一つだけご紹介しておこうと思います。
それは殆どの方には伝えていない理由です。
その理由の一つとは
簡単にいうと
私が『日本女性』だからです。
「女は三界に家無し」
という言葉がありますが…
「女性差別だ!」と
昔は私も嫌な思いをしていました。
それも事実だとは思いますが…。
しかし
多くの経験等、様々な事が分かって来ると
深い意味では
違うのではないかと思うのです。
それは浅い考えだったと分かるのです…。
日本女性の美しさは
清楚で品がよく控えめで…そして精神が強く
だからこそ常に『家』や『男性』を陰で支えてきた…
その女性の姿があったからこそ
過去の文化や日本を強く支えていたのだと。
「三界に家無し」
それは悲しく辛いことであるかもしれませんが
多くを生かす事が出来る見事な生き方だと私は考えています。
その中に私は女性の崇高な美しさを観じます。
でももしかすると…私が日本女性だから
そう観じるのかもしれません。
それで
雅号に名字は必要が無い…これが本当は一番の理由でした。
女性美のエステの話しとか美しい身のこなしとか…
様々な情報が飛び交っている現在ですが…。
それにも係らず
今の時代は
私が美しいと思える日本女性は少なくなりました。
『大和撫子』
古来美徳とされ、清楚で凛とした、慎ましやかで、
一歩引いて男性を立て、
男性に尽くす甲斐甲斐しい日本女性。
私も画家として生きなければならない運命でなければ
このような女性でありたいと思い続け
努力している生き方を選んだと思うのです。