明けましておめでとうございます。
手が遅くてアート鑑賞記事が滞っています。
今回は、昨年11,12月に観た東京国立博物館、東京国立近代美術館などの展示から
アラカルト的に紹介します。 詳細は別途アップしたいと思いますが、また遅くな
りそうなので・・・
まず、11月6日(日)に行った東京国立博物館から
朝一番で行くと、トーハクのゲートに長い行列!・・・国宝展の行列です。
私は、国宝展のチケットは取れなかったので関係なかったのですが、指定日時予約
方式なのに、これでは、観るの大変だなーとチケット獲得意欲が失せました。
で、最初に述べておきますが、創立150年記念の各展示・・・素晴らしい!
国宝展を観なくても、そう思いました。
いつも以上に優れた作品が選ばれていた総合文化展
NHKが協賛制作した8K映像の迫力”救世観音””洛中洛外図屏風(舟木本)”
150年後の国宝展etc.
見逃した展示やピンボケ写真量産だったため11月26日(土)に再訪するのですが、
国宝展は諦めていました。・・・しかし、会期終了近くになって一週間の会期延長
が発表され、ようやくチケットが取れ、12月13日(火)に国宝展鑑賞。
ただし、国宝展はほとんど撮影禁止でした。
では、総合文化展(常設展)からいくつか。
みみずく土偶さんのお出迎え
根付け作品が凄かった。 トーハクの全所蔵品を展示しているかのようでした。
この「面づくし」、高さ3~4cmの作品なのに、各お面の表情が凄い。
マンモスの牙が素材だなんて!
外国作家の作品も面白い。
仏像コーナです。 この容貌!
この朱色は、愛欲の業火なのか・・・
クールな短刀
ピンボケですみません。
何十年か前の写真ですね。 私もこの付近からの撮影が好きです。
創立140年の広報から。 中谷美紀さんが美しい。
”時空をこえる8K”として、法隆寺 夢殿に納められた救世観音(造仏推定年代は629-654年)が凄いの一言。
実物を観たことも無いし、観ても大した感慨を持たなかったと思う救世観音がデジタルの力で、いきいきと
蘇っていた。 残念ながら救世観音のパートは撮影は禁止でした。
岩佐又兵衛作の洛中洛外図屏風(舟木本)を部分拡大して、当時の風俗の解説が楽しい。
一転、東洋館の中国書画コーナーで。 中国服?をまとった若い女性がいました。
普段は中国陶磁器を展示しているコーナーで、イスラム陶器の特集がグッド。
東洋館3Fの西域の美術コーナで数年に一度ぐらいで展示される舎利容器。
素晴らしいだけに、いつの日か現地に返還すべきと思うのですが、難しい
のでしょうね。
部分拡大
法隆寺宝物館から
法隆寺宝物館3Fから2Fに下りる階段で。 工事のシートが張られているのですが面白くて。
表慶館では”150年後の国宝展”
でました、ゴジラ。
回転ずしの機械が対象?と思ったら、湖池屋のポテトチップスが未来の国宝候補だって。
手塚治虫の漫画が候補になっていたのは納得。
国宝展の撮影可能作品で、金剛力士立像(平安時代12世紀)
11月26日 庭園の池で
ここから、11月26日(土)に訪れた国立西洋美術館
「ピカソとその時代」ベルリン国立ベルクグリューン美術館展から
ピカソ・・・本当に面白い、凄い。
クレーもいい
常設展ではハンマースホイの作品を
版画コーナも良かった。
12月13日(火)東京国立近代美術館の 大竹伸朗展へ
美術館2F屋上に設置された”宇和島駅”のネオンサインが、大竹伸朗らしくて面白い。
夜、ネオンが灯ったとこを観たいけど。
会場の入り口部分で
とりあえず、以上です。
「150年後もお待ちしております」の気の長いスパンがいいですね。
ポスターの写真も素敵です。
私も今度行ったら真似して撮ってみたいと思います。
舎利容器、素晴らしいですね。
インドや西域、中近東など、色々な雰囲気が感じられます。
麻布の中が丸太とは、よくここまで保存出来たものですね。
見たとき、新鮮な感じを受けました。 調べると
ポスターの制作担当者の思いがWebに載っていま
したので、以下に引用。
”写真は、来館者が本館を訪れ、帰っていく様子をとらえた、1955年に撮影されたものです。
昔も、今も、未来も、人々が博物館を訪れ、帰っていきます。その連綿と続く営みを感じさせ、世代や時代が変化しても、文化の継承や交流の場として存在し続ける思いを込めました。
美術品、文化、場所は、人ひとりの人生を超える
大きな時間の単位を持っています。
このビジュアルの写真に映っている人は、この世
にいないかもしれませんが、その人の子や孫が、
未来で同じ場所に立ち、同じ作品を見ているかも
しれません。
誰が、または何が、このキャッチコピーをあなた
に語りかけているのかを考えてみると、面白いか
もしれません” 以上
越後美人さんも是非、玄関口から撮ってみてくだ
さい。
舎利容器は、大谷探検隊が持ち帰ったものの一つ
ですが、当時は欧米などの列強が世界の貴重な文
化遺産を発掘し持ち去っていました。
西域の敦煌莫高窟などもそうですが、乾燥した砂
漠気候なので、運よく保存できたのだと思います。
でも数年前のある記事で、現地の文化関係者が、
この舎利容器が日本にあることに憤慨しているの
を見ました。その気持ちもわかるので、いつの日
にか返還をと思った次第です。