世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 シリア難民の「今」を知る。トルコ~シリア・国境レポート!

2014-05-05 17:42:56 | 日記
2014年5月5日。

※ガディアンテップからキリスに向かうバスの中で出会ったシリア人青年が見せてくれたシリアの紙幣。彼は紙幣に描かれたアサド大統領に向かって、その恨みを口にしていた。

《僕がトルコに来た一番の目的。それはカッパドキアでもパムッカレでもなく、トルコに逃れてきたシリア難民の現状を少しでもこの目で見ることだった。そして僕はシリアとの国境に程近い街、キリスへと向かった。》

情報は全然なかった。

色々なトルコ人に聞いてみたが、「このあたりにたくさん逃げてきているよ」というようなアバウトな情報しか手に入らず、具体的には情報は何もなかった。

ネットでも色々調べてみたところ、トルコ南部の街ガディアンテップから南にさらに下ったところにあるキリスという街に、たくさんのシリア人が逃れてきているというような話があった。

具体的な情報は何もない。キリスという街がどのくらい危険なのかも分からない。ただ1つ確かな情報は、日本の外務省の海外安全ホームページによれば、キリスのある地域は「渡航延期勧告」が発令されているということは間違いなかった。

※キリス行きのバスの中でメッチャ僕に話し掛けてきたシリア人青年。



とにかく僕はガディアンテップまで行き、そこで情報を得て動きを決めようと思った。

カッパドキアを後にし、僕は一路バスに乗りガディアンテップに向かった。

早朝ガディアンテップに到着した僕は、とにかくバスターミナルにいるおっちゃん達に「キリスには行けるの?」と聞いてみた。

すると、どの人からもあっけない返事が・・・。

「キリス?そんなの15分おきにバスが出てるから、それに乗っていけばいいよ。」とのこと。

もちろん僕は「キリスは危なくないの?シリア人がたくさん逃れてきている場所ですよね?」と聞いてみたのだが、みんな揃って、

「ノープロブレム!」

キリスに向かうバスには、どこからどうみても普通の人々がたくさん乗っている。確かに危険な雰囲気ではない。

それを見て、僕は決めた。キリスまで行ってみようと。

※キリスのバスターミナルにて。一緒にバスに乗っていたシリア人のおっちゃん達と。



バスに乗ることおよそ1時間半。バスはキリスにあるバスターミナルに到着した。しかしそのバスがターミナルに到着する前から、僕のシリア人への取材は始まっていた。いや、正確に言うと、始めさせられていたのだ。

どういうことかと言うと、そのバスに乗っていたのはほとんどがシリア人だったのだ。そして東洋の顔をした僕のことをみんなが凝視し、次から次へと質問をしてくるのだ。

しかしそれはアラビア語のみの質問で、英語を話せる人も誰一人としていなかった。も~何言っているのかサッパリ分からん!でもそんなのお構いなし、みんな寄ってたかって僕に話し掛けてくる。

僕はヨルダンでもシリア人の難民キャンプを訪れて来たが、シリア人というのは本当に温かくて人懐っこい。彼らは戦火を逃れて遠く離れた場所まで逃げてきているというのに、まるでそんなことを感じさせない。僕はそんな「シリア人」という人々に、とても関心を抱いていた。

※大きな荷物を抱えて移動するシリア人たち。



彼らと色々話した末に、バスを降りる。

そこで僕は初めて、このキリスという街が「シリア人が逃れてきている街」だということが分かった。

バスターミナルに群がる大きな荷物を抱えた人々。ほとんどが、シリアからの難民だという。トルコよりも遥かに厳格なイスラム教徒が多い国シリア。女性の多くは真っ黒なアバヤで全身を包んでいる。ついさっきまでいたガディアンテップには真っ黒なアバヤなどほとんど見なかったのに、キリスに着いた途端、その様相は一変したのである。

バスターミナルに着いても、みんなが僕のことを凝視してくる。そりゃそうだ、今ここは観光客が来るようなところではない、「退避勧告」が発令されているような場所なのだ。外国人と思しき人間は、どこをどう見ても僕しかいなかった。

だからと言って身の危険を感じたかと言うと、それは全くなかった。そこがアラブ世界の不思議なところで、イスラムの教えを厳格に守る彼らは、外国人には基本的にとても優しい。ちょっとだまくらかしてやろうか・・・というような輩はいるが、強奪をされるような危機感はまず感じない。

※バスターミナルの前では、いくつものリヤカーが往来していた。



キリスの街を歩く。

そして人々を見る。

イスタンブールや大観光地のカッパドキアなどとは、全く異なる街並みがそこには広がっていた。

そう、まるで突然ヨルダンに戻ってきたかのような、そんな雰囲気だった。

僕は色々な人に話し掛けてみた。もちろん英語はほとんど通じないが、たまに少し話せる人がいるので、何とか少しずつ情報を得てみる。すると・・・。

街中の半分くらいの人は、シリア人だったと思う。

よく誤解されているのだが、日本人は「難民」と聞くと、全員がテントやバラックの小屋に住んでいると思っている人が多い。しかし現実はそうではなく、普通の街中に住んでいる人の方が多いのである。このキリスも、もはや「シリア難民の街」になりつつあるようなのだ。

※まるでヨルダンやエジプトの田舎を思い出させる、キリスの街中。



不自然なほどに穏やかだった。

数キロ先はシリアとの国境であり、その先では今も激しい戦闘が行われている。そんな危険地帯の最前線なのに、キリスの街は驚くほど静かで穏やかだった。確かに慌ただしく大きな荷物を抱えたリヤカーが行き来はしているものの、人々が危機感に包まれている雰囲気はない。そんな不思議な場所だった。

※難民が集まっているとは思えない、穏やかな市場。



そして、僕は密かに考えていた。

「出来ることなら、キリス周辺にあるという難民キャンプにも訪れてみたい」と。

僕は優しそうなおっちゃんを選んで、何人かの人に聞いてみた。もちろん英語は通じないのでテントやコンテナの絵を書いて、ここに行けるかどうか聞いてみたのだ。

すると・・・。

「ああ、コンテナキャンプか。あのバスで行けるよ。10分くらいかな?」というのだ。

もちろん僕は一応「危険じゃないの?大丈夫?」と確認する。するとみんな、

「ノープロブレム!」


僕は決めた。「よし、コンテナキャンプまで行ってやる。そこでもっとリアルな現状をこの目で見よう。」と。

僕は言われた通りのバスに乗った。そしてそのバスが向かった先は・・・そこからが、この取材の本当のドラマだった・・・!

※「ここエジプトだよ」と言ったら間違えてしまいそうな、キリスの街中。


※珍しく2部編で。続きは次回です、よろしくお願い致します!

2014年5月5日。日本のゴールデンウィークのような爽やかな気候が心地よい、トラブゾンの安宿にて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 Friends of 中国 in Kappadokya!俺らはきっと仲良くできる!

2014-05-05 02:40:18 | 日記
2014年5月4日。

《トルコ一の大観光地、カッパドキア。素晴らしい景色や遺跡など、もちろんカッパドキアそのものも楽しかったのだが、それ以上に僕は「人」を楽しむことが出来た。それも最近話題の中国の人たちと・・・!》

「国家と人々は違う。」僕は常々そう言ってきたし、もちろんそう思っている。

そう思ってはいるが、実際の僕はそうではなかったことを改めて気付かされた。やはり心のどこかで、最近のニュースに魂は引っ張られていたのだ。

僕はカッパドキアであるツアーに参加したのだが、そこには数人の中国人がいた。その中の1人の中国人に、今までにない中国人がいた。

彼は僕が日本人だと分かると、ずっと僕に色々な話をしてくれたのだ。それは反日的なものでは一切なく、逆に日本人を称賛する話ばかりをしてくれたのだ。

彼の名前はジェンくん(仮名)。現在はロンドンに住んでいるという青年だ。その彼は、僕にとても興味深い話をしてくれた。その話を聞いていて「お、これはぜひブログで色んな方々と共有したい!」と思い、僕は今回の記事を書くことに決めたのだ。

ちなみに日本人である僕に対して、この写真に写っている全員が温かい接し方をしてくれた。たった4人ではあるけれども、誰一人として嫌な態度を取る人はいなかったのだ。そのことは客観的に見ても興味深いし、僕という個人的な見方としてもとても気持ちの良いものだった。

では、その中でも一番僕に色々話をしてくれたジェンくんの話の一部を紹介したいと思います!以下の話は、ジェンくんが言ったことをそのまま紹介しています。

※カッパドキアの岩窟教会の前で一枚~!


衝撃的だったジェン君の話:NO,1「ロンドンでたくさんの日本人と出会って初めて分かったんだけど、日本人は素晴らしいね。」

彼は中国本土の出身だが、ロンドンに行くまで日本人と接したことはほとんどなかったという。そしてロンドンで初めて多くの日本人と接してみて、日本人の振る舞いや態度に感心したという。

彼が特に強調していたのは、日本人の「清潔さ」と「礼儀正しさ」だった。彼はこう言っていた。

「日本人は必ず自分の食べたお皿などは片付けるし、身の回りのものはいつも清潔に整理整頓している。とても丁寧だし、礼儀正しい。中国人とは全然違うよ!(笑)とてもビックリしたんだ。」

さらに、こうも言っていた。

「知ってる?イギリス人は日本人のことがとても大好きなんだよ。日本食のお店や日本人向けのデパートなどもたくさんあるし。最初はその意味が分からなかったけど、後になって僕も分かってきたよ。」

嬉しいですよね、単純に。そしてそのときジェンくんと接してくれた日本人も、きっと素晴らしい日本人だったのだろう。僕が何かをしたわけではないのに、なんだかすごく嬉しくなってしまった。


衝撃的だったジェン君の話:NO,2「僕は中国の教育で、特に先の戦争のことにおいて日本人は悪いとばかり教わっていた。でも実際に日本人と会ってみて、それは違うと分かったんだ。」

これには色々な衝撃が僕にはあった。

日本の報道でも中国や韓国は反日教育を続けているとよく言われているが、日本に住んでいる僕たちにはそれがどこまで本当で、またどの程度の反日教育なのかを知る術はなかなかない。僕自身も「一体どこまでが真実なのだろう?」という想いはずっとあった。

だから、ジェンくんの一言は僕には大きかった。そして僕は彼に「実際にはどんなことを教わってきたの?」と聞いてみた。すると・・・、

「あの戦争で、とにかく日本人は悪いことをしたんだとばかり教わった。そしてだから日本人はダメな民族なんだと。でも会ってみたら全然違ったんだ。」

これには悲しさと嬉しさが同居する。やはり行われている反日教育への悲しさと、実際の日本人は違うんだと分かってくれた嬉しさ。この話を聞いたとき、僕のここには複雑な感情が生まれたのを覚えている。


衝撃的だったジェンくんの話:NO,3「反日のデモに参加しているのなんて、ごく一部の人だよ。日本の自動車を叩き壊したって何の意味もない。」

多くの日本人が、反日デモに参加しているような中国人は一部の人であると願っていたのではないだろうか。そして実際にそうであると中国人の青年の口から聞けたことは、僕としてもなんだかすごくホッとしたような気持ちになった。

そしてジェンくんはこうも話していた。

「日本製品を壊したって、その品質の高さは疑いようがない。そして僕たち中国人の選択肢には、たとえばカメラなら、キャノンかソニーかニコンしかないのだから(笑)。トヨタの自動車を壊しながらキャノンのカメラで写真を撮っているんだから、どうしようもないよね。」

僕はこの話に衝撃を受けた。何故なら、キャノンのカメラを片手に日本の自動車を壊す人の写真が日本のニュースで報じられていたのをハッキリ覚えているからだ。だからそれと同じ話が中国人の口から聞けるとは思っていなかったので、非常にビックリしたのだ。

※5人一緒にカッパドキアの地下都市を巡ったのですが、とにかく観光客が多くて死にそうでした~・・・。


この日のツアーが始まってすぐジェンくんとは仲良くなり、色々な話をした。もちろんカッパドキアの景色や地下都市なども大いに楽しかったが、僕にとってはジェンくんとの「リアルトーク」の方が何倍も楽しかった。

そして僕はハッと気付かされたのだ。

僕はそういう気持ちを持たないように努めてきたつもりだ。だけどやっぱり、僕の心は「報道ごときに左右されていたのだ」と。

反日の報道がたくさんあり、それに乗じて「反中・反韓」の報道も多くなる。それを見ていると、やっぱり心のどこかに「反中・反韓」の感情が芽生えてしまう。

するとどうしても、そういう目で中国人や観光人の旅人や観光客を見てしまう。そういう気持ちを持たないように・・・と思っていても、そういう気持ちを大いに持ってしまっていた自分に気付かされた。


「国家と国民は違う。」でも「国家が国民に与える影響は、多分に大きいのだ。」それを改めて感じた。


ジェンくんは本当に大切なことを僕に気付かせてくれた。そして本人も語ってくれた。

「対立しているのは国家。人々は対立なんて望んていない。だから僕らが良い友達になるのは難しくないよ!」


ちなみにこの4人の中国人のうち、なんと3人が日本に旅行に言ったことがあるという。そして3人とも、日本のことをとても良く思ってくれていた。もちろん実は悪く思っていたとしても僕の前だから言えなかったのかもしれない、という詮索も出来てしまうが、彼らの話し方から僕が感じたところでは、本当に好意的に思ってくれているような気がした。

さらに、これはまぁ微妙な話なのだが・・・。1人のイギリス人がおばあちゃんが僕たち5人を見て、誰がどこの国の人かを当て始めたのだ(もちろんただの遊びで)。すると女性ふたりは日本人だと予想したのだが、その時の2人の反応が僕には意外だった。

2人とも、笑顔で「thank you!」と言ったんですよね・・・。

日本人と言われて、全然嫌な様子ではなかった。つまりここで考えてみたいのは、若い中国人の中には本当はどういった日本への感情があるのかということだと思う。

※このツアーでは、とっても愉快なトルコ人も一緒でした。トルコ人とも「民間交流」たくさんしてきましたよ~!(笑)

いずれにしても、僕は改めて悟った。

「国家と国民は違う。」

もちろん国民が国家の運営者を選んでいるのだから(現実的には中国は違うわけですが)違うわけはないのだが、でもやっぱり違う面はある。

よく「国家の対立はあっても、民間の交流は大切にしましょう」と言われるが、きっとそれは間違いない。いや、民間の交流こそが、国家の関係までをも変えられる力がるのではないだろうか。

「民間の交流。」それはたとえば、大きなNGOなどでなければで出来ないというものではない。

今の僕で言えば、各地で出会う全ての国の方々と誠実に接すること。それが何より大切な、今の僕に出来る「民間の交流」だと思っている。


僕は本当にジェンくんとの、そして他の3人との中国人とのご縁に感謝をしている。そしてこのご縁は、僕に何かのメッセージがあるのだと思っている。

そのメッセージをしっかりと心で受け止め、そしてどう振る舞うかは、そう。僕次第なのだ。


2014年5月4日。久しぶりのシングルルームでちょっとノンビリしている、トルコ北東部のトラブゾンの安宿にて。



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