2014年5月5日。
※ガディアンテップからキリスに向かうバスの中で出会ったシリア人青年が見せてくれたシリアの紙幣。彼は紙幣に描かれたアサド大統領に向かって、その恨みを口にしていた。
《僕がトルコに来た一番の目的。それはカッパドキアでもパムッカレでもなく、トルコに逃れてきたシリア難民の現状を少しでもこの目で見ることだった。そして僕はシリアとの国境に程近い街、キリスへと向かった。》
情報は全然なかった。
色々なトルコ人に聞いてみたが、「このあたりにたくさん逃げてきているよ」というようなアバウトな情報しか手に入らず、具体的には情報は何もなかった。
ネットでも色々調べてみたところ、トルコ南部の街ガディアンテップから南にさらに下ったところにあるキリスという街に、たくさんのシリア人が逃れてきているというような話があった。
具体的な情報は何もない。キリスという街がどのくらい危険なのかも分からない。ただ1つ確かな情報は、日本の外務省の海外安全ホームページによれば、キリスのある地域は「渡航延期勧告」が発令されているということは間違いなかった。
※キリス行きのバスの中でメッチャ僕に話し掛けてきたシリア人青年。
とにかく僕はガディアンテップまで行き、そこで情報を得て動きを決めようと思った。
カッパドキアを後にし、僕は一路バスに乗りガディアンテップに向かった。
早朝ガディアンテップに到着した僕は、とにかくバスターミナルにいるおっちゃん達に「キリスには行けるの?」と聞いてみた。
すると、どの人からもあっけない返事が・・・。
「キリス?そんなの15分おきにバスが出てるから、それに乗っていけばいいよ。」とのこと。
もちろん僕は「キリスは危なくないの?シリア人がたくさん逃れてきている場所ですよね?」と聞いてみたのだが、みんな揃って、
「ノープロブレム!」
キリスに向かうバスには、どこからどうみても普通の人々がたくさん乗っている。確かに危険な雰囲気ではない。
それを見て、僕は決めた。キリスまで行ってみようと。
※キリスのバスターミナルにて。一緒にバスに乗っていたシリア人のおっちゃん達と。
バスに乗ることおよそ1時間半。バスはキリスにあるバスターミナルに到着した。しかしそのバスがターミナルに到着する前から、僕のシリア人への取材は始まっていた。いや、正確に言うと、始めさせられていたのだ。
どういうことかと言うと、そのバスに乗っていたのはほとんどがシリア人だったのだ。そして東洋の顔をした僕のことをみんなが凝視し、次から次へと質問をしてくるのだ。
しかしそれはアラビア語のみの質問で、英語を話せる人も誰一人としていなかった。も~何言っているのかサッパリ分からん!でもそんなのお構いなし、みんな寄ってたかって僕に話し掛けてくる。
僕はヨルダンでもシリア人の難民キャンプを訪れて来たが、シリア人というのは本当に温かくて人懐っこい。彼らは戦火を逃れて遠く離れた場所まで逃げてきているというのに、まるでそんなことを感じさせない。僕はそんな「シリア人」という人々に、とても関心を抱いていた。
※大きな荷物を抱えて移動するシリア人たち。
彼らと色々話した末に、バスを降りる。
そこで僕は初めて、このキリスという街が「シリア人が逃れてきている街」だということが分かった。
バスターミナルに群がる大きな荷物を抱えた人々。ほとんどが、シリアからの難民だという。トルコよりも遥かに厳格なイスラム教徒が多い国シリア。女性の多くは真っ黒なアバヤで全身を包んでいる。ついさっきまでいたガディアンテップには真っ黒なアバヤなどほとんど見なかったのに、キリスに着いた途端、その様相は一変したのである。
バスターミナルに着いても、みんなが僕のことを凝視してくる。そりゃそうだ、今ここは観光客が来るようなところではない、「退避勧告」が発令されているような場所なのだ。外国人と思しき人間は、どこをどう見ても僕しかいなかった。
だからと言って身の危険を感じたかと言うと、それは全くなかった。そこがアラブ世界の不思議なところで、イスラムの教えを厳格に守る彼らは、外国人には基本的にとても優しい。ちょっとだまくらかしてやろうか・・・というような輩はいるが、強奪をされるような危機感はまず感じない。
※バスターミナルの前では、いくつものリヤカーが往来していた。
キリスの街を歩く。
そして人々を見る。
イスタンブールや大観光地のカッパドキアなどとは、全く異なる街並みがそこには広がっていた。
そう、まるで突然ヨルダンに戻ってきたかのような、そんな雰囲気だった。
僕は色々な人に話し掛けてみた。もちろん英語はほとんど通じないが、たまに少し話せる人がいるので、何とか少しずつ情報を得てみる。すると・・・。
街中の半分くらいの人は、シリア人だったと思う。
よく誤解されているのだが、日本人は「難民」と聞くと、全員がテントやバラックの小屋に住んでいると思っている人が多い。しかし現実はそうではなく、普通の街中に住んでいる人の方が多いのである。このキリスも、もはや「シリア難民の街」になりつつあるようなのだ。
※まるでヨルダンやエジプトの田舎を思い出させる、キリスの街中。
不自然なほどに穏やかだった。
数キロ先はシリアとの国境であり、その先では今も激しい戦闘が行われている。そんな危険地帯の最前線なのに、キリスの街は驚くほど静かで穏やかだった。確かに慌ただしく大きな荷物を抱えたリヤカーが行き来はしているものの、人々が危機感に包まれている雰囲気はない。そんな不思議な場所だった。
※難民が集まっているとは思えない、穏やかな市場。
そして、僕は密かに考えていた。
「出来ることなら、キリス周辺にあるという難民キャンプにも訪れてみたい」と。
僕は優しそうなおっちゃんを選んで、何人かの人に聞いてみた。もちろん英語は通じないのでテントやコンテナの絵を書いて、ここに行けるかどうか聞いてみたのだ。
すると・・・。
「ああ、コンテナキャンプか。あのバスで行けるよ。10分くらいかな?」というのだ。
もちろん僕は一応「危険じゃないの?大丈夫?」と確認する。するとみんな、
「ノープロブレム!」
僕は決めた。「よし、コンテナキャンプまで行ってやる。そこでもっとリアルな現状をこの目で見よう。」と。
僕は言われた通りのバスに乗った。そしてそのバスが向かった先は・・・そこからが、この取材の本当のドラマだった・・・!
※「ここエジプトだよ」と言ったら間違えてしまいそうな、キリスの街中。
※珍しく2部編で。続きは次回です、よろしくお願い致します!
2014年5月5日。日本のゴールデンウィークのような爽やかな気候が心地よい、トラブゾンの安宿にて。
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※ガディアンテップからキリスに向かうバスの中で出会ったシリア人青年が見せてくれたシリアの紙幣。彼は紙幣に描かれたアサド大統領に向かって、その恨みを口にしていた。
《僕がトルコに来た一番の目的。それはカッパドキアでもパムッカレでもなく、トルコに逃れてきたシリア難民の現状を少しでもこの目で見ることだった。そして僕はシリアとの国境に程近い街、キリスへと向かった。》
情報は全然なかった。
色々なトルコ人に聞いてみたが、「このあたりにたくさん逃げてきているよ」というようなアバウトな情報しか手に入らず、具体的には情報は何もなかった。
ネットでも色々調べてみたところ、トルコ南部の街ガディアンテップから南にさらに下ったところにあるキリスという街に、たくさんのシリア人が逃れてきているというような話があった。
具体的な情報は何もない。キリスという街がどのくらい危険なのかも分からない。ただ1つ確かな情報は、日本の外務省の海外安全ホームページによれば、キリスのある地域は「渡航延期勧告」が発令されているということは間違いなかった。
※キリス行きのバスの中でメッチャ僕に話し掛けてきたシリア人青年。
とにかく僕はガディアンテップまで行き、そこで情報を得て動きを決めようと思った。
カッパドキアを後にし、僕は一路バスに乗りガディアンテップに向かった。
早朝ガディアンテップに到着した僕は、とにかくバスターミナルにいるおっちゃん達に「キリスには行けるの?」と聞いてみた。
すると、どの人からもあっけない返事が・・・。
「キリス?そんなの15分おきにバスが出てるから、それに乗っていけばいいよ。」とのこと。
もちろん僕は「キリスは危なくないの?シリア人がたくさん逃れてきている場所ですよね?」と聞いてみたのだが、みんな揃って、
「ノープロブレム!」
キリスに向かうバスには、どこからどうみても普通の人々がたくさん乗っている。確かに危険な雰囲気ではない。
それを見て、僕は決めた。キリスまで行ってみようと。
※キリスのバスターミナルにて。一緒にバスに乗っていたシリア人のおっちゃん達と。
バスに乗ることおよそ1時間半。バスはキリスにあるバスターミナルに到着した。しかしそのバスがターミナルに到着する前から、僕のシリア人への取材は始まっていた。いや、正確に言うと、始めさせられていたのだ。
どういうことかと言うと、そのバスに乗っていたのはほとんどがシリア人だったのだ。そして東洋の顔をした僕のことをみんなが凝視し、次から次へと質問をしてくるのだ。
しかしそれはアラビア語のみの質問で、英語を話せる人も誰一人としていなかった。も~何言っているのかサッパリ分からん!でもそんなのお構いなし、みんな寄ってたかって僕に話し掛けてくる。
僕はヨルダンでもシリア人の難民キャンプを訪れて来たが、シリア人というのは本当に温かくて人懐っこい。彼らは戦火を逃れて遠く離れた場所まで逃げてきているというのに、まるでそんなことを感じさせない。僕はそんな「シリア人」という人々に、とても関心を抱いていた。
※大きな荷物を抱えて移動するシリア人たち。
彼らと色々話した末に、バスを降りる。
そこで僕は初めて、このキリスという街が「シリア人が逃れてきている街」だということが分かった。
バスターミナルに群がる大きな荷物を抱えた人々。ほとんどが、シリアからの難民だという。トルコよりも遥かに厳格なイスラム教徒が多い国シリア。女性の多くは真っ黒なアバヤで全身を包んでいる。ついさっきまでいたガディアンテップには真っ黒なアバヤなどほとんど見なかったのに、キリスに着いた途端、その様相は一変したのである。
バスターミナルに着いても、みんなが僕のことを凝視してくる。そりゃそうだ、今ここは観光客が来るようなところではない、「退避勧告」が発令されているような場所なのだ。外国人と思しき人間は、どこをどう見ても僕しかいなかった。
だからと言って身の危険を感じたかと言うと、それは全くなかった。そこがアラブ世界の不思議なところで、イスラムの教えを厳格に守る彼らは、外国人には基本的にとても優しい。ちょっとだまくらかしてやろうか・・・というような輩はいるが、強奪をされるような危機感はまず感じない。
※バスターミナルの前では、いくつものリヤカーが往来していた。
キリスの街を歩く。
そして人々を見る。
イスタンブールや大観光地のカッパドキアなどとは、全く異なる街並みがそこには広がっていた。
そう、まるで突然ヨルダンに戻ってきたかのような、そんな雰囲気だった。
僕は色々な人に話し掛けてみた。もちろん英語はほとんど通じないが、たまに少し話せる人がいるので、何とか少しずつ情報を得てみる。すると・・・。
街中の半分くらいの人は、シリア人だったと思う。
よく誤解されているのだが、日本人は「難民」と聞くと、全員がテントやバラックの小屋に住んでいると思っている人が多い。しかし現実はそうではなく、普通の街中に住んでいる人の方が多いのである。このキリスも、もはや「シリア難民の街」になりつつあるようなのだ。
※まるでヨルダンやエジプトの田舎を思い出させる、キリスの街中。
不自然なほどに穏やかだった。
数キロ先はシリアとの国境であり、その先では今も激しい戦闘が行われている。そんな危険地帯の最前線なのに、キリスの街は驚くほど静かで穏やかだった。確かに慌ただしく大きな荷物を抱えたリヤカーが行き来はしているものの、人々が危機感に包まれている雰囲気はない。そんな不思議な場所だった。
※難民が集まっているとは思えない、穏やかな市場。
そして、僕は密かに考えていた。
「出来ることなら、キリス周辺にあるという難民キャンプにも訪れてみたい」と。
僕は優しそうなおっちゃんを選んで、何人かの人に聞いてみた。もちろん英語は通じないのでテントやコンテナの絵を書いて、ここに行けるかどうか聞いてみたのだ。
すると・・・。
「ああ、コンテナキャンプか。あのバスで行けるよ。10分くらいかな?」というのだ。
もちろん僕は一応「危険じゃないの?大丈夫?」と確認する。するとみんな、
「ノープロブレム!」
僕は決めた。「よし、コンテナキャンプまで行ってやる。そこでもっとリアルな現状をこの目で見よう。」と。
僕は言われた通りのバスに乗った。そしてそのバスが向かった先は・・・そこからが、この取材の本当のドラマだった・・・!
※「ここエジプトだよ」と言ったら間違えてしまいそうな、キリスの街中。
※珍しく2部編で。続きは次回です、よろしくお願い致します!
2014年5月5日。日本のゴールデンウィークのような爽やかな気候が心地よい、トラブゾンの安宿にて。
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