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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 シリア難民の今を知る。トルコ~シリア国境レポートvol,2

2014-05-07 00:52:18 | 日記
2014年5月6日。

《ということで・・・「シリア難民キャンプレポート」前回の続編でございます。どうぞよろしくお願い致します!》

とても優しそうな目をしたおっちゃんが僕に力強く言った。

「コンテナキャンプ?大丈夫、ノープロブレムだよ!」

でも実は、僕はネットで調べていた。トルコのシリア難民のキャンプは管理が非常に厳しく、ジャーナリストさえも敷地内に入ることは出来ないと。

それだけは知っていたので、僕はちょっとだけ恐れていた。が、キリスの街のあまりの穏やかさと人々の優しを感じていた僕は「あわよくば中に入れたりしちゃうんじゃないかな~」などと、楽観的に考えていた。


そんな複雑な気持ちを抱えながら、僕はバスに乗り込んだ。おっちゃん曰く、キャンプまでの所要時間はたったの10分。キリスの市内からは見えないが、きっとすぐそこにテントが建ち並ぶキャンプがあるのだろうと僕は思っていた。

そう、それはトルコ国内に・・・。


キリス市内を抜けるとその道は、ただひたすらに一直線だった。そして路肩には何故か大量のトラック停まっている。その理由は後で分かるのだが・・・。

※停車しているトラックと、シリアから逃れてきた難民たち。


バスに乗ること約10分、大きなゲートが見えてきた。英語表記がないのでそれが何を意味しているのかは分からない。「何のゲートだろうな~」と考えていると、運転手が僕に言った。

※これがそのゲート。トルコとシリアの国境である。


「シリア、シリア!」

なにぃ、シリアだと?それはアカン、それはいくらなんでも危険や!なんだよおい、コンテナキャンプってトルコ国内じゃないのか?まさかシリア側のキャンプのことだったのか!てことはあのゲートはシリアとの国境か・・・こりゃヤバイところに来ちまったぜ・・・!

その時初めて分かったのだが、そのバスはシリアとの国境とキリス市内を往復するバスだったのだ。そして路肩に停まっている大量のトラックは、シリア国内への入国を待つトラックなのである。

「なんてこった、いくらなんでも国境に来る気はなかったぞ・・・。さすがにそれは危ないんじゃないのか・・・?」

更なる複雑な心境を抱えながらも、もうここまで来てしまったからには仕方ない。行くしかねぇ!僕は腹をくくって国境の手前でバスを降りた。

のだが・・・そこはキリス市内と同じく、意外なまでに穏やかだった。確かにひっきりなしにシリア人は往来しているし、キリス市内に向かうバスも大混雑だ。だけど不思議なことに、戦火を逃れて絶望に伏すような人々など1人もおらず、みんなまるでいつもの通りの日常を過ごしているかのような様相だった。

※驚いたことに、国境にはチャーイ屋やケバブ屋などお店がいくつか開かれていた。


そんな不思議な光景を眺めながら僕が立ちすくんでいると、1人のシリア人の青年が話し掛けてくれた。


「コンテナキャンプ?この向こうだよ、白い家が見えるでしょ?でもポリスがいるから、ポリスの許可を取らないと中には入れないと思うよ。」

※あの壁の向こう側はシリア。難民キャンプは壁の向こう側にあるという。


そりゃそうだ、「ご自由にどうぞ」のわけがない。しかもそこはシリア側。ダメで元々、負けて当然、僕は思い切ってゲート前にいるポリスに話し掛けてみた。

「僕は日本からやって来ました。シリア難民の現状をこの目でぜひ見て勉強したいんです。中に入ることはできないでしょうか?」

みたいなことを言ってみたが、答えは当然「ノー!!!」ほとんど聞く耳を持ってもらえず、追い払われてしまった。まぁ当然だ。

でもこれは想定内のことなので問題ない。僕は国境付近に集まっているシリア人の取材をしようと決めた。そして屯しているシリア人たちの輪に近付いて行ったのだが・・・。

※国境に集まっているシリア人たち。



ここでもシリア人の明るさと人懐っこさに僕は驚かされた。

「なんでこんなところに東洋人がいるんだ?」とばかりに、次から次へと僕に話し掛けてくる。そしてチャーイ(お茶)はくれるわビスケットはくれるわ、彼らは皆「難民」で本当に苦しい立場のはずなのに、突然現れた日本人の僕にとても優しく接してくれるのだ。

ヨルダンで訪れたザータリ難民キャンプでも同じだった。一体シリア人とはどういう人たちなのだろう。僕はその温かさに本当に心を打たれていた。

そして仲良くなると、彼らは色々な現実を話してくれた。

「俺の弟は撃たれて死んだ。家族はまだシリア国内にいるんだ。。」

「アサドはクソッタレだ。彼らは道端で処刑をしている。」

「彼の足を見てみな。彼は2発足に銃弾を受けたんだ。」


その話を、僕はどういう心境で、そしてどういう目をして聞くべきなのかが分からなかった。シリア人の人柄なのだろう、みんな淡々と話をしてくれる。しかしその内容はあまりにも重く、そして悲しみに満ちている。でも彼らは誰1人として涙を流すこともなく、淡々と僕に伝えてくれた。

「僕は日本から、あなたたちの現状を知るために来ました。日本では毎日のようにシリアのことが報道されています。僕はあなたたちと話したことを日本に伝え、そして1日でも早くシリアに平和が戻ってくることを祈り続けています。」

僕に色々な話をしてくれた初老の男性の手を握りながら、僕が遊びでここに来たのではないこと、そして日本の人々にシリアの現状を少しでも伝えることを約束した。彼はその堀の深い顔で大きくうなずき,、「サンキュー、サンキュー」と何度も言ってくれた。

その顔には、その笑顔の奥には、今そこにある悲しい現実が滲み出ているような気がした。

※バスを待つシリア人の夫婦。


そう、ここはシリアとの国境。数キロ先では激しい銃撃戦が行われているのだ。僕はそのことに改めて思いを馳せ、キリスへと戻ろうとした・・・のだが!


そう、そうなんです。ここで終われば良い話で終わりですよね?違うんですよ、ここからが大変だったんですよ・・・!


恐れていたことが起きてしまった。

それはまさに、キリスに戻るバスに乗ろうと思っていた矢先のことだった。

恐れていたこと、それはある人たちの登場である。誰かと言えば、それはトルコの軍警察!けっこうな長時間に渡って東洋人が国境付近をウロウロしていたのだ、そりゃ怪しい。どう見ても怪しい。そりゃ当然声を掛けてくるわな・・・。

「Where are you from?」から始まり、

「オマエ何しているんだ?目的は何だ?パスポートを見せろ。」となり・・・。

「ちょっと中に来いや。」となってしまった。

そう、僕は軍警察に拘束されてしまったのだ。シリア側にある事務所みたいなところに連れていかれた僕は、次から次へと色々と質問された。

でも、それは当然の結末だ。観光客が絶対に近付いてはならない今のシリアとトルコの国境付近で、怪しさ満点の東洋人がうろついていたのだから。拘束されるなんて然るべき結果なのだ。むしろ質問攻めだけで終わったのだから、ラッキーだったのかもしれない。

しかも最後はちょっと仲良くなってしまい、チャーイまでいただいてしまった(笑)。ということで結果オーライではあるのだが、さすがにマジで焦りました・・・。

約1時間くらいだっただろうか、僕への尋問は終わり、無事に釈放された。事がこうなってしまった以上、これ以上国境にいるのはちょっとヤバイ。僕は急いでバスに乗り、キリスへと戻ったのだった・・・。

※シリア人はIDカードを提示すれば、このゲートを自由に行き来できる。


シリアでの戦闘は今なお続いている。

世界のどこかで、今でも戦争は起き続けている。

その現実を、日本という国に住む僕たちはどう受け止めたらいいのだろう。

ちっぽけな僕なんかには全然分からない難問を1人考えながら、僕はキリスでシリア人のおっちゃんにボーズにしてもらった・・・(笑)。

2014年5月6日。夕食付&ワインが常時飲み放題という神のようなグルジアの首都トビリシの安宿にて。



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