先日、産経新聞阿比留ルイ記者が、憲法9条改正は何度でも出来ると評論を書いたが、
敵基地反撃能力について、軍事評論家古是三春氏が書いた記事に、当然過ぎる感慨を持つ。
所謂、素人は、専門家が知的見地からの裏付けがないと信頼されない。
安保新法制でも憲法学者の裏づけは極めて少数であったし、軍事の専門家でも
名前を聞くだけで、その言説の疑わしさが感じ取れる有識者も多くて、メデイアが
折に触れて、多用する言説もその一つである。
武力行使と自衛権の問題について触れる機会は多くは無い。
メデイアが、折に触れ、シビリアンコントロールを説くのと好対照を成している。
多分、現政府、安倍内閣は小野寺防衛相も、日本国民の生命、財産を守る事に
異論はない筈である。そこが立憲民主党などと立場を異にしている。
安保法制は違憲であり、廃止する。憲法9条改正には反対が立憲民主党の
公論である。しかも、ミサイル防衛には反対、イージス・アショア にも反対、
オスプレイ配備にも反対と、自衛隊の手足を縛り、シビリアンコントロールを守れ、
航空機のミサイル射程は長くしてはいけない(専守防衛だから?)
特定もりかけ野党の支持率が減少している。
なにしろ、国会でもりかけしか論議せず、18日間もズル休みして、
安倍晋三首相の夏休みはいけないと批判する。(彼らこそ人権無視の輩である。)
自民党総裁選挙は、候補者の安倍晋三首相と石破茂氏との一騎打ちではなく、
石破茂氏には強力な応援団が居ると評判である。即ち、野党とメデイアとである。
日本国民は、安保法制にしても、憲法9条改正にしても、大それた野望など持たず、
日本国民の命を、生存権を守って頂きたいと言っているだけである。
日本国民の命を守る気概が無ければ、政治家など、政党など無用である。
特定もりかけ野党は無用の存在である。
2018.9.15 01:00更新
【正論10月号】
自民党総裁選三選の意義 これをやらずに何をやる 敵地攻撃能力 当たり前の“自衛”がなぜできない 軍事評論家 古是三春
https://www.sankei.com/premium/news/180912/prm1809120007-n1.html
自衛隊高級幹部会同で訓示する安倍晋三首相=3日午前、防衛省
※この記事は、月刊「正論10月号」から転載しました。ご購入はこちらへ。
現改憲案で「武力行使不能」な自衛隊の現状は改善されない
「戦争放棄」「戦力不保持」を謳った現憲法でも自衛権は否定されていないのが定説だ。しかし、外務省は国連外交を含む対外政策の中で「自衛隊による武力行使は、憲法に大きく制約を受けているために国連PKO派遣でも任務が制約される(武力行使は出来ない)」と説明してきた。
その一方で「駆け付け警護での任務的な武器使用(隊員個人の判断による武器の使用)」は可能という奇妙な説明も昨年からされている。
「自衛隊が任務遂行に大きな制約を受けているのは、現憲法第九条のせいだ」と改憲・保守派を自任する人たちは声高に主張する。しかし、安倍晋三首相提案の改憲案(第九条一項「戦争放棄」、二項「戦力不保持」を維持しつつ三項を追加して自衛隊の存在を明記)で問題が根本的解決に進むとは思えない。
安倍首相は自衛隊を明記する意義について「自衛隊は違憲かもしれないけども何かあれば命を張って守ってくれ、というのは私はあまりにも無責任なんだろうと(思う)」と述べた。もっともであり自衛隊の存在意義と役割を明確にする点では一歩前進だ。しかし、武力行使などを巡る問題の解決はまだ遠い彼方の課題として残されてしまう。
自衛隊の武力行使については、現憲法条項を超える制約がなされ必要以上にがんじがらめにされている。これが国連PKOや多国籍部隊に参加する上で自衛隊を他国には無いような矛盾と危険に晒す要因となっている。
さらに、国民を守るために決然と組織的に有効な対処(武力行使)をできる可能性を封じられていたことは、一九六〇~七〇年代に北朝鮮特殊部隊や工作船の犯罪的な我が領海、領土への跋扈を許し日本人拉致を抑止できなかった要因の一つだ。
「必要最小限の措置」という言葉遊びで毀損されてきた自衛隊の活動と国益
冷戦終結後以降の自衛隊海外派遣で惹起される憲法上の論争を振り返ると、ほとんどが「自衛隊の活動は必要最小限の措置にとどめる」ことで憲法上の規定(「戦争放棄」→「国際紛争における武力による威嚇または武力の行使否定」)をクリアするための不毛な「神学論争」としか言いようがない。
「必要最小限の措置」といった「神学論争」が生んだ不明瞭な規定が、自衛隊の「実力組織」としての存在意義に直結する「武力行使」に大きな制約を課す根源となった。
自衛隊に関わる「武力行使」と「武器使用」の規定は、前者が「目的達成のため命令系統に基づく指揮統制下に組織的に武器を使用すること」であり、後者は「個人の判断においてやむを得ない場合に(正当防衛的に)武器を使用する」と雲泥の差がある。「必要最小限」とは後者の「武器使用」が最も適合する概念で、国際規範で見れば軍事組織のレギュレーションとは言えないものだ。
結果としてカンボジア、ゴラン高原、インド洋、イラク、南スーダンなどへの派遣活動で自衛隊は「必要最小限」という言葉が導き出した「武器使用」(更に詭弁としての「任務的武器使用」)に縛られ活動に制約と矛盾を抱えさせられてきた。
例えば昨年から始まった国際活動での「駆け付け警護」任務の付与だ。これは一九九〇年代半ば以降、国連PKOがルアンダ大虐殺などに直面し「紛争の仲裁者」的役割にとどまらず、人命に関わる人道的事態が生じた際はPKO派遣部隊が武力行使を辞さずに介入、救援するという路線に転換したことが背景にある。
自衛隊は長く「憲法上の制約がある」として、武力行使の蓋然性が生ずる任務への派遣を回避してきたが、国際情勢の不安定化が進む中で自衛隊だけが「特別扱い」を受けるわけにもいかなくなってきたのだ。
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■古是三春氏 昭和35年生まれ。共産圏を中心に軍事史、軍事技術史について執筆しながら、日本の機甲部隊の歴史や戦史を研究。著書に『ノモンハンの真実 日ソ戦車戦の真相』(産経新聞出版)、『フランス外人部隊のすべて』(イカロス出版)など。
(引用ここまで)