良書紹介である。まだ読んでいない。
中身については、日本人である以上は常識の範疇である。
こうした読書は、戦後は終えていないと断言できる。
彼らは、検閲を通じて何をしたのか?
現在の日本人は、皇紀2679年 の間に歴史的空白部分・・・・・・・・・・・・
否、歴史捏造、日本史の改ざんを生んだ,Z省の文書改ざんよりも卑劣で
彼らアングルサクソンの恐堕を示した、その典型例が日本国憲法であり、
謝罪憲法、いわゆる占領憲法を70数年押し頂く事実を生んだ。
護憲派は憲法改正条項を無視する憲法違反を犯している。
憲法99条で、国会議員が憲法発議してはいけないなんて、馬鹿を申すな!
護憲派こそ、憲法審査会 を開かない対抗策を講じて憲法違反を犯す
これは、日本国民に対する背信行為である。
憲法9条改正については、議論もいけないと言うのが野党の厳然たる主張の本旨である。
論議すると、日本国民の関心が集まり、常識に従った論理に傾注するからである。
憲法9条改正して、自衛隊を憲法に明記する。
憲法に付加条項を課して、との具体策は公明党の主張にも合致した改正案の例示である。
ソウカと言って、改正に精を出せと日本国民は叱咤激励している。
愛知トリエントレーナ論議は、随分、憲法論議を盛んにしたが、解釈の相違を
明らかにした、
日本国憲法第1条を守れ、と大村愛知県知事に要求する。
いや、厳命すると胸中を明かすほうが、的確である。
何処の世界に、日本国憲法第1条を揶揄するが如き人物を売国奴と呼ばない事が
認められるであろうか?
最近の左派勢力の行動に、資金難を感じてしまう。
関西生コンは87名の逮捕者と聞き及ぶし、米支経済戦争は支那資金の枯渇を
感じる。半島、韓国政府は情報工作に大幅な予算を割くと報道があったが、
従来資金が少なくなって、隠し切れなくなっただけと断じる。
アキヒロなどが、日本の活動を制御したと表明したが、、、文在寅大統領の瞑想で
日米敵視政策が日本国民にも明らかに見える形となって、嫌韓は日本国民を
ネトウヨと呼ばわる原因となった。支那にも半島にも日本に言い寄る姿が見える。
こうした状態は「アベガー」と言うだけでは、日本国民の支持も得られないし、
たかが3品目の適正化で、、国家が潰れるかの大騒動を生んだ。
日米の支援下で独立とその維持を約束された野蛮人の国は、日本国民に
その関係を把握されるに至った。左翼の鳴動は、日本の弱点を突いて来る。
小泉進次郎環境相は急にバッシングの渦中に至ったが、使えるカードが
一枚減っただけの打撃でしかない。真相を知らない政治活動は日本の進路を
迷わせるだけである。日本統治の原理がシンジロウ氏の訪米で明らかになった。
日本政府はホルムズ海峡監視に自衛隊艦船派遣を表明した。
小泉進次郎氏の功績は、偉大である。メデイア報道の小泉評は少しばかり
外れている。安倍晋三首相の新規閣僚起用策は、絶妙である。
その点では、小泉進次郎環境相に期待はあるとも感じている。
かっての民主党政権は日本統治と言うものが下野するまで理解できていなかった。
悪夢と呼ばれるのは、期待に応え得ない結果に対して述べられている。
事業仕分け が誰かの意図に従った、パペットマペットに見えてくる。
八ッ場ダムが台風19号被災の軽減緩和に役立って良かったと野党も思っている。
日経新聞が『コンクリートから人柱へ』と報道したのは、ご愛嬌に過ぎない。
ATMがノイズに化したと実感している。不動産屋の原点に立ち返れ!
消費税増税は今後も続く始まりの序曲とすれば、悪夢は続いている。
占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間 (文春文庫)
江藤 淳
https://books.rakuten.co.jp/rb/633309/
評価4.00
投稿日:2019年08月08日
江藤淳 「 閉ざされた言語空間 」 検閲から 公共の利益と 表現の自由の対立を論じた本。効率的な検閲システムによる 占領地の思想誘導に 恐ろしさを感じる〜知らない方が良かったとも思う
占領地下の日本で行われた検閲から 様々な論点を提示している
*占領地下の民間検閲は必要悪か〜占領地下の民間人の思考と言語を 検閲を通じて改造することは 憲法違反か
*占領地下のジャーナリズムは 外国の服従を強制されるべきか〜日本の真実と 米国の真実は 異なる
*戦前日本が行った国家権力による検閲と 占領地の米国による検閲の違い
そのほか ポツダム宣言や東京裁判を 検閲を通じて見ることで、法的問題点や人間心理の怖さを知ることができる
https://books.rakuten.co.jp/rb/633309/
評価4.00
投稿日:2019年08月08日
江藤淳 「 閉ざされた言語空間 」 検閲から 公共の利益と 表現の自由の対立を論じた本。効率的な検閲システムによる 占領地の思想誘導に 恐ろしさを感じる〜知らない方が良かったとも思う
占領地下の日本で行われた検閲から 様々な論点を提示している
*占領地下の民間検閲は必要悪か〜占領地下の民間人の思考と言語を 検閲を通じて改造することは 憲法違反か
*占領地下のジャーナリズムは 外国の服従を強制されるべきか〜日本の真実と 米国の真実は 異なる
*戦前日本が行った国家権力による検閲と 占領地の米国による検閲の違い
そのほか ポツダム宣言や東京裁判を 検閲を通じて見ることで、法的問題点や人間心理の怖さを知ることができる
CCD民間検閲隊
*ワシントン〜統合参謀本部〜の命令により検閲を実施
*検閲対象に パブリシティメディアが加わる→敗戦後の日本の言語空間を変えた
*日本人の思考と言語の改造
占領地における検閲
*合衆国憲法修正1条(宗教、言論、出版、集会の自由)
*秩序と自由の間に いかに調和を見出すか
*検閲は 表現の自由の敵のうち最も危険なもの〜非常な危難に備えて必要な場合を除き、この国に存在してはならない
*実際は 検閲システムを日本に輸出し効率的に運用した→検閲が必要悪になってしまった
*ジャーナリズムが 自国はの忠誠義務から解放され、外国の服従を強制された
ポツダム宣言
*合意による敗北であり、征服による敗北でない→敗者の日本には 勝者の米国批判の自由を留保する権利がある
*ポツダム宣言上、日本に 言論、宗教、思想の自由は保障
*ポツダム宣言の受諾→米占領軍の民間検閲が 合衆国憲法修正1条に拘束される
日本とCCDの検閲の違い
*戦前戦中の日本の国家権力による検閲=接触を禁止するための検閲〜天皇、国体、危険思想などへの接触禁止→タブー
*CCDの検閲=検閲を秘匿して 接触され 共犯関係に誘い込む
投稿日:2019年01月07日
敗戦後7年間のGHQによる占領の間、日本人はいわゆるWGIPにより日本人たる尊厳をことごとく破壊する政策の下にあった。
20万人にも及ぶ公職追放、7000点以上の焚書、2年間もの間ラジオ放送されたプロパガンダ番組である真相はかうだ、朝日新聞の発行停止命令、加えて出版物の事前&事後の検閲、個人の郵便物を4年間に2億通も開封しての検閲を同胞監視させるなど、明らかにポツダム宣言の範囲を超えた洗脳行為である。
しかしながら、1952年の独立後、東京裁判の受刑者の赦免決議案が国会議員全会一致により可決され、また全国4000万人の署名が集まったことなどから、当時の日本人はCCDの意に反して洗脳はされていなかったと言えよう。
ただ、彼らの政策はその後、時限爆弾のように効いてくるのである。
それはマスコミや教師にばらまかれた左翼と自虐史観と周辺国に配慮した教科書、また事後検閲により始まる自主規制がタブーとなり、戦後生まれの真っ白な子供たちにボディーブローを打ち続けられている状態となったわけである。
江藤淳氏も本書で激昂されているが、皇室用語の不使用をマスコミがいかなる権威と権限で行うのか?これはまさに愚劣な言葉狩りであると。確かに譲位を退位、践祚を即位と報道する不敬極まるマスコミは、昨年の天長節の一般参賀が過去最高となった事で示されるような国民の意識とは乖離した独善的な伝統の破壊を続けるのだろう。
評価5.00
投稿日:2017年01月28日
戦争が終わった後、占領軍は秘密裡に日本の新聞・放送・出版などの検閲を行った。それが、後々の日本人の考え方に大きな影響を及ぼしているという。アメリカよ、酷いことをする、と嘆息してしまう。多くの人にポツダム宣言との齟齬を知ってほしい。
評価2.00
投稿日:2016年06月13日
一民族への言論統制は、その民族への思想改造にも繋がる極めて非倫理的な振る舞いである。また、我々は、日本という国にいて、例えば漫画のような媒体が青少年に齎す過度な影響を経験として、知ってもいる。そんな事が私の頭の根底にあって、更には戦後のWGIPが今の我々にどの程度傷跡を残しているのか、少しでも理解したいとの思いから、本著を手に取った。
これは、主観の混じらぬ純粋な資料であり、戦後、日本人に施された思想改造の真実でもある。日本人は、この事を知らなければならない。事実を変更し、記録を塗り替え、教育内容を変え、日本人を変えてしまった。我々は、この事に気付かなければならない。そして、あらゆるものを疑ってかからなければならないのだ。
評価4.00
投稿日:2016年03月20日
膨大な公文書の解読に基づき、連合国軍により占領下にあった日本でいかに連合国軍、つまりはアメリカによる検閲が行われ日本の言語空間が歪んだか、そしてのその歪みが本書が執筆された1980年初頭においてもいかに日本の言語空間を支配しているかを描きだした労作。
本書の政治的な評価は二分しており、東京裁判における各戦犯たちが評価されることのないようにアメリカが仕掛けたとされる「War Guilt Information Program」の存在も含め、引き続き議論の余地がある部分も多々ある。そうした点をさておいたとして、言説空間における「実在」ではなく「不在」という点に着目し、いかにその不在が形成されたかという視点の鋭さにある。
存在を証明するより、不在を証明することの方が難しい-ときにそれは悪魔の証明となる-ように、ある言説を言語空間から不在とさせる「検閲」という行為に着目し、その不在を証明した本書の視点は、目の前にあるデータのみを本当に分析対象として良いのか?、という素朴な疑問を持つことの重要性を認識させてくれる。
投稿日:2014年08月09日
戦前戦後研究をひそかにライフワークとしていますが、その一環として手にしました。第二次大戦のアメリカ国内の検閲機構があったことに驚きつつ、その機構を踏襲したのが占領軍の検閲だった。そしてその検閲がいまのジャーナリズムの自粛の根源になっているとの指摘。War Guilt Information Programその目標を十分に達せられたことが現代であるとの指摘には、肯じるを得ない。
評価3.00
投稿日:2014年04月06日
終戦後のGHQ占領下での情報検閲の実態を明らかにしたもの。米国側の膨大な資料も検証により事実の積み上げている。
著者の論点はその検閲の中で日本らしさが意図的に殲滅され、自己破壊にも繋がっている、ということ。
率直な感想は、インターネット時代において、過去の史実をより冷静且つ客観的に捉えることができる状況下、当時の検閲結果が著者が論じる程に影響を与えているのか疑問に思うところはある。
ただ、国語力もそうだが、戦後、過度に日本固有の思想文化が否定されてきた事実も確かであり、その見直しに冷静に取り組むべき時期にあるのだろう。
自然との共存、日本食、田舎文化等のライフスタイルも含めて。
別途、藤原正彦が論ずるところにも共感がある。
評価5.00
投稿日:2013年11月22日
敗戦後、米国が敗戦国日本に対し猛烈な検閲を行いマスコミに対する検閲、個人の通信の傍受。手紙の検閲を行いながら、ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争を二度と起こさない思想)で去勢していった。日本の敗戦前からこのプログラムは作成されたおり、きめ細かに徹底されて、太平洋戦争をアメリカと日本の戦争ではなく、日本の国民と一部の軍国主義者にすり替えて実行されていく。それが代替わりした今になって戦争放棄という意見がまとまりにくいものとなって表れている。
今、まさに特定機密保護法が国会を通過しようとしているが、昭和20年代のGHQ的なものにならないことをいのるのみ。
評価4.00
投稿日:2012年05月29日
アメリカに保存されていた一次資料を基に、アメリカはいかに検閲を行なってきたかがかなり丁寧に書かれている。
具体的なエピソードなどで興味をひかれたものも多かったが、とりわけ興味深かったのは、アメリカ国内と日本での検閲の類似性であった。
合衆国憲法修正第一条とポツダム宣言第十項がともに表現の自由を保障していること、そしてそれゆえに、検閲が「隠されるべきもの」となったこと。
アメリカ内部での「戦時情報局」と「検閲局」の関係は、そのまま日本における「民間情報教育局(CI&E)」と「民間検閲支隊(CCD)」の関係と重なる。
また、一方でこうしたアメリカ国内の検閲と占領下の日本での検閲における類似性があるゆえに、戦時中に日本における内務省による検閲と占領下の検閲との差異が際立って浮き彫りとなった。
秘すべき対象に近付かない、触れないようにさせるための検閲(戦時中)と、秘すべき対象があることを秘するために接触を余儀なくさせる検閲(占領下)。
後者における秘匿の二重性は、常に権力につきまとうものだが、巧みに隠蔽されているがゆえに、我々はなかなか気付けない。
秘匿の二重性への注視を促されたことに驚き喜ぶとともに、ではそうした二重性を暴露することで江藤が(無意識的であれ意識的であれ)隠蔽したものは何だったのかを考える必要もあるだろう。
最後の教育と天皇と検閲とのあたりは、いきなり論理を飛躍させた感じがしたが、総じていえば、検閲について学ぶのには非常に有意味な一冊であった。
評価3.00
投稿日:2011年07月08日
いかに、戦後の日本が占領軍によって言語統制を受けていたかということを著者が図書館に通ったりしながら探索していった本だったと思います。そういう言語統制の歴史が基盤にあるのが今の世の中なんでしょうね。
評価5.00
投稿日:2009年11月29日
本書は大東亜戦争(この用語も検閲対象であり使用禁止用語。すべて「太平洋戦争」との表現に強制)後の占領軍の検閲が日本の言語空間に対して如何に影響を及ぼしたか、また占領軍が居なくなった現代(平成元年頃)においてさえも検閲システムの影響が如何に波及し続けているかを、多くの一次資料を元にして検証・考究した書である。
著者は占領軍の検閲システムを「ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム」と表現している。
本書前半では戦後占領政策が実行される以前の段階において、如何に検閲システムなるものが準備されいたかを第一次世界大戦時の国内の郵便・出版等の検閲システムを調査し検証している。そこで著者はアメリカ合衆国の検閲システムの性質として「自由」が一大国是であるが故に、それに反するシステムが現実の上で必要に迫られた場合いかに対処せねばならぬか?結果として検閲や報道管制のような自由と対立するものは極力隠蔽された状況で運用されざるを得なくなることに言及している。この体質が日本の戦後占領軍による検閲システムの中でも「検閲」があったことに触れること自体が検閲の対象となって現れている。
さて、いかに検閲システムが準備・実行されていったかの詳細は本書に譲るとして、2,3点だけ内容をピックアップして記述してみたい。
第一にフーヴァー大佐(民間検閲支隊長)が参集した日本の報道関係者に向けて発した言葉である
「諸君は国民に真実を伝えず、そのことによって公安を害している。諸君は日本の真の地位を不正確に描写している」
これは検閲システムの目的を端的に表現していると言えるであろう。明らかに「占領軍」にとっての「真実」のみしか「真実」として位置づけてはならないことを意味しているからである。現代でも歪曲偏向捏造マスゴミを正す手段として言論の「中立」を規定すべきとの言説があるが、これは占領軍の「真実」という言葉を「中立」に置き換えただけの主張のようにも見受けられるのは気のせいだろうか。
第二に、昭和天皇とマッカーサーとのツーショット写真は有名なのでご存知の方も多いであろうが、その写真が初めて公開されたときの経緯である。
当初、日本政府はこの写真とその時のインタビュー記事を当時有効だった「新聞紙法」に抵触するとして、差し押さえたのである。しかし、GHQによりその指令が覆され写真とインタビュー記事の載った新聞が発行された経緯がある。
著者は、この件は以後日本のジャーナリズム全体に深刻な影響を及ぼしたと指摘している。その影響とは「いかなる政策ないし意見を表明しようとも決して日本政府から処罰されることがないという特権的地位が与えられた」と指摘、さらに「日本にどのような不名誉と不利益をもたらすものであってもよく、直接間接に日本という国家そのものの解体と消滅を志向するものであってもよい」と結論付けている。
第三に極東国際軍事裁判についてである。この裁判の問題点は幾多の書籍で紹介されているので既知の方も多いであろうが、著者はこの裁判の性質を次のように判断している。
「それ自体が、「ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム」であったのみならず、日本人から自己の歴史と歴史への信頼を、将来ともに根こそぎ「奪い」去ろうとする組織的かつ執拗な意図を含ませていたのである。そして「奪」おうとする者と、「名誉」を「擁護」し、「事実の歪曲や悪意ある批判に対抗」しようとする者とのあいだの必至の抗争が、市ヶ谷法廷ばかりではなく、占領下の日本の言語空間のいたるところで展開されていた。」と。そして現代も続いていると結んでいる。
著者が本書を通じて言語空間を如何に考えていたかを物語る一節がある。
「人が言葉によって考えるほかない以上、人は自らの思惟を拘束し、条件付けている言語空間の真の性質を知ることなしには、到底自由にものを考えることができない」である。
本書は戦後史を考える上でも、またマスゴミの歪曲偏向捏造体質の起源を考える上でも必読の書ではないだろうか。