愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

成績が悪いのは学校や先生のせいである(2)

2011年12月01日 | アピール
 人は自己を確立する過程で社会性を獲得していきます。はじめて接するのは母乳をもらう母親であり、親兄弟です。保育所もあるでしょう。近所の子供との交流もあります。その中で子供は成長します。
 この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。自分は誰からも必要とされていない と感じる事です。ーある社会の中で無視される、よけ者にされる、無関心が何故、人生最大の不幸なのでしょう?人は社会ので孤立しては生きられ無いからです。人は社会の中で人と関わりを持って生きることが幸福である。ようになっているのです。
 先日テレビで養老 孟司氏が、自殺者の多くは人間関係だけに囚われて、自然との関係、花鳥風月を楽しむ心情が欠落しているのでは?心に幅広い遊びも必要なようです。  
 話を戻します。利己の対義語は利他ですが、一人の人間の中で対比するものでは有りません。人を好きになる。好きな人が喜ぶことをしてあげる。これは利己でしょうか、利他でしょうか?
  チャタレー夫人の恋人の裁判で有名な伊藤整の鳴海仙吉(二十歳頃の愛読書でした)の中で
 ”(ドイツ人、若きウェルテルの悩み著)ゲーテの植物学者としての不朽の功績は、一個の花が一本の枝の変形であることを証明したことであった。花が開き、雌雄がそこに交わり、虫と鳥を誘い寄せるのは、植物それ自身の肢体の一部の転生であること。存在する我以外の何ものも花咲くことができる筈がないことを芸術家ゲーテが知っていた。”
 一人の人間の行為の総ては生きることの表れです。利己、利他は社会の中での相対的な評価に過ぎません。
 無関心が最大の不幸ならば、社会に評価される事が最大の幸福になります。 叱るより褒めて育てる。につながります。
 叱りは怒り、脅えの感情を伝えます。本人が不当と感じれば怒りの反発心を生みますが、脅えを感じれば萎えるだけです。
  続く

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