C15編成
1979年の編成表では159系が組成されているのがほぼ1本なので、記録を開始した7/25時点以降で他の編成にバラされて組まれることとなりました。(5/6月は「こまどり」に運用)
C-15編成にはC-11編成同様に末期の1980年になってから1/25に
↑大垣
クハ153-74
モハ154-1
モハ155-1
サハ153-3
サハ153-104
モハ152-62
モハ153-62
クハ159-1(湘南色, 3-6とは異なり、153/155同様の塗り分け)
↓豊橋
でクハ159-1が組まれていることを確認、2月に入っても
↑大垣
クハ153-74
モハ154-1
モハ155-1
サハ153-3
サハ153-104
モハ152-62 (2/5時点でモハ152-157に, 2/20時点で65に差し替え)
モハ153-62 (2/5時点でモハ153-157に, 2/20時点で65に差し替え)
クハ159-1(湘南色, 3-6とは異なり、153/155同様の塗り分け)
↓豊橋
とモハユニットのみ差し替えがあった程度
3月も3/13に
↑大垣
クハ153-74
モハ154-1
モハ155-1
サハ153-3
サハ153-104
モハ154-11
モハ155-11
クハ159-1(湘南色, 3-6とは異なり、153/155同様の塗り分け)
↓豊橋
と、非冷房率(冬から春先なので問題はないが)の高い編成となっていた。
この編成はこのまま4/1を向かえ、こちらは4月中にクハ159-1が差し替えられた記憶となっている。
C-16
こちらは記録を開始した7/25に
↑大垣
クハ155-12
モハ158-3
モハ159-3
サハ153-11
クハ155-19↓向きに注意
モハ154-10
モハ155-10
クハ164-7
↓豊橋
の組成となっており、3週間ほど運用されたあと、モハ158/159-3が差し替えとなった。クハ164-7は冷房車で、この車に(夏場に当時冷房車が貴重だったので)乗ることに注目したのが、調査開始のきっかけとなったのである。
以降、この編成に159系が入ることはなかった。
C-17
この編成は後に有名になる編成であるが、79/8/12にまず
↑大垣
クハ165-122
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ155-5↓向きに注意
モハ154-8
モハ155-8
クハ153-515
↓豊橋
と修旅色のサハ159-1 1両が組まれた編成となり、10/11には
↑大垣
クハ165-122
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ159-6(湘南色)
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ159-5(湘南色)
↓豊橋
と159系の修旅色と湘南色が競演する編成の2本目となった。
なお、4/1の時点ではこの編成はバラ状態だったようで。
私が入院していた12月には
↑大垣
クハ165-118
モハ158-3(湘南色)
モハ159-3(湘南色)
サハ159-1(修旅色)
クハ159-6(湘南色)
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ159-5(湘南色)
↓豊橋
という編成になっていた模様(ネット上の情報より)
年も明けて1月には
↑大垣
クハ165-118
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ159-6(湘南色)
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ159-5(湘南色)
↓豊橋
とモハ158/159-3が再びモハ153に差し替えがあり、(こちらはこの後C-21編成で最後の活躍をすることとなる)
2月に入ると
↑大垣
クハ165-118
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ159-6(湘南色)
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ165-135
↓豊橋
とクハ159-5が落ち(翌月廃車)、3月に入ると
↑大垣
クハ165-118
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ153-535↓向きに注意
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ165-135
↓豊橋
クハ159-6も抜かれることとなった。こちらは一時C-11に組まれて最後の活躍をしいた後に年度も変わった4月に廃車となる。
そして、4/1をこの編成で迎えた直後、モハ152/153-101が新快速色の119に置き換えられたことにより、最初で最後の3色混色編成となり、159系が編成を解かれるまでの花道を飾ることとなった。
1979年の編成表では159系が組成されているのがほぼ1本なので、記録を開始した7/25時点以降で他の編成にバラされて組まれることとなりました。(5/6月は「こまどり」に運用)
C-15編成にはC-11編成同様に末期の1980年になってから1/25に
↑大垣
クハ153-74
モハ154-1
モハ155-1
サハ153-3
サハ153-104
モハ152-62
モハ153-62
クハ159-1(湘南色, 3-6とは異なり、153/155同様の塗り分け)
↓豊橋
でクハ159-1が組まれていることを確認、2月に入っても
↑大垣
クハ153-74
モハ154-1
モハ155-1
サハ153-3
サハ153-104
モハ152-62 (2/5時点でモハ152-157に, 2/20時点で65に差し替え)
モハ153-62 (2/5時点でモハ153-157に, 2/20時点で65に差し替え)
クハ159-1(湘南色, 3-6とは異なり、153/155同様の塗り分け)
↓豊橋
とモハユニットのみ差し替えがあった程度
3月も3/13に
↑大垣
クハ153-74
モハ154-1
モハ155-1
サハ153-3
サハ153-104
モハ154-11
モハ155-11
クハ159-1(湘南色, 3-6とは異なり、153/155同様の塗り分け)
↓豊橋
と、非冷房率(冬から春先なので問題はないが)の高い編成となっていた。
この編成はこのまま4/1を向かえ、こちらは4月中にクハ159-1が差し替えられた記憶となっている。
C-16
こちらは記録を開始した7/25に
↑大垣
クハ155-12
モハ158-3
モハ159-3
サハ153-11
クハ155-19↓向きに注意
モハ154-10
モハ155-10
クハ164-7
↓豊橋
の組成となっており、3週間ほど運用されたあと、モハ158/159-3が差し替えとなった。クハ164-7は冷房車で、この車に(夏場に当時冷房車が貴重だったので)乗ることに注目したのが、調査開始のきっかけとなったのである。
以降、この編成に159系が入ることはなかった。
C-17
この編成は後に有名になる編成であるが、79/8/12にまず
↑大垣
クハ165-122
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ155-5↓向きに注意
モハ154-8
モハ155-8
クハ153-515
↓豊橋
と修旅色のサハ159-1 1両が組まれた編成となり、10/11には
↑大垣
クハ165-122
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ159-6(湘南色)
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ159-5(湘南色)
↓豊橋
と159系の修旅色と湘南色が競演する編成の2本目となった。
なお、4/1の時点ではこの編成はバラ状態だったようで。
私が入院していた12月には
↑大垣
クハ165-118
モハ158-3(湘南色)
モハ159-3(湘南色)
サハ159-1(修旅色)
クハ159-6(湘南色)
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ159-5(湘南色)
↓豊橋
という編成になっていた模様(ネット上の情報より)
年も明けて1月には
↑大垣
クハ165-118
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ159-6(湘南色)
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ159-5(湘南色)
↓豊橋
とモハ158/159-3が再びモハ153に差し替えがあり、(こちらはこの後C-21編成で最後の活躍をすることとなる)
2月に入ると
↑大垣
クハ165-118
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ159-6(湘南色)
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ165-135
↓豊橋
とクハ159-5が落ち(翌月廃車)、3月に入ると
↑大垣
クハ165-118
モハ152-101
モハ153-101
サハ159-1(修旅色)
クハ153-535↓向きに注意
モハ158-4(湘南色)
モハ159-4(湘南色)
クハ165-135
↓豊橋
クハ159-6も抜かれることとなった。こちらは一時C-11に組まれて最後の活躍をしいた後に年度も変わった4月に廃車となる。
そして、4/1をこの編成で迎えた直後、モハ152/153-101が新快速色の119に置き換えられたことにより、最初で最後の3色混色編成となり、159系が編成を解かれるまでの花道を飾ることとなった。
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