記憶に間違いがなければ、いよいよ横軽間の廃止目前で、「能登」乗り納めを兼ねての北陸行だったはず
富山から金沢に移動した所で、
D-07 クモハ419-7
モハ418-7
クハ418-7、併結のもう1本の編成番号は不明
さらに福井へ移動、高架工事が始まってすっかり様相が変わってました。
D-04 クハ418-4
モハ418-4
クモハ419-4
クモハ419-4
モハ418-15、前年末に七尾線霜取り運用の為に元副パンタのあった位置に増設工事が行われたが、この時点ですでに外されていることがわかる。空気管碍子などが残っているのも
パンタ増設工事が行われて七尾線で運用に就いていることを知ったのはRFのレポート欄だったと思いますが、撮影にいくことはできず、パンタ付の写真を撮ることはできませんでした。
なので、とれいん誌にも文章での紹介だけに
私が持っている画像は、編さん会の拙書にも載せた
この画像のみで、この画像からでもパンタ台や空気管が簡素なものであったことがうかがえる(撮影は3年後の2000年、富山にて)
D-12 クハ419-2
もう1枚クハ419-2 まだ貫通扉が埋められる前の姿
モハ418-12
クモハ419-12
この後、敦賀~米原経由で帰ったはず。
富山から金沢に移動した所で、
D-07 クモハ419-7
モハ418-7
クハ418-7、併結のもう1本の編成番号は不明
さらに福井へ移動、高架工事が始まってすっかり様相が変わってました。
D-04 クハ418-4
モハ418-4
クモハ419-4
クモハ419-4
モハ418-15、前年末に七尾線霜取り運用の為に元副パンタのあった位置に増設工事が行われたが、この時点ですでに外されていることがわかる。空気管碍子などが残っているのも
パンタ増設工事が行われて七尾線で運用に就いていることを知ったのはRFのレポート欄だったと思いますが、撮影にいくことはできず、パンタ付の写真を撮ることはできませんでした。
なので、とれいん誌にも文章での紹介だけに
私が持っている画像は、編さん会の拙書にも載せた
この画像のみで、この画像からでもパンタ台や空気管が簡素なものであったことがうかがえる(撮影は3年後の2000年、富山にて)
D-12 クハ419-2
もう1枚クハ419-2 まだ貫通扉が埋められる前の姿
モハ418-12
クモハ419-12
この後、敦賀~米原経由で帰ったはず。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます