名鉄尾西線の終点の弥富は、近鉄弥富と隣接ではなくて、JR東海の弥富と隣接であることを今回初めて知りました。^^;
また、パノラマカードが(ある意味当然ですが)使えず、蒲郡といい、名鉄のSFに対する導入の意識に甚だ疑問を感じつつ、現金清算でそのままJRで桑名へ。
悪天でなければ撮影も行いたかったのですが、断念
桑名ではまず西桑名へ向かい、三岐に引き取られた北勢線へ。実に30年ぶりの来訪。
時間の都合上、西桑名での撮影だけに留め、入場券で構内に入り、撮影。ここでの主目的はク140の妻は切妻か丸妻か。どうみても切妻なのに、図面では丸妻となっているので、その疑問を解くため。結果は、折妻でした。^^; 1/80だと切妻でも問題ないくらい。
その後桑名に戻り、各停の白塚行に。2800系の3連(Mc-M-Tc)だけど、え?4連では?
そのまま四日市へ
四日市で撮影タイム。12200系(と通勤車)のディテール調査。
そして、こちらも久々の湯の山線へ。こちらも35年ぶりで、記憶にしかない湯の山温泉駅の調査。かつてビスタカーで訪れたこの線も今や各停のみが走るローカル線に格落ちし、2000系3連のワンマンカーが走る線に。ビスタカー(10100系)の台車を履く1次車を期待したが、残念ながら2次車だった。
それから未乗車だった、八王子・内部線の乗車。こちらは近鉄のままであるが、車体の塗色は各車各様のオリジナルに。これで旧三重交通のニブロク(湯の山線は標準軌に改軌されているが)路線の完乗となった。ここで昼食小休止
さらに各停の白塚行(今度は2000系の1次車だった)で伊勢若松へ、名古屋線系の支線でもう1つ、鈴鹿線に乗り換え。こちらは1000系の3連。あれ?3連ってあったっけと思いつつ、平田町(へいでんちょうではない)往復。
乗り換えたのは各停名古屋行。来たのはこれまた1000系。
1000/2000系の3連と、1810/2800系の2連、2600 LCカー(5200は別)位しか見ることができなかった。
とって返して桑名へ。どうするか悩んだものの、やはり1650の熟れの果ての調査は必要ということで、養老鉄道に生まれ変わった養老線で大垣まで行くことにする。
というわけで、養老鉄道編に続きます。
画像は大垣で撮影したモ604(旧モ1659)
また、パノラマカードが(ある意味当然ですが)使えず、蒲郡といい、名鉄のSFに対する導入の意識に甚だ疑問を感じつつ、現金清算でそのままJRで桑名へ。
悪天でなければ撮影も行いたかったのですが、断念
桑名ではまず西桑名へ向かい、三岐に引き取られた北勢線へ。実に30年ぶりの来訪。
時間の都合上、西桑名での撮影だけに留め、入場券で構内に入り、撮影。ここでの主目的はク140の妻は切妻か丸妻か。どうみても切妻なのに、図面では丸妻となっているので、その疑問を解くため。結果は、折妻でした。^^; 1/80だと切妻でも問題ないくらい。
その後桑名に戻り、各停の白塚行に。2800系の3連(Mc-M-Tc)だけど、え?4連では?
そのまま四日市へ
四日市で撮影タイム。12200系(と通勤車)のディテール調査。
そして、こちらも久々の湯の山線へ。こちらも35年ぶりで、記憶にしかない湯の山温泉駅の調査。かつてビスタカーで訪れたこの線も今や各停のみが走るローカル線に格落ちし、2000系3連のワンマンカーが走る線に。ビスタカー(10100系)の台車を履く1次車を期待したが、残念ながら2次車だった。
それから未乗車だった、八王子・内部線の乗車。こちらは近鉄のままであるが、車体の塗色は各車各様のオリジナルに。これで旧三重交通のニブロク(湯の山線は標準軌に改軌されているが)路線の完乗となった。ここで昼食小休止
さらに各停の白塚行(今度は2000系の1次車だった)で伊勢若松へ、名古屋線系の支線でもう1つ、鈴鹿線に乗り換え。こちらは1000系の3連。あれ?3連ってあったっけと思いつつ、平田町(へいでんちょうではない)往復。
乗り換えたのは各停名古屋行。来たのはこれまた1000系。
1000/2000系の3連と、1810/2800系の2連、2600 LCカー(5200は別)位しか見ることができなかった。
とって返して桑名へ。どうするか悩んだものの、やはり1650の熟れの果ての調査は必要ということで、養老鉄道に生まれ変わった養老線で大垣まで行くことにする。
というわけで、養老鉄道編に続きます。
画像は大垣で撮影したモ604(旧モ1659)
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