古典派の三命題と常識の三命題
第1編が終わったところで少し振り返ってみたい。
ケインズは、古典派が次の三つの命題を「自明の前提」にしていると言う。
- 実質賃金は現行雇用の限界不効用に等しい
- 厳密な意味での非自発的失業は存在しない
- 産出量と雇用がどのような水準にあったとしても総需要価格と総供給価格は等しくなるという意味で、供給は需要を創り出す
自明の前提とは常識のことであり、この三つの命題を「常識」的表現に直すとこうなる。
- 企業の支払い能力を超えて賃金を支払うわけにはいかない
- 仕事なんて文句を言わずに探せば、いくらでもある。失業しているのは贅沢だ。だから、失業者は基本的に贅沢を言っている怠け者にすぎない
- 売れない商品を作っている企業は淘汰される。結局は供給と需要は一致するのだ。淘汰されるべき企業を温存するべきではない
三つとも根本的に間違いで、この常識に従って行動していると全人類が不幸になる。
ということを証明したのがケインズ一般理論である。一般理論ほど見事に論証した本はマルクスの資本論を除いて、それまではなく、その後も今までも出ていない。この「今までも出ていない」というのが、私がケインズを読め、と言っている最大にして唯一の理由である。
ケインズは経済学を科学にした
既に書いたが、
一般理論を根底から覆すためには限界消費性向低下の法則を否定すればよいのである。つまり
- 「人は豊かになればなるほど消費性向が上昇する」という事実を示す
- あるいは「低下した消費性向の分だけ必ず投資が増える」という事実を示す
だけでよいのである。
一般理論の命題には、反証可能性があり極めて科学的である。
現在、一般理論は、ほとんど、特に学会では研究されることもなく現代正統派経済学の天下となっているが、これから読み進めていけば分かるように現代正統派も古典派の焼き直しに過ぎない。
焼き直しに過ぎないのだが「常識」に立脚しているがゆえに強固であり人類は資本主義の下で塗炭の苦しみにあえぎ続けている。
ケインズは経済学を科学にした。
いまこそよみがえるケインズなのである。
いや、こう言うべきか?
よみがえれケインズ、と。