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GDPの誤解が生む高齢化社会への恐怖(2)
前項で
一人当たりの労働生産性(A)×労働者数(B)=一国全体の総付加価値(供給)額(C)≠総需要額(D)
という式を展開した。今回は労働者数(B)について検討する。
「常識」とは逆に労働者数は増えている
就業者>雇用者>役員以外の雇用者という関係になる。役員の数が想像以上に多いのは法人成りした個人事業主が関係している(と思われる)。2020年から多少減少傾向なのはコロナ禍の影響だが、伸びが止まった程度の影響にとどまっている。
ご覧のように就業者、雇用者ともに増えている。人口は減っているが労働者数は増えている。就労率が上がったということだ。
どこがどのように増えたのだろうか? 2002年と2021年を比較してみた。増えたのは女性と高齢者である。減ったのは男女ともに若年層だ。
25~34歳で女性の減り方が男性よりも小さいのは、その年齢階層の人口減少を就労率の上昇が補っているからだ。45歳前後で増えているのは団塊ジュニアの影響である。
35歳以下の若年層では30%前後減少している。この間の初任給の上昇は当然のことである。
経済が長期停滞下では少子化が進むのも当然であり、リカード的な景気循環の結果である。マルクスは賃金とは労働力の再生産費用であるとしたが、この再生産費用には二種類の費用を含ませていた。日々の労働力の再生産費用と労働者の「種族としての再生産費用」である。賃金が、この「種族としての再生産費用」を長期にわたって割り込んだことが少子化の一つの、しかし大きな原因である。若年層の減少を女性と高齢者が補っているのだ。
少子化で若年層が減れば、その代りをより高齢の者が務めなければならない。仮定の話として日本人が全員65歳以上になったら65歳以上の相当の割合が働かざるを得ないだろう。
最近、経済学者と称する人が老人恐怖症を煽るような言動を弄して物議をかもしているが、多分労働力調査という基本中の基本統計をご覧になったことがないか、普通の人には備わっている常識がないかのどちらか、あるいは両方だろう。
本ブログ読者の中には事務所で働いておられる方々もおられよう。デスク脇の屑籠が翌朝にはきれいになっている。それは夜の間に妖精達が魔法を使っているわけではない。始業時間前の早朝、働いている人の多分親くらい世代の方々が清掃に入っているのだ。
それが一部は晩婚化と年金額の不足のためにせよ、要は長期にわたる景気停滞のためにせよ労働者数(B)は増えていた。長期停滞の理由として人口減少を挙げることはできない。
では問題は一人当たりの労働生産性(A)なのか?
A×B=Cだが、Cは総需要額(D)に依存している。Dが増えないのにAが増えるわけはない。もちろん問題は総需要額(D)の大きさである。生産性が上がったから総需要が増えるのではない。総需要が増えたから生産性が上がるのだ。C<Dの場合のみBの不足が問題となり、賃金は上がりAを上げられない企業は市場から退場していくことになる。
次回、今後総需要がどうなっていくのかを展望する。