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経済学の貧困を表す三つの定式
古典派・現代正統派は以下の前提に立っている。自ら意識していないであろうが「暗黙の前提」になっている。定式化するとあまりにも荒唐無稽なので古典派・現代正統派は決して定式化しようとはしない。
定式化されていないが以下の三点の前提がある。そうでないと古典派・現代正統派の主張は理解することすら難しい。理解すると是とするは別問題だが・・・
一国レベルに対象を絞り(貿易は除外する)と以下の等式が成り立つ。
- 貯蓄と投資は一致する (余剰資金は存在しない)
- 商品の供給と需要は一致する(商品の供給は自らの需要を創り出す)
- 労働の需給も一致する (労働市場において非自発的失業は存在しない。失業者はより高い賃金を求めて自発的に失業している)
1.は金融市場。2.は商品(財)市場。3.は労働市場と呼ばれる。
金融市場は利子という資金の価格
商品市場は商品の価格
労働市場は賃金という労働力の価格
という三市場それぞれの価格が変動して需給を一致させる。
以上が古典派・現代正統派の前提であり結論である。
もちろんこれでは「なぜゼロ金利政策から抜け出せないのか」「日本人の賃金が名実ともに下がり続けているのはなぜか」の説明はつかない。
説明はつかないが、「自由放任下での自由競争」という神を信奉する古典派・現代正統派は、神の御業を妨害する要因を探す。それはいわゆる規制である。
「自由放任下での自由競争」の下での価格の調整機能によって資源(ヒト・モノ・カネ)は最適に配分され、全てにおいてバランスの取れた秩序をもたらすであろう。神の御業を恐れぬものには地獄の業火が待っておるのじゃ・・・
これは「神のご託宣」であり疑いを差しはさむことは許されないのである。
「神の御業」の結果
古典派・現代正統派は、政府の役割の縮小を求める。様々な規制を作り出し、再分配などという天をも恐れぬ政府は神の御業にとって邪魔ものでしかない。それは「財政再建」というスローガンに表れている。政府の役割は小さいほどいいのだ、価格による調整に任せておけばいいのだ、と考える。
その結果、何が起こったか?
それは、上記のグラフのような日本の長期停滞である。