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「均衡理論」の陥穽
貯蓄と投資は利子によって均衡する(一致する)
⇒借りられない資金は存在しない
商品の供給と需要は商品の価格によって均衡する
⇒商品の供給は自らの需要を創り出す
労働の需要と供給は賃金によって均衡する
⇒労働市場において非自発的失業は存在しない。失業者はより高い賃金を求めて自発的に失業している
「一致」理論とは言わないので均衡と言い換えた。バランスが取れるという意味だ。よく一般均衡理論とも言われる。
我々が目にしている社会が何らかの指令ではなく自律的に社会そのものの再生産が行われているように見える。それはなぜか?という問いに答えようとした理論である。ただ、「現に均衡している」という思い込みから出発したため現状追認の理論ともなってしまった。どのような場合に均衡し、どのような場合に均衡しないのか、その条件の探求には進まなかったのである。
自由放任下では、これら三つの均衡は原理的に成立しない、と主張したのがケインズである。三つの均衡はそれぞれ単独でも成立しないし、ましてや三つ同時に成立することはない。
読者は「三体問題」というのをご存じだろうか。雑に言えば(雑にしか言えないが)互いを回る三つの天体の軌道に法則性はないが、特異的には法則性がある、というものだ。
三つの天体に働く力は重力だけなのだが軌道に法則性はなくなる。まして金融市場、商品市場、労働市場それぞれの需給バランスに働く力は異なる。三市場を同時に均衡させる均衡点があるわけはない。一瞬存在するだけである。
あるわけはないが、古典派・現代正統派は全て「価格」によって均衡するという前提を置いている。これは素朴な信仰である。信仰をもつ者に何を言っても相手は揺るがない。
〇余剰資金が積み上がっているではないか
⇒規制緩和が進んでいないから投資先が制約を受けている
〇具体的にはどのような規制か
⇒・・・・・・・小声で、ライドシェアとか・・
〇余剰資金が発生しているということは需要不足なのではないか。
⇒価格メカニズムが働かないような規制があるからだ
〇テレビが半額になったら二台買うのか。
⇒・・・・・・イノベーションとか・・
〇失業率が3%以下でも、非正規労働者が減らないのは
⇒正社員の解雇規制が・・・
〇正社員と非正規を入れ替えても割合はかわらないのでは。
⇒・・・・・
まあ、これは冗談(*)としても、三つの均衡が自律的にもたらされるはずだ、という信仰。自由放任は自然の秩序(摂理)だという信仰は次のような観念を生む。
自由放任は自然の秩序だから、経済社会から得られる所得は全て自然の秩序であって正当な報酬である。格差もそれまた自然の秩序である。にもかかわらず政府が税とか社会保険料とかの名目で所得から取り立てるのは神聖なる私有財産韓権の侵害である。
そもそも社会保障は自由競争を阻害し経済に不均衡をもたらすものでしかない。(リカードも救貧税についてこう書いている)
自由放任(レッセフェール)とか神聖なる私有財産とか19世紀の遺物かと思っていたが世界規模でより深いところから湧き出してきている。
この現代日本における最新の表現が「手取りを増やす」という政党の「躍進」である。
なぜ「所得を増やす」と言わないのだろうか?
「所得を増やす」ではなく「手取りを増やす」などと言うことを平気で言えるのは小さな政府論者のみであり、根底には上記のような観念がある。「稼いだお金は全部自分のもの」という観念が蔓延したら社会は崩壊に向かう。
なぜこうなってしまったのか。資本主義は「市場の失敗」に常にさらされる体制であり、最も広義の社会主義の脅威にさらされてきた。その体制選択の脅威がなくなって19世紀に先祖返りしたのであろう。
*あながち「冗談」ではないことは以下のリンクを参照されたい
10:第3章の前に 凝り固まった信念は恐ろしい:アメリカ経済学会会長ルーカスの”正気”
15:第3章 リカードが完膚無きまでの勝利をえた理由:なぜ正統派は成功し、今も成功しているのだろうか?
次回から、いよいよお約束の「新古典派・現代正統派批判のエッセンス」を始めるつもりだったが、その前に本ブログの整理に着手したので、もう少しお待たせ・・・