よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

38:第3編のむすび いくらあっても価値が減らないものとは・・・

2021年04月26日 | 一般理論を読む
 以下の章からなる「第3編 消費性向」は何気ないが重要な編であった。

第8章 消費性向(1)―客観的要因
第9章 消費性向(2)―主観的要因
第10章 限界消費性向と乗数
 
 消費のことを探求し、豊かな社会ほど投資が重要かつ困難になるということを指摘して終わっている。次編 投資誘因につながっている。

豊かな社会で国家が「節約」すると何が起きるのか?

要するに、われわれは
あまりにも分別がありすぎ
あまりにも堅実な財政家になりきろうとしすぎる

なぜ住宅建設よりも金採掘が好まれるのか?
 
金採掘は、金の供給量が増加するとその影響が利子率に及ぶ可能性のあることに加え、有用な富のストックを増加させる手段によっては雇用を増加させることが不可能である場合には、次の二つの理由から、投資のきわめて現実味を帯びた形態となる。

第一に、金採掘には賭博の魅力があって、そのため金採掘は支配的な利子率にそれほど左右されずに遂行される。

第二に、採掘の結果、金のストックが増加しても、他の場合のように、その限界効用を低下させることがない。

住宅の価値はその効用に依存しているから、家が建造されるたびに、追加的な住宅建設から得られると期待される家賃は減少し、それゆえ利子率が歩調をそろえて低下するのでなければ、類似の投資を続けていく魅力はしだいに薄らいでいく。

ところが金採掘の果実はこうした不利益を被ることはなく、高々、金表示の賃金単位の上昇が抑止要因となるだけであって、そうしたことさえ、雇用状態がかなり改善されないかぎり、あるいは改善されるまでは、起こりそうに思われない。

そのうえ、耐久性の劣る富形態の場合と違って、使用費用や補足的費用の準備のために後に逆効果が生じることもない。

二つのピラミッド、死者のための二つのミサ曲は、一つのピラミッド、一つのミサ曲に比べれば、善きこと二倍であるが、ロンドン―ヨーク間の二本の鉄道についてはそうはいかない。

古代エジプトは貴金属の探索とピラミッド建設という二つの活動をもった点で二重に幸運であったし、伝説的なその富も疑いもなくこの事実に負っている。

というのもその果実は、それが消費されることによって人間の用に供するというものではなかったために、潤沢のあまり価値を減じることがなかったからである。

中世には大聖堂が建立され、ミサ曲が歌われた。二つのピラミッド、死者のための二つのミサ曲は、一つのピラミッド、一つのミサ曲に比べれば、善きこと二倍であるが、ロンドン―ヨーク間の二本の鉄道についてはそうはいかない。

要するに、われわれは、あまりにも分別がありすぎ、あまりにも堅実な財政家になりきろうとしすぎる。

子孫のために彼らの住む家を建てよう、そのためには彼らに余分の「財政」負担をしてもらわなくてはならない、そう泱断すればいいものを、その前にあれこれ余計なことを考えてしまう。

だから、われわれは、失業という苦境から簡単には脱け出すことができないのである。

失業の苦しみは、いつ行使するとも知れぬ享楽への請求権を個人に蓄積させること、それこそが彼を「富ませる」最上の途だという格率を国家の行動に準用しようとするなら、不可避に生じる結果だと考えなければならない。

18:第2篇の前に リフレ派の無知 いよいよ第一の山場 でこう書いた。

「古典派も現代正統派も、貨幣というものが、誰にとっても、いくらあっても邪魔にならない存在だから貨幣であり続けるのだということが理解できない」と。

「第四編 投資誘因」ではこの貨幣というものがさらに重要な役割を果たす。

 

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