よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
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日本経済の将来を展望する? 99%の悲観論に抗して ③ なぜ家計の負担だけが増えていくのか

2023年02月27日 | 週刊 日本経済を読む
 財政再建とデフレの克服は日本経済の二大課題であるらしい。これは暗黙の前提となっている。暗黙の前提というのは課題設定自体に疑問を挟む余地がないということである。理論的には二つの課題は両立しないはずだが諸氏は平気のようだ。
 しかし筆者にはこの課題を二つながら克服する「秘策」がある。この項の最後にブログの読者だけにお教えしたい。しばらくお付き合いいただきたい。

1.財政再建:2023年度一般会計予算案を読む:正確な赤字幅は31.1%か11.6%か

 政府の2023年度予算案の規模は114兆3812億円である。収入のうち35兆6230億円は国債発行で賄われており国債依存度は31.1%にのぼると発表されている。さあ大変だというわけだが、これは正確ではない。もっと言えば誤導である。

 新しく国債を発行すると同時に償還もしている。35兆何がしがそのまま赤字というわけではない。
 歳出には国債償還16兆3895億円に利払い8兆4723億円を加えた国債費という項目がある。これを除けば歳出は89兆1309億円
 国債を除いた歳入は78兆7582億円。差し引き10兆3727億円の赤字となる。歳入に占める割合は11.6%である。これをゼロにしようというのがプライマリーバランスであり、財政再建の目標とされている。
 2022年度予算は12兆5868億円の赤字で組まれていたから赤字は22年度予算より2兆2141億円少ない。その分緊縮予算ということになる。さらに22年度も23年度も税収が上振れすることが予想されており、年度末に予算は余るから実際の赤字はさらに小さくなるはずである。緊縮というのは、その分市中から資金が引き上げられデフレ克服にとってはマイナスだからだ。金融政策の足を財政が引っ張っている。それで目標が達成できればいいが、そんな経済理論は存在しない。

2.しかも連結会計では黒字基調

一般政府(中央政府+地方自治体+社会保障基金の連結会計)では下図のように2009年に大きな赤字を記録した後から赤字幅が縮小し、2017年からは黒字基調となっている。政府予算は赤字だが〆てみたら黒字だった、ということだ。
 財政再建論者や政府の経済運営を「バラマキだ」とか「放漫だ」とかいう緊縮論者はデータを見ずに雰囲気に付和雷同しているに過ぎない。


これには固定資産除却額が入っていないが資金の移動を追うには十分だ。

 一般政府が黒字なのは地方自治体、社会保障基金が黒字になっているからだ。中央政府もプライマリーバランス達成まであと一歩のところに来てしまっている。そのあと累積赤字解消のために国債償還の道をひた走るつもりだろうか?国債の償還とは国債保有者への所得移転である。国債保有者(今は半分日銀だが)とは相対的にお金持ちのことであって消費性向は低いはずである。そんなことをすれば今より金は余る。家計も黒字、政府も黒字、企業も黒字。その黒字(貯蓄)を誰が借りてくれるのだろうか???
 それはさておき、プライマリーバランスに近づいてきたこの税収はだれが負担しているのか?

3,政府税収の内訳と推移

 相続税、酒税、たばこ税、ガソリン税から関税まで国税には様々な種類がある。そのうち所得税、消費税、法人税で85%を占める。この三つの税の推移をみてみよう。
 まずはそれぞれの税収額だ。

 消費税が8%に引き上げられた2014年から消費税額と所得税額がほぼ同額になったことが見て取れる。消費税がなかった80年代と比べて家計の税負担が倍になったということだ。所得税は薄められたとはいえ累進性を保っているのに対し消費税は強い逆進性を持つ。消費税額が所得税額と同等になったことは家計所得に対する負担が倍になった以上に消費に悪影響をもたらすだろう。

4.税負担の公平性とは 家計に重く企業に軽いということ?
 
 税負担の公平性という議論には結論がない。直接税と間接税の比率にしろ累進税率のあり方にしろ、議論はしなければならないが議論にはキリがなく正解もないだろう。しかしある部門の負担率が重くなっているのに対しある部門の負担率が軽くなっていくのは不公平と言わざるを得ない。
 国税収入の85%を占めるのは所得税、消費税、法人税だった。所得税と消費税は家計が負担し、法人税は文字通り法人が負担する。そこで上記グラフを法人と家計に分けなおしたのが下の図である。国税収入全体に占める両者の割合を示している。2021年の合計は85%となる。



 1988年にはそれぞれ35%と家計と法人の折半になっていた。それが2021年には家計65%、法人20%と変化している。税は誰かが負担しなければならない。その負担は公平であるべきだ。何が公平なのかは議論があるところだが、家計には重くなり法人には軽くなっていく税負担のあり方を公平と呼べる人はいないだろう。
 さらに法人の税負担全体を示したのが次のグラフである。法人企業統計調査から作成した。この調査は資本金1000万円以上の全企業のBS、PLを集計したものである。
 この実効税負担率は《法人税、住民税及び事業税》÷《税引前当期純利益》として計算した。企業規模を資本金10億円以上と10億円未満に分けている。



 優遇されている法人税の中でもさらに優遇されているのが資本金10億円以上の企業つまり大企業である。
 税制を考える上で応能負担という原則があったはずであるが、財務省は何と考えているのだろうが?
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法人課税をより広く負担を分かち合う構造へと改革し、「稼ぐ力」のある企業等の税負担を軽減することで、企業に対して、収益力拡大に向けた前向きな投資や、継続的・積極的な賃上げが可能な体質への転換を促すため、「課税ベースを拡大しつつ税率を引き下げる」という方針の下で法人税改革が進められました。財務省HPより
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 「稼ぐ力」のある企業等の税負担を軽減するわけだから応能負担の原則なんて気にはしていない。儲かるほど税金は安くなるというわけだ。何をかいわんや。「稼ぐ力のない企業および個人は自己責任。我々のお金は君たちのために使ってほしくないので。」たしかによく見聞きする言動(理論?)ではある。こんなことを平気でHPに載せられるほど政府は「劣化」してしまっている。

 企業の社会的責任という概念を公然と否定できる企業はないだろう。SDGSだCSRだと美辞麗句を並べ立てている企業も少なくない。しかし経済単位として企業が果たすべき第一の義務は納税である。税負担から逃れ、それを家計に押し付けておいて平気な顔をしていられるのでは反社会勢力と変わるところはない。この間ずいぶん政府や企業の退廃ぶりを目にしてきた。負担能力がありながら税金を逃れているのは国の認めた「脱税」である。退廃の根はここにある。企業特に大企業はその最低限の義務を果たすべきである。

5.法人の利益と納税額からみた「秘策」

 2021年でみると、資本金10億円以上の企業(大企業)の実効税負担率は18%、10億円未満の企業は36%である。これはまさに大企業優遇の税制だが、「稼ぐ力のある企業等の税負担を軽減すること」が目的なのだから目的を達しているわけだ。大企業は2021年50.9兆円の利益があった。大企業優遇の税制を止めて36%という10億円未満の企業の実効税負担率にあわせるだけで8兆7000億円ほどの増収となる。前記のとおり当初予算の赤字は縮小することが予想されるからほぼプライマリーバランスは達成されることになる。

 他に何もしないでも大企業優遇の税制を改めるだけでいいのだ。家計と法人の負担が折半であった1988年の実効税負担率(60%程度)にすれば24兆1300億円の増収となる。これは大概の問題は解決しそうな額ではないか?

 1991年のバブル崩壊、1997年のアジア通貨危機、2007年のリーマン危機のようなときには企業にも救済措置を取ることは理解できるし雇用を守ることにもつながる。しかし、統計開始以来最大の利益を上げている企業部門に家計並みの負担を求めるのは当然だろう。危機の時の救済措置をいつまでも続けるのは、それこそ新自由主義が最も嫌う「企業を甘やかす」ことになっているのではないか。

6.企業増税は資本の海外逃避を生むか?

 この間の企業利益の増大の半分は海外投資からの利益である。すでに海外投資はかなり進んでいる。海外投資からの利益は株主配当という形で国民の一部にしか反映されない。賃上げの原資ともなりにくいお金である。唯一、税によってのみ国民に還元されるのだ。もちろん「増税すれば(元に戻すだけだが)、資本の海外逃避が起きるのではないか」という反論が予想される。

 それには海外からの利益は海外で使え、というのが原則(*)であり、国内市場(需要)を増大させるような施策を取ればよいだけなのである。いくら税金を軽くしても需要のないところに資本は戻ってこない。企業減税の分、家計負担を重くして需要を抑え込んでいては国内需要は盛り上がらず、それこそ「資本の海外逃避が進む」。デフレの克服ははるか彼方に遠ざかっていくだろう。
*逆の立場で考えればすぐに分かることだ。アマ〇ンが日本で上げた利益を米国に送金するのを歓迎する人はいまい。

 次回は高齢化社会について、ほとんどの人が誤解している点について。
 高齢化社会こそ日本経済再浮揚の鍵である。


*企業の第二の義務は投資。需要の拡大に合わせて投資をすることだが、これは需要が拡大しなければ求めても無理であろう。
*「稼ぐ力のない企業および個人は自己責任。我々のお金は君たちのために使ってほしくないので。」社会というものの土台には共感があるはずである。自己責任論者も、たった一人では何もできず分業と協業の真っ只中にいる。なぜ共感という想像力が乏しくなってしまったのか。
この要因の一つは過去30年にわたって日本経済がゼロサムを続けてきたことにあるのではないか、と筆者は考えている。他人を蹴落とさなければ上に上がれない。無慈悲にリストラしなければ利益が出ない。という行動はゼロサム環境では「合理的」だが本来の経営ではあるまい。勝ち組と負け組が生まれ、「勝ち組」は自らの身を保持しようとし、大多数を占める「負け組」は「勝ち組」の足を引っ張ることしかできなくなる。たまたま水に落ちた犬に嬉々として石を投げるありさまを見るのはうんざりだ。社会の崩壊だが、政府や多少とも責任がある人々が公言してはばからない。これを退廃と言わずに何と呼べばいいのか。

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