トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

重いとか軽いとか

2021-01-21 02:52:00 | ひとりごと
自分の状況をわかっていただきたい、と思うことは私は最近は特に全くありませんでした。

なぜなら、私の状況を私も把握すらできてないし、主人もできないし、主治医の先生方もわからないを連発されるのですから。誰もが理解や把握することはできないのです。

でもやっぱり辛いのだという事実とかは、知ってほしいなんて思ったりします。
できれば何が辛いのか、具体的に話したいなと思うことはあります。実際、仕事や役割を軽減してもらうためにも必要な作業だったりするのですが、それはもう理解されなくても仕方ないと自分で割り切るだけでも仕方ないですよね。

でも心の安定は別。
理解されなくても、大変なんだねと言ってもらえるだけでほおっとしたりするもので。頑張ろうって、根拠のない原動力になったりするものです。


ところで、辛いのだということは程度の差があります。

こんなことで悩んでるの?という人もいれば
こんな状況で笑えるの?という人もいます。

この程度の差は、自分の中にもよく起こることでして、
この注射に耐えるのか、すごいなと思ったかと思えば
立ち上がる時によろけて壁に激突して、号泣とか。

その違いって心理的なものがほとんどかもしれません。でも決して弱いなとは思わないのです。
たしかに、壁に激突して号泣した自分、痛みの程度は注射の1割くらいなんです。痛みの程度からすればただの大袈裟マンなんです。
でも、立ち上がる時に壁に激突って、状況がおかしいじゃないですか。つまり、脱力したり力が入らない症状が出ていて、うまく自分の頭や体でもカバーし切れていないということ。それは自分の想定より具合が悪いことを意味するのです。その切なさと情けなさと困惑や戸惑いが、多少の痛みに誘発され、そして増幅されて泣いちゃうんです。
この時の自分を、私自身は否定しないようにしていて、むしろここできちんと泣いて頑張る原動力にしなさいと言い聞かせています。
だから大号泣!
でも泣いてスッキリします。
家族もわかってくれていて、思いっきり泣かせてくれます。
泣きながら家事したりもしてます。
意外と泣き止むものなんです。だから、心のままに 笑

ここであはは、情けないねえ、なんて誤魔化そうものなら、その後考え込んでしまうのです。次にあーなった時、どうしたら激突しないのか。
そんなこと、考えたって無駄なのに。

だから大袈裟でも何でもいいんです!
とにかく元気になれるなら。


時々、程度を比較して、

私はあの人より症状が重い

から、話すなんておこがましい、みたいなことを言われたりしました。
重いとか辛いとかって何なんでしょう。つらいとご自身が思うなら私に話してくださってもいいのに、と思っています。

逆に、私だってこんなに大変なのよ、と主張されることがあります。
私が辛いということで、どなたかの辛さや状況を否定したり攻撃した記憶はありません。だから、どなたかより軽いからこの辛さを我慢しなければならないとは微塵にも思いません。

そして何より、比較論で辛さの程度は語れないのだと常々思うのです。
攻撃したり、否定したりしないで欲しいなあと、それだけは思います。
言った方も、明日は我が身。だって、上には上がいるのです。比較したら、もっと辛い人は絶対にいるのですから。その辛さは我慢しなければならないのです。


病気か否か
経済的に恵まれているから、耐えられる
家族の理解がある人は違うよね

そんなことより大事なことがあると思っています。
つらいものはつらい。
みんなみんな、頑張ってる。
それでいいのではないでしょうか。

私自身は、できれば話しやすい人間でありたいなあ。

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