私の病気はおそらく、下垂体前葉機能の低下により引き起こされたホルモンの分泌異常による影響と、そのホルモンのバランス等の変化により膠原病系の病気が発症した、その影響とがダブルで起こり、はっきりいえばくちゃくちゃのめっちゃくちゃでした。
とりあえず、私の症状はこんな感じでした。
・とにかくだるい。泥の中をほふく前進するようなイメージ。
・動けなくなる、気を失うこともしばしば。
・痛い。特に頭痛がひどい。
(背部痛からの筋緊張型頭痛か?と思いましたが、痛い)
・左腕が痺れる。
・手が思うように動かない。
・うまく走れない
・時に強い吐き気
・足の裏が痛い。歩けないくらい、ガツンガツン痛い。
・傷が治らない。会陰切開の跡は半年以上治らず、見た目でくっつくまでにも2ヶ月以上を要し、くっついたと言われてからもかなり痛かった。
・果てしない健忘
その他にも、目が見えにくい、本が読めない(文字がすべっていくよう)、筋力が落ちている、便秘、ものをよく落とすなど、とにかく不定愁訴と言われるような訴えの連続でした。
はっきり言い切ってしまえば、「人間として生命を維持する機能が全部落ちてます」ということでした。それを言いたかったんですけど、「具体的には?」となるので、あーだのこーだのと上記のように列挙しているとうるさい人だなあとなるのが常でした 笑
一気に90歳になったとも言っていました。
絶妙にわかりやすい表現だと思うんですけれども、それはそれで、「はい?」ってなもので、受け入れてもらえない。
今こそ言いたいですね!
一気に老化する症状です。
あとでわかることなのですが、ヘルパーさんに「お風呂、掃除しましょうか?」と問われたことがあります。大丈夫ですよ、それなりでいいんで、と返しましたが3回くらい連続で聞かれたので、そんなにも汚いのかなあ?と思ってお願いした、という経緯があります。要するに、本当に目が見えていなかったんです。汚れがわからないほどに、見えていないんです。
交通ルールを守れるほどには見えているんですけれど、霞がかっている感じなんですかね。
自分でもどう見えていないのか、よくわからないので、こんなにも見えていないのかと驚愕しました。
ヘルパーさん達は、私の症状を細かくみてくださるので、気のせいなのか症状なのかという自問自答が少なくなっていきました。
しかし、当初は自宅でひとり、苦しみもがいているだけなので、はっきりと自信を持ってこういう症状なんです!と言い切れずにいました。自分の訴える症状ひとつひとつにだんだんと自信を失っていきました。病院というのは、数値しか見てくれないことも多いので、なぜその症状が起こるのか説明がつかないと必ず、「お子さんもまだ小さいですからねえ」と言われるのが常でした。否定はされていませんけれども、気のせいと言われているようで、気の持ち用で何とかしなければならないという暗示がずっと続いていました。
ですので、ヘルパーさんにあなた全然ダメですよと言われるほどに「そうですよねえ」と、ようやく自信を取り戻し、今こうして堂々と話すことができています。7年の歳月を要しました。
苦しまれている方がいたら、ぜひお話してほしいと思います。
おそらく3PEを発症した日はあの朝だな、という地獄の朝が訪れました。
主人に肋骨が折れたような痛みだと訴えました。
何でこんなことになったのか、赤ちゃんの抱っこの仕方が悪いのかと自分を責め、布団に突っ伏して叫びたかったのですが、痛くてそれもできませんでした。
目の前には泣きじゃくる乳児がいます。
自分の体は二の次、頑張るしか他ありませんでした。
がんばればがんばるほど、あなたは育児をできていますと認定されるので、支援のお願いもにべもなく断られ、孤独というよりも世間から突き放されてしまったような、そういう虚しさがありました。医療につながらないということは、支援もない、世の中から隔絶されてしまうことを意味しました。
きっと、笑える日がくるはずだ、こんなに大変な思いをして育児をした日があったと、思い出になる日がくるはずだ、そう言い聞かせて1日1日を乗り越えていく、そんな日々でした。