夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

お疲れ様でーす

2022-03-20 19:42:52 | つれづれ
町内会の役員が高齢化で四年に一度回ります。(オリンピック?)

普段は氏神様のお祭りや

平安講

地域清掃や

区民運動会

防災訓練

赤十字や赤い羽根

消防訓練

敬老行事等盛りだくさん。

しかし

私が役員したあとの、2年

コロナのせいで

市民新聞配りや

交番便り等の配布はあっても全

部の行事なくなり

役員さんたちはほぼ仕事がありませんでしたと

今日は

挨拶に来られました。

町内会費使うときもなく

お盆の地蔵盆もなくなり

余った町費で

ラップやスポンジ

京都市の指定ゴミ袋各種や布巾の詰め合わせ作られて

各個に配布されました。

役員してたときは行事プラス

国勢調査の年でした。

しかし最近はPC等でもできるから楽ですね。(笑)

京都市内の町内会の行事は多彩ですが

それにより

子どもたちの交流や、親同士の結びつき

町内の、お年寄りの状況の把握や

学区の社協の役員さんたちとの連絡等

災害時の事を念頭に色々されています。

どこに誰が何人で住まわれて

災害時

誰が閉じ込められているか等把握できるようになっています。

町内会倉庫には必要な災害時に使える道具や

大型のバール等も入れてあります。

その、点検も役員はします。

京都市内は路地が多く

しかも空襲少なく太平洋戦争前の古い町並みが多く残っていますから

明治大正期からの古い町家や、狭い路地は多く残り

防火バケツが各個に用意されていたり消化器が町内でたくさん置いてありますが

火事が一番怖いからです。

狭い路地は消防車の入れない場所も多く

火の用心の、当番や、

各町内にあるお地蔵さんのお花の水替えや、お掃除は毎日町内会で回ってきます。

全員で管理してます。

新しい他府県の方が引っ越されて来て

一番驚かれるのは

町内会にほぼ全員入られていて

みんな何らかの役割をされてることで

大体町内の、皆さんの家族とか様子はわかりますので

あまりにも都会の割にはコミュニティがすごいですねと言われます。

しかしこれは京都市内の中心部や

古くからの学区だけになっているかもしれないです。



新工房のことで彼の地の役所に、行ったとき

「田舎ですから、いろんなコミュニティありますけど煩わしくないですか?」

と、言われましたが

聞いて見ると京都の今の地域より全然楽でなんの問題もなく

私にしてみたら

田舎ですけど今よりはコミュニティ密でないし

狭い路地に家が密集して、それこそ内緒事もできないような密な関係性の京都の古い町内会に比べたらずいぶん楽そうです。(笑)

京都では、さらに

何年かに一度回ってくる時代祭の役もあります。

時代祭は市民参加のお祭りで、

桓武天皇が、平安遷都された10月22日を市民参加でお祝いします。

父も叔父たちも妹婿とかも

時代行列の中で

足利尊氏や楠公、坂上田村麻呂役で時代衣装で馬にまたがって行列とかしてました。

どの学区が何時代の役をするかで配役は違います。

戦国武将は人気ですね。

しかし平安時代のお姫様たちとかは

祇園のきれいどころのお姉さんたちがされます。(笑)

大体地区によりどの時代のどんな行列に関わるか決まってます。

平安神宮は市民の神宮なので

みんなこぞって

過去京の都を彩り支え

織田公等京に上洛された方々とか

維新前後の勤王志士の皆さんを称えるのです。

父の行列参加のとき等は

京都会館に時代装束に着替えるため母も行ったり

参加できることが誇らしい雰囲気でした。

つまり

都会の割には京都市内古い町内とか学区は色々大変です。

まあ、学生マンションさんとかは免除されてますけど。(笑)

前に他府県から引っ越しされたご夫婦は

「ここはホントに都会?」

と、結構やることたくさんなのに驚かれましたが

今では若いので中心メンバーになっておられます。

運動会とかは町内みんなで若い人たちの子どもたちの子守りしたりしますから。

馴染まれる方には

子供の事とかもみんなが見てくれますし楽ですね。

しかし町内会に入られてない方には住み辛いところかもしれません。

うるさい街です。(笑)

馴染むと住みやすいですが。

京都は案外都会の顔をした巨大な田舎かもです。

新工房のほうが

話を聞いてると

そこまでじゃないから楽ちんです(笑)

気楽な感じ。

逆なら大変です。

慣れるまで必死ですね。(笑)

市内でも新興住宅地は今ではもうそんなことはありませんね。



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どこに行ったの?

2022-03-20 13:14:10 | つれづれ
我が家の近くは

野鳥がすごくたくさんいまして 
近くに金閣寺の森があるから

山もあるしかなぁと単純にかんがえておりました。

最近は燕も来たし賑やかだなと。

でも

本当に最近

不思議なこと感じました。

朝に普通にいるはずの

あの、チュンチュン、がいないんです❗🤐

なぜ?

どーして?




青く美しいイソヒヨドリたちや

ヒヨドリ

メジロにシジュウカラ

セキレイたち

たまにツグミ

サギたちも飛んでくるし

水鳥も川にいるし

アオサギなんかもやってくる。

カラスは我が物顔で時々鳩たちも追い回す

空にはトビが気持ちよさそうにピイヨロロと鳴いて弧を描く。

なのになぜ?

雀っ子がいないの?

油断してた。

大通りのところには雀たちが普通にいる。

奥まったこのあたり

たまにコゲラが木をつつくのに

どうして雀っ子いないのか?

いつからいなかった?



妙に焦りますね。



大したことない話で

ただこの近所

他のいろんなのいますから引っ越しただけなのかなあ。



前はお向かいの雨樋のところにチュンチュンいたのですが。



いないとなると

ちょっとさみしいなあ。



引っ越したのかなぁ?






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うーん

2022-03-20 05:05:41 | つれづれ
甘味峠のたたかい

と言う題名の大きな作品の準備をコツコツ密かに進めてる

これはケーキのお城を巡る白いねずみさんたちと黒いねずみさんたちの滑稽な争いの場面。

着想し修正しデッサン起こして

いろんな試行錯誤がありなかなか完成まで行かない。

しかし

現実のたたかいの恐ろしさや暗さ、絶望感が

このモチーフを攻撃し始めた。

私は平和な世界の中でこそ

例えば小さないさかいは存在するのが許されると想う

戦乱の中では兄弟姉妹のささやかな喧嘩さえ

友人たちの小さないさかいさえ許されなくなる。

ケーキのお城を狙う面白いモチーフが

どうしても実際の戦乱のせいで進まない。

苦しくなる。

たたかいと言ってもこれらは

台所の小さな道具を使っての争いなのだけど

それを擬人化し

滑稽なポーズを、取らせることにより

争いなんて滑稽なものだよ

と、表したかったが

事は滑稽では済まない。

それを想うとき

20世紀の戦乱の時代に

それを表せた先人の皆さんの凄まじさを感じた。

芸術家然り

舞台人然り。



自分はとんでもないと想う




しばらく放置。



進まなくなってしまいました。


本当に情けない。


けれども

争う事の滑稽さを表せるのはやはり

ある程度平和な世の中でなければ

笑い飛ばすことなんかできなくなる。



こんな気持ちになるなんて

夢にも思わなかったのです。


童話みたいな世界だから大丈夫って言ってくださる方もおられますが

でも

やっぱり辛くなるのは

何ともいたし方ないです。



本当の戦乱の絶望感や恐怖感を

もしかしたら私は初めて実感したのかなとふと想いました。



けれども

この、モチーフを諦めたわけではないです。

必ず完成させます。

兄弟姉妹喧嘩みたいな

滑稽さ

笑えるようなモチーフ

その中に争う事の滑稽さを入れたいなとふと想っていた自分は本当の気持ち。

部品コツコツだけは合間にすすめて

心の整理ができれば

準備が整えば一気に仕上げたい。

私の作りたいのは

表したいのは

争うということじゃない。

もしも台所の中でそのようなことが繰り広げられたなら

くすっと笑えるような

そんな世界作りたいので

そこには本当の争いなんかないです。

童話みたいな世界だから。



お互い傷つけるわけではなく

その、滑稽さで

どちらが真剣か

どちらが如何にケーキを愛してやまないのか。

そんなバカバカしい笑えるような命題に向かって真剣に滑稽な姿で向かうのは

実は人の、本当の姿のような気がしたんです。

それは多分

愛する女性を得るための努力とか

親にお小遣いアップをねだるための作戦とか

人の気を引くためちょっとカッコつける人たちとか

生活の中に溢れている様々な人の営みで

真剣さ故に少し滑稽で

それでいてたまらなく愛おしい

そんなもので。



本当に

人を傷めつけたり

あやめたり貶めたりすることとは

根源違う気がするんです。



よくわかんないけど

私は

本物つくりたい

何が本物なのかわかんないけど

本物の想いつくりたい



こんな時に

私は初めて

ずーっと夢の中で現れてきた表現

どんどん具現化してはっきり目の前に現れだしました。

デザインもモチーフも

全て。

それらが動いてます。

生きてる。



その想いの中の映像を

どんどん本気で作る他ないし

それしかできないのだと想うんです。

それはお商売でもないし何でもない

なんだろなあ

ただ

溢れてくる何かの衝動みたいなの

工芸とかそんな枠じゃなくて

ヘンテコリンな感覚だけど

本当の衝動。

それがどんどん今溢れてきてる。



人生は短いし

どれだけ表せるかなんてわかんない



こじんまりまとめるのは苦手だけど

ちょっと正直に表現してみたいだけなのです。




おかしなこと言うなあと笑われるかもしれませんが

おるごーるの、ムーブメント鳴ってなくても

演奏しているような錯覚がする

本物をいつかつくりたい。



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