死後の世界はやっぱりあるんじゃないかと思う 最終回
前回から、だいぶ間があいてしまいました。
なにしろ風邪をひき、モーローとしたまま、繁忙期突入。喉と節々が痛くて、業務こなす以外、グッタリ何もする気になれず・・・・
床に伏しながら、体操の内村選手、ダブル金メダル!!!!に拍手したり
してました。
まだまだ終わらないリオ。女子バレー、どうなるかなあ? 錦織も気になります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yaho.gif)
さて、死後の世界って、やっぱりあるんじゃないか?と思わせる所以、
人の意識の所在、まあ、「心はどこにあるのか?」みたいな疑問なんですが・・・
そおいう分野って、科学で研究してもあんまり意味がない・・・・
「生きてる間が大事」な訳で。死んだ先のことなんて、
宇宙の果てがどこにあるかを考えるくらい、ムダなことですから。
未研究の分野。でもあきらかに、やっぱりあるんじゃないか?と思わせられた体験を書きます。
父に続き母も不治の病でした。脳の病気(脳腫瘍)でした。
本当は自分の胸にしまっておけばいいようなことかもしれないんだけど。
もう四半世紀も昔のことです。 まるで鉛を流し込まれたかのような辛い一年間でしたが、
辛かった思い出は、すっかり過去のものとなったから、こんなこと書いてみてもいいかなと。
亡くなる、数ヶ月前の母の意識、というか、認識力がいちじるしく損なわれ始めた頃、
いろいろな幻聴や幻視のようなものが、始まったのです。
よそに住む下の弟が今そこに来ていて、そこにいるじゃないか!と何度も訴えてきたり、
壁に一面文字が書いてあって、ひとりぶつぶつとそれを読んでいたり・・・・
当時は私も戸惑いました。闘病が辛すぎて、とうとう精神にきてしまったのか?と思ったりしたのですが、
お医者さんによると、それもこの病気の進行による症状のひとつではあったのです。
しかし、
そうはいっても、
これあきらかに、お迎え来てる!?と思わせるような発言が、そのなかにあったのです。
もう何年か前に亡くなった、母の姉の旦那さんの、Pちゃん(仮名)が、さっき来ていたんだ!と。
母からこれを聞いた時、さすがに少し、気持ち悪かったのです・・・!!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0252.gif)
しかも、お迎えならば、一昨年先立った父だろう?なんでPちゃん(仮名)?
亡くなった人たちに対して不謹慎ですが、Pちゃん(仮名)もしかして、母のこと好きだった?とか・・・
今思うと、そんなことを考えてしまいます。まあ昔のことですから、もうどうでもいいことなんですけどね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
一時退院してすぐに、そんな状態になったもんですから、すぐさま再入院。
病室でも一週間ほど、そんな様子だったでしょうか・・・
そんな頃、私が見舞いにいくと、また誰かと話している様子・・・・
母にしか見えない誰だかに、「いやーーーえらい目に会いましたよおおお」とか言ってたのです。
え?大変なのはむしろこれから、まだ闘病は終わってないのに・・・
まるで、まるで、天国にいって、天国に先にいっていた知り合いにでも会って話しているかのような、そんな風に私には聞こえたのです。
これ、意識だけはもう、アッチへ逝っちゃってるな・・・と。そう感じたのです。
そして、それから母の意識はだんだん遠くなっていき、再入院から二ヶ月ほどして、静かに息をひきとりました。
長く辛い旅を終えて、ようやくゴール!!したかのような、安らかな、晴れやかな表情をしていました。
病気が発覚する少し前に私が見た夢。
光さす高い雲間に母が昇っていく夢。まさにその光の世界にようやく母は昇り詰めたのだ、と思えたのでした。
結局本人には詳しい告知をせず、それでも自身の身体のこと、母はなんとなく、先の長くないことを予感はしていたかもしれません。
でも、死を本当に覚悟できる人間なんて、いないんだなあ、と。
ただ、命ある者の性というか、絶望に追われれば、追われるほど、わずかでも、光を感じたところにすがりついていく。
マヒが残って歩けなくなった時も、立って歩いて、生活していく事しか考えていなかった母。
「前向き」といえば、いい言葉かもしれないけど、前向きに考えるしかないんですね。絶望すればするほど。
生きようとする本能って、ただただ、
超前向き
なんですね。
前向きなまま亡くなった母。
ごくたまにですが、夢にでてくる母は、すごく元気。
自分は治る、何年かでも、生きてみせる!っていう意識の強かった母だから、
夢の中では、どうも、治ったことになってるんです。
アレ?
なんか疲れる夢なんですが・・・