余部駅ができたのは・・・
鉄橋がそびえたつ余部に駅ができたのは、
鉄橋が完成した約半世紀後の昭和34年(1959年)。
それまで余部の人々は、暑い日も雪の降る日も鉄橋を歩いて渡り、
4つのトンネルを抜けて“鎧駅”から列車に乗っていました。
そこで、余部小学校の児童たちが、当時の坂本兵庫県知事に
「余部に駅をつくってください」
と手紙を書いたことがきっかけとなり、駅の設置が決定されました。
建設時、大人に混じり児童たちも、
駅の材料となる石を海岸から山の上まで皆で運びました。
駅ができた翌年(昭和35年)、余部小学校の校歌がつくられ、
2番の歌詞には鉄橋が登場し、現在も歌い継がれています。
「緑の谷に そびえ立つ 鉄をくみたる 橋の塔」
当時の地元の人々の鉄橋への熱い思いが伝わるエピソードです。
(香美町HPより)
城崎駅前には、お土産に蟹や海産物を販売するお店が軒を連ねています。
ハタハタ・本カレイ・ボタンエビ・・・
天橋立の“廻旋橋(かいせんきょう)”です。
天橋立と文殊堂のある陸地をつなぐ橋です。
橋の下を観光船が通過する度に
橋が90度旋回して船を通します。
大正12年にできた時は、手動で操作したそうです。
昭和35年5月から電動式となり、
今では多いときで日に50回ほど廻るそうです。
デジカメを取り出すのに手間取ってしまい、
もう少しで橋が元に戻るところでした。
天橋立
天橋立と文殊堂のある陸地をつなぐ橋です。
橋の下を観光船が通過する度に
橋が90度旋回して船を通します。
大正12年にできた時は、手動で操作したそうです。
昭和35年5月から電動式となり、
今では多いときで日に50回ほど廻るそうです。
デジカメを取り出すのに手間取ってしまい、
もう少しで橋が元に戻るところでした。
天橋立