天(あま)の原(はら)振(ふ)り放(さ)け見れば春日(かすが)なる三笠(みかさ)の山に出(い)でし月かも 安部仲麻呂(あべの なかまろ)
この歌の現代語訳を検索してみると
「天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月は 奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。」という訳が多い。
なぜ、仲麻呂は月を“振り放け”見たのか。
岡野弘彦先生の『万葉の歌人たち』(NHKライブラリー)山部赤人の長歌
天地の分かれし時ゆ 神さびて高く貴き
駿河なる布士の高嶺を 天の原ふりさけ見れば・・・の項で以下のように説明されている。
<「振り放(さ)け見れば」は、天空に遠く視線を放って、振り仰ぐことです。この「見る」も、漠然と観察するという曖昧模糊とした現代人の「見る」とはまったく質が違い、非常に意力のこもった古代人の「見る」です。>
では、仲麻呂は月を振り放け見なければならなかったのか。
それは、唐の国で見る月は、奈良で見た月とまるで違って見えたからだ。大陸の風土と島国の風土の違いもあるだろうし、一緒に見ている人の違いもあるだろう。
「大空遠く遙かに眺め渡しても、月は昔、三笠山で仰いだ月とは違って見える。遙か昔に見た、春日の情景、三笠山の情景の記憶を蘇らせようと念じながら月を凝視していると、昔見た三笠山を思い浮かべることができた。(帰国して、早くその月を眺めたいものだ。)」
()内は、この歌を詠んだのが、遣唐使船で帰国しようとした時の状況を鑑みての思いを述べた。
船の難破により、仲麻呂は帰国できなかったが、望郷の念の篤い思いは、時を超えて日本人の心に響いて来る。