風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
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あな不思議 与謝野晶子(比歌句 38 七)

2018年05月28日 | 和歌

比歌句 38の一から六までは、『乱れ髪』中の歌。

この歌は、遺歌集である『白桜(はくおう)集』中のもの。

 

夫である与謝野鉄幹が亡くなり、その遺体を納めている棺の上に神様が現れたという。

 “あな不思議”と言っているので、思いがけない神様がおいでになったということだ。

しかも“神の子”と言っているから、若い姿でお出ましになったのだろう。

 

その“天稚彦”とは、

<葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天穂日命(アメノホヒ)が3年たっても戻って来ないので、次にアメノワカヒコが遣わされた。

しかし、アメノワカヒコは大国主の娘下照姫命と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大御神と高御産巣日神(タカミムスビ)は雉の鳴女(ナキメ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。すると、その声を聴いた天探女(アメノサグメ)が、不吉な鳥だから射殺すようにとアメノワカヒコに勧め、彼は遣わされた時にタカミムスビから与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で雉を射抜いた。

その矢は高天原まで飛んで行った。その矢を手にしたタカミムスビは、「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまった。

アメノワカヒコの死を嘆くシタテルヒメの泣き声が天まで届くと、アメノワカヒコの父のアマツクニタマは下界に降りて葬儀のため喪屋を建て八日八夜の殯をした。シタテルヒメの兄の味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ)も弔いに訪れたが、彼がアメノワカヒコに大変よく似ていたため、アメノワカヒコの父と妻が「アメノワカヒコは生きていた」と言って抱きついた。するとアヂスキタカヒコネは「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、神度剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山だという。>

 

ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%92%E3%82%B3

 

もし、鉄幹が天稚彦の生まれ変わりであるとするなら、晶子は大国主の娘下照姫命ということになる。(どちらも守護神なのかもしれないが。)

天稚彦は、天照の側からすれば、裏切り者ということになる。しかし、天稚彦は、大国主命を葦原中国の支配者として認めらからの行動だろう。裏切り者の汚名を着せられても、美しいものは美しいという心を持っていたということだ。

そして、天稚彦は、大国主命に天照のことを話したではないか。だからこそ、後日、すんなりと国譲りが、行われたのではないのか。

下照姫のその後は分からないが、天稚彦を生涯慕い続けたことだろう。

<シタテルヒメの兄の味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ)は、アメノワカヒコに大変よく似ていた。>ということであるので、鉄幹は、晶子の親類縁者若しくは知り合いによく似ていたということになるのではないかということが推測されるが、歌から推測できるのはここまで。

これから先は、色々な文献を漁って、研究しなくてはならないところだろう。

だが、私にはそんな時間はない。なんせ、休みは原則、土日のみ。そして、女房は七十才まで働けという。

とまあ、最後は自虐ネタでした。