風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
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千早(ちはや)振(ぶ)る 在原業平(比歌句 35左)

2018年05月16日 | 和歌

千早(ちはや)振(ぶ)る神代(かみよ)もきかず竜田川(たったがわ)からくれないに水くぐるとは 在原業平(ありわらのなりひら)

 

さあ、昨日の

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に 小野小町

とどう響き合うのか?

 

実は、これは本歌の解釈でなく、落語の「ちはやぶる」とのコラボだ。

さあて、落語の“ちはやぶる”とは?

 

 

講談社学術文庫 『古典落語』 興津 要編 をかいつまんで紹介。

 

ある知ったかぶりがこの歌の解釈をする。

「まあ、この歌は、竜田川を詠んだものなんだな。この竜田川は、神田川とか隅田川とかいう川とは違うんだ。なにを隠そう相撲取りの名だ。江戸時代に活躍した力士で、大関にまでなったという大変な人だ。ある日のこと、ひいきにつれられて、吉原へ夜桜見物だ。両側の茶屋は昼を欺くばかりのあかりだ。そして、今全盛の千早太夫(だゆう)という花魁(おいらん)に一目ぼれしてしまう。そこで、惚れた弱みでかよいつめたのだが、ふられっぱなし。妹女郎(いもうとじょろう)に神代(かみよ)というのがいて、この神代に話をつけようとしたのだが、神代も「ねえさんおいやなものは、わちきもいやでありんす」てんで、これもいうことを聞いてくれなかった。

さあ、ふられつづけた竜田川は、相撲をやめて豆腐屋になったな。」

「なにも豆腐屋なんぞにならなくたってよさそうなもんじゃありませんかね。」

「まあ、いいじゃないか。竜田川の故郷の商売が豆腐屋なんだから・・・・年老いた両親は大よろこびだったそうだ。そして、光陰矢の如く、はや三年が夢の如くに過ぎ去りし。そして、ある秋の夕暮れどきに、ぼろを身にまとった女乞食が竹のつえにすがって、竜田川の前に現れた。竜田川は、「こんなものでよかったら、なんぼでもおあがりなさいまし。」と、おからを握ってさしだす。「ありがとう存じます。」と、うけとろうとする女乞食、見上げ、見下ろす顔と顔。

さて、この女乞食なんだが、これがなんと、千早太夫のなれのはて。

竜田川は烈火の如く怒った。「おまえのおかげで、おれは大関の地位を棒にふっちまったんだ。」と、手に持っていた卯の花を地べたにたたきつけると、逃げようとする女乞食の胸をどーんとついた。

そして、女乞食は倒れてしまった。しばらく泣き崩れていたが、すっくと立ち上がるとそばにあった井戸に身投げしてしまった。

とまあこれが、千早振るの歌の意味だ。

なに、意味が分からない。しょうがねえなあ。

一目ぼれした竜田川が、千早のところへかよいつめたが、とうとう振られただろう?

だから、<千早振る>じゃないか。千早が振ったあとで、妹女郎の神代に話をつけようとしたが、神代もいうことを聞かなかったから、<神代もきかず竜田川>となる。女乞食におちぶれた千早が、竜田川のうちの店先に立って、卯の花をくれ、つまりおからをくれと言ったけれど、竜田川はやらなかっただろう?だから<からくれない>じゃあないか。そして最後に身投げしたろう。井戸にどぶーんと飛び込めば<水くぐるとは>じゃあないか。

なに、それじゃあ<とは>の意味が分からねえだあ?

それはだな、あとでよくしらべてみたら、千早の本名だった。

 

“ちはやぶる”のとんでも解釈ではあるが、とんでもあるが故に落語として面白い。

それが、小町伝説を思い浮かべるとどうだろう。

男をすげなく扱う。

落ちぶれてしまう。

落語“ちはやぶる”は、この小町伝説を香りとして笑いに変換している。