風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

あなたのこなたの 宗安小歌集(九四)(比歌句 37左)

2018年05月21日 | 和歌

あなたのこなたの そなたのこちの あらうつつなや 柴垣に押し寄せて うつつなの衆 

 

『風雅と官能の室町歌謡』 植木朝子 角川選書

(今、読んでいる最中です。)

植木さんはこの歌を

<あちらこちらの、あなたの私の、ああもう何が何やら夢心地。柴垣に押し寄せて、無我夢中のあなた。>と解釈されている。

確かに、この歌を作者が歌になんらかの意味を込めて詠っているものとして捉えれば、この解釈は素晴らしいものだ。

だが、私はこの歌を読んだ時に、晶子の

< とおもへば垣をこえたる山ひつじとおもへばぞの花よわりなの >

が浮かんで来た。

この歌の作者は、人が分かってくれるかどうかは分からないが、目にした幻想をありのままに詠んだのではないか。

<遠いあそこからもこちらからもあなたのいらっしゃるそこからもわたくしのいるここからも これは現実なのかしら 柴垣に押し寄せているわ 幻のような若者たちが。>


とおもへば 与謝野晶子(比歌句 37右)

2018年05月20日 | 和歌

とおもへば垣をこえたる山ひつじとおもへばぞの花よわりなの 与謝野晶子(よさのあきこ)

 

「・・・と思って見ていると、垣根を越える山羊が現れたと思えば、花園が、どういう訳なのかしら。」

この歌の解釈は不可能だ。なぜならば、この歌を詠んだ晶子自身にも意味が分かっていないからだ。意味は分からないが、見たものをありのままに詠んだのがこの歌だ。

晶子は何でこんなものを見たのか?この問いを探ってみようと思う。

だが、掲出歌のような歌は前代未聞だと思っていたら、何と室町時代の『宗安小歌集』に同様の歌を発見した。

その歌とは?それは、明日のお楽しみ。


をみなにて 山川登美子(比歌句 36左)

2018年05月19日 | 和歌

をみなにて又も来む世ぞ生まれまし花もなつかし月もなつかし 山川登美子(やまかわ とみこ)

 

美しい歌だ。美しい心だ。何という心の強さだ。

 

花を見てなぞ懐かしと思ふらむわが前の世はをみななるかな 風天道人

吾柩守る人なくおくらるゝ野のさびしさを思ふけふかな 山川登美子

夫から更に兄姉最愛の父を送りし後の棺ぞ 風天道人

今の我に世なく神なくほとけなし運命(さだめ)するどき斧ふるひ来よ 山川登美子

“とみ”の名を授かりながらはかなくも散りしみ影にあるやまと歌 風天道人

父君に召されていなむとこしへの春あたたかき蓬莱のしま 山川登美子

蓬莱の島暖かくござそろうそろそろ穢土へ戻り来まさな 風天道人

 

実は一昨日は酔っぱらっていて、何を書いたのかも分からない状況だった。

文書が下手なのはしょうがないとして、誤字脱字がなくてよかった。(たぶん)

思いもしなかった歌を取り上げたので、比歌句にあれこれと迷った。

山川登美子の歌の解説が浮かんでこなかった。

どういう訳か歌が浮かんできたので、そのまま書くことにした。

 

山川登美子のことを知りたい方は 「明治人物ファイル」

http://www.ofko.jp/mimigaku/meijijinbutsu/meiji-e7.htm

上記サイトの更新は、2001年1月で途絶えているのですが、とても参考になります。

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 探します。時間は掛かると思いますが、よろしくお願い致します。


つひに行く 在原業平(比歌句 36右)

2018年05月17日 | 和歌

つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを 在原業平(ありわらのなりひら)

 

今日、西城秀樹さんの死を知った。同い年だけになにか遣る瀬無い思いがある。

「ヤングマン」は、とても明るくて(原詩はさておき)若者を応援する良い歌だと思っていた。そして、秀樹さんの声がとてもこの歌にマッチしていた。

そして、従兄が「傷だらけのローラ」をカラオケで歌っていたことを思い出した。

従兄も一昨年他界した。

追悼の意味を込め、この歌を今日は捧げたいと思う。

明日の歌はどうなるのか。ケセラセラ


千早(ちはや)振(ぶ)る 在原業平(比歌句 35左)

2018年05月16日 | 和歌

千早(ちはや)振(ぶ)る神代(かみよ)もきかず竜田川(たったがわ)からくれないに水くぐるとは 在原業平(ありわらのなりひら)

 

さあ、昨日の

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に 小野小町

とどう響き合うのか?

 

実は、これは本歌の解釈でなく、落語の「ちはやぶる」とのコラボだ。

さあて、落語の“ちはやぶる”とは?

 

 

講談社学術文庫 『古典落語』 興津 要編 をかいつまんで紹介。

 

ある知ったかぶりがこの歌の解釈をする。

「まあ、この歌は、竜田川を詠んだものなんだな。この竜田川は、神田川とか隅田川とかいう川とは違うんだ。なにを隠そう相撲取りの名だ。江戸時代に活躍した力士で、大関にまでなったという大変な人だ。ある日のこと、ひいきにつれられて、吉原へ夜桜見物だ。両側の茶屋は昼を欺くばかりのあかりだ。そして、今全盛の千早太夫(だゆう)という花魁(おいらん)に一目ぼれしてしまう。そこで、惚れた弱みでかよいつめたのだが、ふられっぱなし。妹女郎(いもうとじょろう)に神代(かみよ)というのがいて、この神代に話をつけようとしたのだが、神代も「ねえさんおいやなものは、わちきもいやでありんす」てんで、これもいうことを聞いてくれなかった。

さあ、ふられつづけた竜田川は、相撲をやめて豆腐屋になったな。」

「なにも豆腐屋なんぞにならなくたってよさそうなもんじゃありませんかね。」

「まあ、いいじゃないか。竜田川の故郷の商売が豆腐屋なんだから・・・・年老いた両親は大よろこびだったそうだ。そして、光陰矢の如く、はや三年が夢の如くに過ぎ去りし。そして、ある秋の夕暮れどきに、ぼろを身にまとった女乞食が竹のつえにすがって、竜田川の前に現れた。竜田川は、「こんなものでよかったら、なんぼでもおあがりなさいまし。」と、おからを握ってさしだす。「ありがとう存じます。」と、うけとろうとする女乞食、見上げ、見下ろす顔と顔。

さて、この女乞食なんだが、これがなんと、千早太夫のなれのはて。

竜田川は烈火の如く怒った。「おまえのおかげで、おれは大関の地位を棒にふっちまったんだ。」と、手に持っていた卯の花を地べたにたたきつけると、逃げようとする女乞食の胸をどーんとついた。

そして、女乞食は倒れてしまった。しばらく泣き崩れていたが、すっくと立ち上がるとそばにあった井戸に身投げしてしまった。

とまあこれが、千早振るの歌の意味だ。

なに、意味が分からない。しょうがねえなあ。

一目ぼれした竜田川が、千早のところへかよいつめたが、とうとう振られただろう?

だから、<千早振る>じゃないか。千早が振ったあとで、妹女郎の神代に話をつけようとしたが、神代もいうことを聞かなかったから、<神代もきかず竜田川>となる。女乞食におちぶれた千早が、竜田川のうちの店先に立って、卯の花をくれ、つまりおからをくれと言ったけれど、竜田川はやらなかっただろう?だから<からくれない>じゃあないか。そして最後に身投げしたろう。井戸にどぶーんと飛び込めば<水くぐるとは>じゃあないか。

なに、それじゃあ<とは>の意味が分からねえだあ?

それはだな、あとでよくしらべてみたら、千早の本名だった。

 

“ちはやぶる”のとんでも解釈ではあるが、とんでもあるが故に落語として面白い。

それが、小町伝説を思い浮かべるとどうだろう。

男をすげなく扱う。

落ちぶれてしまう。

落語“ちはやぶる”は、この小町伝説を香りとして笑いに変換している。