先ほど「すずか教育フォーラム2008」終了しました.
展示の準備が大変でしたが,ありがたいことに撤収はどなたかが手伝ってくれていて,非常にスムーズに進んでいました.
昨年は講演とパネルディスカッションの2本立てでしたが,今年は真ん中にシンポジウム1本で,時間もたっぷりとられており,シンプルかつ中身の濃いものとなっていました.
来年はどうなるかな?
「トークバトル 水井教育長vs課長連合」を提案してみましたが,荒っぽ過ぎるアイデアはたぶん採用されないでしょう.
展示も大勢の市民が観に来てくれて良かったです.
児童詩の冊子を手にとって,じっくり読まれている方もいたりして,うれしい限りでした.
いろいろ展示はありましたが,子どもたちからの文章は児童詩・JC・青少年育成市民会議の3つくらいしかなかったです.
個人的にはもっとあって欲しかったですが,他の人は興味ないかな.
工作も面白いけれど,TVで映したり,記録紙に残したりするにはちょっとまずい作品も...
著作権をはじめとする知的所有権絡みのものは,まだまだ不備があるというか,子どもの存在を無視した法律になっていると感じます.
子どもにはまず心おきなく模倣できる環境が必要で,それを過ちとして扱うことは酷なんじゃないかな.
中学生はともかく,せめて小学生以下の子ども達にはその規制から外れるような緩和策があっても良いと思う.
著作の1次利用が子ども自身で,2次利用がイベントで,3次利用が報道メディアというのは今回のフォーラムでも簡単に想定できるケース.
アウトプットの制限を何とかしないと才能が伸びる前に,やんわりと注意されて気が萎えるんじゃないかな.
明文化されたアカデミックユースの著作物使用の緩和があればいいのにな.
過去の著作物をCreative Commonsには持っていけなさそうだし,今から創作物をCCに適用させようと言っても,団体になると全く理解されないし,そもそも知られていないのが実に痛い.
CCに関しては,無関心の壁,知らないこと故の無条件反発,これまでの近しいAuthorityへの盲従などなど,結局は既存の人脈伝いのプチ権力者にならないと不安なだけじゃないかと呆れてしまう結果に流れてしまうことが実に多い.
また,理解している者の中でも腹のある奴はCC的な風を吹かせながら,権利の囲い込みを目的にする輩も少なくなく,私なんかは鬱陶しいだけで済むのだが,一般の人には結構なコストを強いられる人もいたりしてかわいそう.
慈善と偽善の狭間というのは,常に意識を高くしてことに臨むようにしているが,悪人の悪事の方が善人のキメ殺しよりもかわいいという状況をたまに目にすると,実に心が痛む.
思うに良いことをしているかどうかは他人が決めることにして,プロジェクトには従事者がモチベーションを高められる目的がなければいけないと考える.
そして日本人が見つけるのが苦手な多義性の中で,各々が明文化されない慈善の誇りを心に持てば良いのでは.
そういう意味では私にとってNPOは受け入れ難い概念だし,もし鈴鹿市が組織変更をするのであればNPO法人ではなく,絶対に株式会社にして欲しい.
教育行政に予算を回さないのは実に愚かしいトレンドで,教育者たちのモチベーションを放置し,谷底にドブ川が流れる崖にろくな足場も与えずに行軍を強いている運営トップは愚かしさを通り越して災いだと思う.
この時代,お金は信頼度こそ高いものの,価値流動性においては最善のツールですらないのに,お金を最高のものとしてそこから先のポータビリティに手を出せないようにしているのは,組織としては破滅的というべきか,破滅志向というべきか.
教育現場のエネルギーは素晴らしいものがあり,その価値を正当に評価しないでLabor Forceだけを当てにしている現状は無駄だらけ.
レーニンや毛沢東の模倣はこの時代にはそぐわないのにね.
教育フォーラムという機会を与えられて未来を真剣に見つめてみると,知的所有権から組織体制までいろいろな課題が浮き彫りになってくるけど,ノスタルジックな拝金主義が深く根を伸ばしていることにいやらしさを感じます.
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