今日は朝から緊急事態で,夜まで気が気でなかった.
問題の原因は推測した通りだった.
しかし,私にとって都合がよく,しかも可能性の高い希望的観測だったので,予測でしかない状況でもしこれがひっくり返ったら,客観的に判断した場合,私自身の人間性まで疑われてもしょうがない事象だった.
原因がはっきりするまでは緊張が途切れることはなかった.
私はどちらかといえば,自信家と見られる節がある.
私の自信でもってお客様を安心させるのが私の仕事のスタイルでもあるが,安心を与えない自信というのは心の暴力に過ぎない.
システム的にはタッチーでなくても,人としてそのことに携わることは実にタッチーなのである.
時にそのことをわかっていない大馬鹿者が,システムやネットワークを押さえているところにいる.
ネットワークは権力の集中するところで,その誘惑に克てない人間が多いのは仕方がないことなのだろうか.
学生時代からずっと言っていることだが,社会がこの渦から逃れることができるのはまだまだまだまだまだまだ先のようだ.
さて,問題の原因ははっきりした.
でもここからが大切なところだ.
問題の原因だけを主張することは,システムにも大馬鹿者にもできることだ.
だが,私のお客さんはシステムが作ったものの上に,実に人情味あふれる行いを付け足そうとしている.
私はそれがいいと思う.
システムは人間が利用するためのもので,システムに振り回されるために人間がいるのではない.
社会の形は人間が創るもので,情報システムなどの科学技術はその内側から支えるものだ.
私のお客さんにとってはその判断は当たり前のものかもしれないが,私は私の仕事がそこで役に立っていることがうれしいし,お客さんを誇りに思う.
誘惑にいかに克つか.
私が観てきた中で重要なのは良心ではないかと思う.
「克己心」という言葉があるが,その中には良心が占めるところが大きいのではないか.
逆にいえば,良心なき「克己心」など存在する価値もない.
良心もないのに,「克己心」を語る資格もない.
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