子供達の寝かしつけが終わったら夫婦で読書の時間...のはずが,ひとりで読んでる気がする今日この頃.
皆さんはしっかり読書してますでしょうか?
私は現在,この本を読んでいます.
発行が2010年で「ゆとり教育」への厳しい批判が結構出てきてますが,私はなんだか引っかかりますね.
今の私は研究の世界から離れ気味ではありますが,その一方で教育や学務の分野では学生や児童とずっと関わっています.
教育はともかく,学務になぜ関われるんだという話はここでは伏せておきますが...
さて,ゆとり教育を受けた学生が大学に入学し2年が経過した時,その追跡調査を先生方と考察する機会がありました.
結論からすると,学力のバランスは他の世代と同じでしたが,その形がそのまま低めに推移していました.
これは与えられた環境によるものだと漠然とは皆がわかりましたが,そのことイコール意欲がないとはその場では結論付けられませんでした.
しかし,その後,教育の現場でたまに出現する無自覚な秀才を教え子に迎え,その答えに迫ったように感じました.
ゆとり教育の運用の誤りによって中等教育までずっと彼らに周囲が見えない不安を与えてきた ――― それが私がたどり着いた答えです.
高等教育は比較的自由な世界なのですが,ゆとり教育世代の学生には楽しむべきところに焦りが見えることが多くありました.
問題に対峙して解いていく過程を楽しむよりも,性急に答えを導こうとする傾向に驚きました.
極端なことを言えば,問題と解答がセットになっていないと落ち着かない傾向にありました.
わかりやすい指標に飢える感じ...それが彼らを猛烈な資格取得に走らせているのかなと.
絶対評価がなくなったことで,相対評価が一般的には批判されていますが,私はそれは正しくないと思います.
学習者にとって重要なモチベーションは相対評価から出てくるものだからです.
私がもったいないと思うのはIT革命が勢いを失うことなく突き進んでいる中で出てきたゆとり教育なのに,絶対評価と相対評価を併存させる教務的なアイデアがなかったことです.
64ビット機も一般的になりつつあったなかで,たかが1学年2の31乗にも満たないのに.
Virtualの概念が1未満ではなく1以上が当たり前になりつつあったのに.
ああ,もったいない.もったいない.もったいない.もったいない.
でも,もったいないと思うのは教務に関わるコンピュータ屋としてです.
大変な社会実験に巻き込まれたゆとり教育世代の人達ですが,それでも悲観することはないと思います.
この手のストレス耐性はなかなか得られるもの個性とスキルに昇華され,そこから解放された時のエネルギーは凄まじいです.
それに加えて,BIG DATA時代が恒久的に続きそうな中,機械学習が一般的になり,AIも成熟してきたこの潮流は,ゆとり教育世代にこそバッチリはまっています.
ゆとり教育世代をなめるのは間違い.
そして,ゆとり教育世代も偏見にとらわれず自信をもってほしい.
教務的な運用のミスからベストじゃないことを批判を,なぜかその世代までも受けているおかしな状況がありましたが,そもそもこれまで教育施策に正解があったかといえたわけではない中で,流れ的にベターな状況を期待できると私は言い切りたい.
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