ひつじ飼いのキノコ岩との日常

家庭の事情から、トルコ国内のすったもんだまでw

シリアで、堪忍袋の緒を切ったのは、何だったのか。

2017年04月16日 01時59分55秒 | 事件・事故・宗教・政治
4月7日付けの
ヒューリエット新聞より。
MURAT YETKIN氏の論評。

「シリアで、堪忍袋の緒を切ったのは、何だったのか。」

アメリカは、本日早朝に、シリアへミサイルを降らせ、誰も想像できなかった暴力行為を、やってのけた。
地中海に展開中の、第六艦隊の、「ROSS」、「PORTER」という名の、2艘のフリゲート艦から発射された(発表によれば)、59発のトマホーク・誘導ミサイルで、シリアのシャイラット空軍基地を破壊した。(ワシントン時間で、4月6日の20時40分に開始された攻撃は、トルコ時間で、4月7日の3時40分、ということになる)

実際、アメリカの外務大臣、レックス・ティラーソンは、数時間前に、シリア政府の、イドリブ攻撃を受けて、何か、報復行動を計画している、と明らかにしてはいたが、誰も、こういう形での報復行動を、考えてはいなかった。
アンカラ(トルコ政府)は、アメリカの攻撃に満足している。シリア政府が「罰せられる事」を望んでいるのだ。ベシャル・アサド政権を、どんな状況にあっても、支援しているテヘラン(イラン政府)は、大狂乱状態だ。

「現在、モスクワが、一番注目を集めている」

ウラジミール・プーチンは、最初に「国際法に、違反している。アメリカとの関係に、ヒビを入れる行為だ」と言いつつ、国連安全保障理事会へ、緊急に会議を開くことを、提案した。が、実際、注目を集めていたのは、プーチンが、何を言うか、ではなくて、何をやるか、という事だった。
つまり、アメリカが我慢の限界に達して、今回の攻撃に踏み切ったのは、プーチンが、べシャル・アサド政権へ、最後の攻撃(化学兵器を使った攻撃)にも関わらず、表明した支持が、大きな理由の一つになっているのだ。

この状態まで、どのように事態は発展してきたのか、そして、堪忍袋の緒が、どうして切れたのか、を理解するために、過去3日間の、成り行きを検証しようと思う。
我慢の限界には、実は4月4日に、国際情報発信機関が入手し始めた、亡くなった子供達の写真の時点で、達していたのだ。

ちょうど、2015年の9月に、その時まで、シリア難民問題に、無関心だった世界が、アイラン坊やの、ボドルムの砂浜に亡骸となって、横たわっていた写真によって、突然、目が覚めたように、イドリブから発信された、子供達の写真も、世界を揺さぶった。

アンカラ(トルコ政府)の入手した情報によれば、早朝6時30分頃に、シリア空軍の、2機の「SU-22」戦闘機が、トルコ国境に近い、イドリブ県のハンシェイフン村に、合計5回、下降して、いくつかの目標を、爆撃した。しばらくすると、「死のニュース」と写真が、出回り始めた。

昨晩までで、殺された人間の数は、ほとんどが子供で、86人にも及んだ。
被害者のうち、3人は、トルコで治療中に、亡くなった。

政府は、一昨日の4月5日に、最初の死亡者が出るとともに、世界保健機構(WHO)、化学兵器禁止協会(OPCW)、世界中の関係機関に、検証結果を待つように、という知らせを送った。
これは、正しい行動だった。なぜなら、これによって、写真や、証人の証言から、予想された化学兵器、毒ガスが使用されたという主張の証拠が、でるのか、でないのか、が、はっきりするからだ。

昨日、4月6日に、保健大臣のレジェップ・アクダーは、解剖結果は、窒息による死亡であること、これは、「サリンガス」の霧状のガスが、死亡に至らしめた事を発表した。

サリン、とは、1938年に、ナチスドイツが製造したガスで、第一級に危険度が高い化学兵器として、1997年に、貯蔵も含めて、全面使用禁止となったが、このガスの名前は、近年、また、シリア内戦で、耳にすることとなった。

2013年8月21日に、ダマスカスのワロシュ・グタ地域で行われた、化学兵器攻撃で、その名が取り沙汰され、この攻撃で、何百人もの犠牲者が出た。(正確な情報がないため、何人の犠牲者が出たのかは、わかっていないが、280人~1730人の間、と言われている。)

しかし保健省が、この発表をするまでの、2日間の間に、いろんな事件が起こって、緊張は高まっていった。
例えば、4月5日に行われた、国連安全保障理事会で、アメリカ代表のニッキー・ハーリーは、殺された子供達の写真を見せながら、ロシアが、アサド政権を支持したために、今回の虐殺が起こったのだ、と、ロシアを非難した。
ロシアは、その時までに、すでに、テロリストに対抗する戦いで、シリア政府の支援を続ける、という声明を出していたのだった。

アメリカ、イギリス、フランスの準備した、シリアを非難する声明は、ロシアの反対により、決議されなかった。ロシアへの非難は、客観性にかけている、という理由だった。

これを受けて、アメリカ大統領のドナルド・トランプは、シリアが、レッドラインを超えただけでなく、すべてのラインを、とっくに超えている、と発言した。
トランプは、明らかに、前大統領・オバマの行動を、参照していたのだ。

オバマは、2012年の8月20日に、声明を発表し、アサド政権が、反対派に対して化学兵器を使用する事について、「レッドライン」と表現し、これを超えるような事があれば、軍事行動に出る、と明言し、トルコは、この発言を喜んで、支持した。
しかし、オバマは、前述した「グタ地区事件」が起きると、国際社会の「例の発言は、どうしたのか」という質問に対し、2013年の9月4日に、レッドラインなどとは言っていない、と、発言を翻し、責任を逃れた。

アメリカが、行動を起すつもりがない事が、はっきりすると、ロシアや中国の、国連安全保障会議での、外交的保護を得たアサド政権は、攻撃を強化していった。
2013年は、ISISが、結成された年でもある。アメリカが、表舞台から手を引くと、イラン革命防衛隊や、レバノンのヒズボラ戦闘員などがシリアへ侵入し、ISISや、エル・ヌスラーのようなテロ組織へ対抗するだけでなく、アサド政権に抵抗する、反政府組織へも対抗するべく、戦争を開始したのである。

この時期、外国人テロリスト戦闘員が、910キロメートルの、(トルコの)シリア国境ラインを超えて、シリアに侵入する事に対して、何も手段を講じない事や、戦闘員への、武器の供給などで、非難を受けていたトルコは、現在では、3百万人を超える、と言われるシリア難民の流入に直面していた。その後は、ISISやPKKのテロ攻撃の標的となった。

アメリカは、2014年9月の、「コバニ事件」の時に、PKKのシリア部門である、PYDと、その戦闘部門であるYPGを使って、シリアに再介入した。その後、2015年9月にロシアが、最終的に、2016年8月にトルコが、続いた。

トランプは、「レッドライン」発言を引用して、オバマが「レッドライン発言」を反故にしたために、その後のすべての事件の原因を作ったのだ、と非難した。
4月6日の朝、安全保障議会は再び、召集された。

実際、モスクワは、4月6日の朝の時点で、イドリブ県で起こった事は、「凶悪な事件」であった、と発言していた。しかし、国連で、またも拒否権を行使し、非難決議は、採択されなかった。

この事態に、反発したのは、エルドアン大統領だけでは、なかった。
例えば、ドイツ首相アンゲラ・メルケルも、国連がシリアへの非難決議さえも採択できないのは、「恥ずべきことである」と、非難した。

国連事務総長のアントニオ・グッテレスは、シリア内戦で影響力を持つ、4つの国に、少なくとも、72時間の休戦協定を結ばせて、市民への人道支援物資が届くようにするべきだ、と呼びかけた。これは、アメリカ、ロシア、イラン、トルコの事だ。

これにより、シリア内戦に、実質的な影響力を持つ4つの国が、国連事務総長によって、暗黙のうちに、了承された形となった。

このお互いの非難合戦と、呼びかけで終わるように見えた、この日の晩から、緊張が高まり始めた。トランプは、代表議会で行った演説で、シリアへの派兵について、まだ決断をくだしてはいないこと、しかし、この可能性を、ペンタゴンと協議している事、そして、国連が決議を採択しなければ、アメリカは独自の判断で、行動に出る可能性があること、を告げた。

これは、かなりの動揺を招いた。これは、アメリカのシリア政策が、根本的に変化したことを示唆するだけでなく、同時に、西側の、残忍な独裁者に対して、ただ世俗的である(イスラム的ではない)という理由だけで、野放しにしておく政策に、終わりを告げるものであった。

この時、これと同じくらいの動揺を招くコメントが、モスクワから出された。大統領のウラジミール・プーチンの報道官の、ディミトリ・ペスコウは、アサド政権に対しての支持が、「どんな状況においても、持続するものではない」と、発言したのだ。
 
数時間の間に、向きを変えた北風が、アサドに向けて、吹き始めた。
しかし、アメリカは、未だに、モスクワから、期待した反応を得られなかった。

「堪忍袋の緒が切れた」

その頃、本当の意味で、全員の堪忍袋の緒を、ぶっちぎるような、出来事が起きた。
今回の事件は、新たに、明らかになった事実、サリンガスの可能性など、とあわせて、シリアの外務大臣、ウェリド・ムアッリムの行った記者会見が、引き金となったのが、見て取れる。

ムアッリムは、シリア軍が、化学兵器を使用しなかったことを、伝えた。実際、2013年の、グタ地区攻撃でも、シリア政府は、同じ事を、言っていたのだが、その後、発表された、国連の報告書では、サリンガスを仕込んだ弾頭を持つ、シリア軍で使用されていた、地対地ミサイルによって、グタ地区への攻撃がなされた、と書かれていた。

しかし、ムアッリムは、「非難するのに最適な言い訳」と言える事を、付け加えた。例の建物は、エル・ヌスラーによって、化学兵器の貯蔵庫として使われていた、と言ったのである。

この発言が、100パーセント正しかったとしても、内部に化学兵器を貯蔵した建物を攻撃すれば、当然の事ながら、爆発によって、流出した化学物質が、老いも若きも、無実の者も、そうでない者も関係なく、その付近にいたすべての人間を、死に至らしめる、もしくは害を及ぼすということは、明白だ。

居住地区で、化学兵器を隠匿していると思われる建物を爆破すれば、周囲の一般市民を死に至らしめるのは、当然の事だ。シリア外務大臣は、無罪を主張するつもりが、逆に罪を告白する事になった。

昨日の晩の時点で、エルドアン大統領は、トランプに、それまでの諸事情について、礼を述べて、「口先だけに終わらなければ」トルコも、協力することを、約束した。
しかし、数時間後、トルコがいまだ、眠り覚めやらぬ間に受け取った知らせは、トルコの予想していた協力体制などとは、似ても似つかないほど、一瞬にして、事件が、とんでもなく大きな規模に発展していたコトを、示していた。

トランプは、誰の協力も必要としないままに、2011年から始まった内戦の中で、一番大きな痛手を、アサドに与えたのである。

「続行するのか?」

専門家たちは、今回の軍事行動が、アメリカがシリアに対して、今後、一連の軍事行動を取リ始める、という「サイン」ではないと、考えている。
もっと、正しく言うならば、続きがあるのか、ないのかは、大部分が、ロシアに、残りの部分は、イランに関係してくる。
問題を更に、複雑にしているのは、モスクワが、アサドから手を引いたとしても、テヘランは、手を引かないだろう、という事だ。
しかしながら、それでも、ロシアの態度は、事態の流れを、変えるだろう。
どちらにしても、アサドも、シリア情勢も、以前に比べて、更に難しい立場に立たされるだろう、という事だ。

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記事の原文を読みたい方は、こちらから。(ただし、トルコ語)
→→→→→→→Suriye’de sabri tasiran ne oldu ?

トルコ国内の、大勢論は
現在、こんな感じですけれども。

一部には、自作自演説も
根強く残ってますね。

どこまで信じられるか、は
別として

アサド大統領は、AFP通信などに
独占取材で、

自分達は、徹底的に無罪である、と
訴えまくってますからね。
→→→→→→→アサド大統領 化学兵器疑惑は100%でっちあげ

これからの調査が
待たれるところか、と思われます。


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コメント (2)
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