ひつじ飼いのキノコ岩との日常

家庭の事情から、トルコ国内のすったもんだまでw

じ~ちゃんの、田舎村滞在記 2

2013年10月23日 08時39分55秒 | トルコ文化
 10月15日は犠牲祭当日である。
日本流に言えば「正月元旦」の雰囲気である。
7時半から特別な祈りがジャーミー(モスク)であるという。
参加者は、その前に、手と顔を洗って清めねばならないから、
7時15分までに村に来るようにということだったので6時45分頃、隣町を発つ。
村に着くと、やはりなんとなく昂揚している雰囲気を感じる。
子供以外の男たちは手と顔を清め犠牲祭の特別な祈りに出かけて行った。
お祈りの後、墓参りをして帰宅すると朝食である。
オダと呼ばれる客室兼応接室に子供以外の男性だけが集まる。


このオダは、1936年に作られたそうで、
太い柱と太い垂木がいかにも重厚で歴史を感じさせる。
20人はゆうに入れるだろう。
絨毯が敷かれ手製のクッションが敷き詰められている。
真ん中には石炭ストーブである。
奥の左隅に最年長者が座り、後は、奥から年長者が座って行く。
食事の前の祈りがあり、年長者が手をつけると全員が食事を始める。
 
 食事が終わると、年長者から順に挨拶を受ける。
挨拶の言葉は「イイ バイラムラル」(「良いお正月を」というニュアンスだろうか)である。
全員立って迎える中、子供たちが入って来る。大学生以下が子供である。
年長者の右手をとり、手の甲にキスをして、それを自分の額に当てるのが礼儀である。
年長者は挨拶を受けると挨拶の言葉をかけながら「お年玉」を手渡す。
金額は、予め年齢別に決めてある。
普通は年長者が決めるが、今回の場合は、私が初めてであり客でもあるから、
全ての年長者の役目は、ひつじ家の長男が果たされた。
ちなみに、今年の金額は、大学生100リラ(1リラは約50円)、
高校生70リラ、それ以下は50リラであった。
お年玉を受け取ると子供たちは出て行き、
後は、近隣の人や血縁者が年始の挨拶に来るのを待つ。
挨拶に来た人はコロンヤで手を清め、お菓子を貰って帰っていく。
しばらく世間話をしていく年長者もいる。オダに残って挨拶を受けるのは、
形だけの私と長男、次男であり、客によっては三男、四男も入って来る。


1~2時間経過した頃、犠牲祭に捧げられる牛が到着する。
牛は必ず雄でなければならないそうである。
牛が到着する頃になると男たちのテンションがあがる。
やはり祖先の狩猟民族の血が騒ぐのだろうか。
家の前の庭に集まって待っている。
準備は、血を流し込む為の穴を掘っておくことだけである。


やがて牛が到着する。
黒毛の立派な雄牛である。
暴れないように顔に白い布が巻いてある。
トラックで来た人たちは3人だったろうか。
運転手と牛の首を切る人、その助手(息子?)。
ひつじ家の男たちは7人、それに近所のお手伝いが2~3名だったろう。
およそ30分ばかり、トラックの側に立ったままで
子ひつじ1号の運んできたチャイを飲みながらバイラムの挨拶を交わし、
また世間話をしている。
子ひつじ1号が牛にコロンヤを降りかけていたがこれは彼のふざけだろう。


 一息入れてから、トラックで来た人が、
荷台の牛の4本の脚に緩くロープを巻く。
これは万一の際、牛が走るのを防ぐ為だろう。
それから牛をトラックから降ろす。
降ろして先ほどのロープを絞るように引くと
4本の脚が腹の前の一箇所に集まり牛は横倒しとなる。
男たちが押さえている間に、犠牲のための祈りが捧げられる。
血を入れる穴のところに牛の首を置きトラックで来た人(プロなのだろう)が頚動脈を肉切り包丁で切り裂く。

あっという間である。
周囲には子供も婦人たちもいるが声もたてない。
牛も暴れることも無く鳴き声も出さない。
僅かに呼吸が荒くなっただけである。
血は音をたてて穴に流れ込む。
ほんの数分で牛は完全に動きを止めた。
将に粛々と行事が行われたという印象であった。
最初に頭が切り離された。
それは、見物に来ていた近所の二人の子にプレゼントされた。
彼らはそれを貰うために来ていたのだと言う。
昨日見たような季節労働者の一部が空き家となっている家を借りて住んでおり、
彼らはその子供たちなのだそうだ。
角を片方づつ持って彼らは嬉しそうに帰っていった。
牛の頭は食べるところが沢山あるのだと言う。
そう言えば、「頬肉のステーキなんてあったかなぁ」と思ったりした。


完全に血抜きが終わると解体作業が始まる。
しかし、私には、それを見届ける勇気はなかった。
解体作業は延々夕刻まで続くということであったが、
今年の牛は若干小型だったとかで案外早く13時頃には終わったとか。
およそ3時間くらいであったろう。
 切り分けた肉は、犠牲祭に捧げられない家庭に配布されると聞いて、
どのような仕組みなのか尋ねたら、
予め、「(牛または羊が買えないから)捧げられない」と申告しておくのだと言う。
それは人の口から口に伝わって行き、村人には、
どの家にプレゼントすべきかが分かるというわけである。
それに従い自分の近所や親戚筋の該当する家庭に配られることになる。
だから、多く受け取る家もあり少ない家もあるが、
それも「アラーの恵み」だから仕方ないと言う。
牛1頭で7人分の罪が赦されるとされる。

 私は、解体作業を見ることが出来なくてオダの前で日向ぼっこをしながら
このメモを取っていたのだが、
突然、今切ったばかりの肉を焼いて持参して下さったのには驚いた。
でも自然と口に出来た。
しかし、「トルコの牛肉は硬い」というのが70日を過ごしてきた私の印象である。
解体が進むと年長者から休憩を取ったり新たな来客の応対に当たったりする。

 ここまで、女性陣の活躍を書かなかったが、
女性陣の活躍は解体が進むと始まる。
大きな肉の塊が内に運びこまれるとそれを細かく切り分けるのが女性陣の仕事である。
これは夕方まで続く大作業である。

 オダに独り座っていると限りなく静寂である。
丘の上で360度の景観を眺めながら立っている時と同じである。
自然に心も静まる。なんという豊かさ。
「田舎の生活」こそ人間の生活の原点と言えるのだろうと思う。
自給自足が基本であり、自然にお互い同士の助け合いがあって成り立っている生活である。
犬も牛もガチョウもアヒルも当たり前のように道を歩いている。人間を恐れない。
時々通る車も動物たちを優先させている。
お互いを知り合っている人々は、愛を体全体で表して挨拶し合っている。
水汲み場には絶え間なく水が流れていて夕方放牧から帰ってきた牛が水飲みに立ち寄り、
アヒルやガチョウが水浴びにやって来る。人々も様々なものを洗っている。
鶏の親子が歩いている。水場が空いていても「共同の水場だから」と長いホースを使って家から水を引き車を洗う。
 
 遠い昔、私が子供だった頃、両親が行っていた「思いやり」が自然に生きている生活がある。
年長者をたて世話は若い人がする。
昔働いた人がいて今があり、今働いている人がいて明日があることを自然に学ばせるシステムと言えようか。
 
 16日は昼ごろ隣町を出て田舎村に立ち寄り、
1時間ほど休んで別れの挨拶をしてからネブシェヒールに戻った。
3泊4日だったが、ゆっくりとした時の流れを満喫する日々であった。
こういう経験は再び出来ないだろう。


  2013年10月21日 ネブシェヒールの娘宅にて。



以上、日本のふつ~のじ~ちゃんが見た
クルバンバイラムでした♪




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じ~ちゃんの、田舎村滞在記 1

2013年10月20日 10時20分13秒 | トルコ文化
 13日(日)午後、ひつじさん家の3男、義兄3号さん一家と田舎村に向かった。娘と孫二人の4人である。犠牲祭前で道路混雑が心配されたが、ネブシェヒール市から田舎村まで約150km、いつもの通りガラガラであった。流石にアンカラとカイセリを結ぶ国道では若干走っていたが、それでも4台が信号待ちしている程度であった。快晴、晩秋を思わせる気温と絶好のドライブ日和。平均時速90km~100kmで走っていると「爽快」という言葉以外浮かんで来ない。


(田舎村に繋がる道路。将に一望千里である。この写真は、16日12時頃撮ったものであるが、かくのごとくすれ違う車も稀である)

 途中休憩があったが2時間ほどで田舎村に到着した。7年前この村に10日間ほど滞在したが、その時より村が明るく感じられた。しかし、みなさんに尋ねても「何も変わってないよ」との返事。廃屋が取り払われスッキリしたのか、家の壁がきれいに塗り替えられたのか原因は分からないが私にはやはり明るく見えた。 当日は、小麦畑で、長兄たちが農作業をなさっているというので見物に行った。8haの畑は流石に広い。


(緑の畑は甜菜大根であり茶色の部分が小麦畑である)

夜は、この村から約30km離れた隣町の次兄さんのお宅で泊めていただいた。13日~15日までの3泊お世話になった。前回は、田舎村のオダ(客室兼応接室)で泊まったが、今回は泊まる人が多かったことと私の年齢に配慮して下さったものである。隣町までは、車で約20分。人口約2万人の町である。
 翌14日は昼過ぎに田舎村に行く。義兄3号さんが「ダムを見に行こう」と誘って下さり、お隣のおじさんと3人で出かけた。途中、甜菜の収穫の為か季節労働者のテントが幾張りかあった。初めて羊の放牧も見た。義兄3号さんの話では、ひつじさん家でも昔は100頭ほどの羊がおり、その「羊たちを連れて先ほどの写真の畑辺りまで行ってたよ」とのことであった。ほんの30年程前のことだ。そういえば、田舎村も15年ほど前までは人口7000人の村であったが、現在は700人の超過疎の村になっているとか。打ち捨てられて日干し煉瓦の壁が崩れてしまった廃屋が目立つ。この辺の家屋は、粘土質の土に小麦の藁を細かく刻んで、水でよく練って型に入れ日光で乾燥させた煉瓦(日干し煉瓦)を積み上げ壁を作り、その上に垂木を渡し、更に板を載せて、その上に先程の練った土を分厚く塗って乾燥させたものである。これは、ヒッタイト時代からの建築方法だそうだが、雨の少ないこの地方ならではである。


(夜の隣町、中心街。「犠牲祭」の為か人通りも少ない。)

だから、人が住まなくなって手入れが行き届かないと直ぐに屋根がやられ、そこから入る水によって壁がやられて崩落するわけである。勿論、最近建てられる家はコンクリートブロックを使用していると思うが。そういえば日本の家の土壁も泥に藁の刻んだものを混ぜて練り、竹を編んで作った土台に塗りつけて作っていたことを思い出す。
 ダムは、乾季が終わったばかりとあって渇水状態であった。帰宅後、後ろにある丘に登る。前回来た時もそうであったが、この丘に上がると360度遮るもののない風景に感嘆する。360度遮るものがない風景は、日本では経験できない。吹く風を頬に感じるだけで音もない。静寂の底に沈んでいるようである。茫々たる広がりの中に呑み込まれそうな村がある。ミナレットを持つ一回り大きいジャーミイを囲むように家々が寄り添っている。ここに立って見回していると飽きることがない。しかし、乾季が終わりに近づくと昼と夜の温度差が10度以上あるのが普通であり、日暮れになると温度は急激に下がる。昼の温かさを体が忘れないうちに外気温が下がってしまう感じで体がついていけない。おかげで日本でも滅多にひかない風邪をひいてしまい、9月26日頃から10月5日頃までの10日間ほどを浪費してしまった。




喉と鼻の奥が痛く夜になると寒気がして体がだるいという症状で、ついに10月初め医者にかかった。抗生物質と喉の炎症を抑える薬、熱さましを処方して貰い、更に原因が「寒さ」だと気付き厚着をし始めてからは症状は改善した。10月10日前後には平常に戻り、犠牲祭への参加も無事果たせたしだいである。そういうわけで、早々に丘からも帰った。犠牲祭の行事は早朝から始まるということで14日は夕食後直ぐに隣町に帰った。




続く♪



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夜中の電話。

2013年10月20日 00時51分16秒 | ひつじさんの事
夜中の11時に
携帯が鳴った。

着信は
ひつじと~ちゃん。

 
「夜中の2時くらいに着くから。
携帯、枕元に置いといて」

へい、と言いつつ
電話を切る。

短いやりとりw
お互い、気をつかってるなあ~
ってのが

びりびり
伝わってくる。

実は。

こないだ、
ひつじと~ちゃんが

カッパ地方を
ツアーで通過していった時に

ちょっとした
小競り合いをやったのだ。

や。
ひつじ飼いは
小競り合いのつもり、だった。

けど。
ひつじと~ちゃんには

小競り合いでは
なかったようでw

その日を境に
パタリ、と口をきかなくなった。

眉間に精一杯
シワを寄せて

用事がある時でも
さも、面倒くさそうに

なるべく
少数語彙で済ますべく。

ぶつ…ぶつぶつ…
と話す。

いつもの事、ながら。
実は、ひつじ飼い。

何で気を悪くしたのか
さっぱり
見当がつかなかった。

奴に言わせると
「細かい気が利かない」
らしいが。

わからないんだもん。
仕方ないやんけ。

「何、怒ってんの?」
と聞くと

そんな事も、わかんないのか
と、言わんばかりに

余計にブリブリ
するので。

触らぬ神になんとか、
ってなもんで

知らんフリを
決め込んでた。

そしたら。

3日後。
カシュ滞在中。

夜中の2時に
電話がかかってきた。

「俺らよ~」

…????
こりゃあ、かなり
酔っ払ってるとみたw

プロ意識の強い
コヤツが

ツアーの最中に
こんなにべろんべろんになってるのは
初めてだ。

「あんた、何で酔っ払ってるの?
何か、ツアーで問題でもあったの?」

「う~ん?ツアーでは、問題
ないんらけどさ~。
家の方は、問題だらけれね~。」

おっと、どっこい。
そうきたか。 

何でも。
じ~ちゃん、即ち

彼の舅の前で
一発、口論になった事が

ひどく彼の
プライドに傷をつけたらしいのだ。

男とは
何と、面倒くさい生き物ぞや。

ようやっと。
何で、ぷりぷりしてたのかが
判明したが…。

だったら
黙ってぷりぷりしてないで

はっきり言って
すっきり終わらせればいいのに。

それをいつまでも
ぐずぐずと怒ってるなんて

ますます
理解不可能だ。

これがいわゆる
「男のメンツ」ってやつなのか。

まあ。
しかし。

ツアーをぶんなげて
こんな状態になってるとこを見ると

彼なりに
本気で、

ダメージを受けた
ってのは、わかる。

カシュには
仲の良い友達がいるから

その彼と
飲んでるうちに

段々と
愚痴になっちゃったのかな。←友達、良い迷惑って噂もw

とにかく。
その場は

プライドを傷つけて
悪かった、とか

ごめん、とか
機嫌を直させるべく

取り繕ったケドw
果たして。

どんな顔して
帰ってくるやら。

ホント。
こういう時って

独身時代は
ラクだったよな~ってww

気に入らなきゃ
ケンカして、
別れちゃえばいいんだもんね。

むかついても
ケンカしても

くっついてなきゃ
いけない

また、
仲直りして

同じ道を
歩いていかなきゃいけない

この、
もどかしさ。

ひつじ飼い。
死ぬまで

結婚、って奴には
馴染めそうにありやせんw

ふう。





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アバノスにMCDONALDSオープン!

2013年10月19日 07時49分39秒 | カッパドキア地方


なんと!!
アバノスに

マックが
オープンしたんでござんす!


しかも
ミニオンと一緒にwww

これは、もう。
うちの息子さん

行くしかない!
ってんで
大騒ぎww

早速、
ハッピーミールを
お買い上げに

車を
走らせましたぜww

マックは
クズルウルマック川沿いの

多分
もと、レストランか何かの
あった場所

MADOなんかがある岸の
向かい側

店内
混み混みだったけどw

しかも
オープンしたばっかで

店員
要領も悪かったけど(笑)

子ひつじ2号と
わしと

じーちゃんと
子ひつじ1号のおみやげで

ハッピーセット
4個も買わされちゃった(爆)


とりあえず
こんなんゲットしてきましたww

全部で10個も
あるんだって~!!!

あと6個も
ゲットせんといかんのかww

まw
アバノスにできなかったら

カイセリまで
行かされるところだったので

助かったと言えば
助かった????


(AVANOS GAZETESIより抜粋)

しかし。
マックもカッパ地方にできると

なかなか
風情があるでしょ~(笑)


これ。
帰りに川岸で拾った実。

何の実なんだろ???
初めて見たw

ミニオンとポーズをとって♪と
お願いしたのにw

ヘソまがりの彼は
下向いちまった…







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たっだいま♪

2013年10月17日 16時15分21秒 | トルコ文化
犠牲祭から
ただいま、カムバ~~~ック!!!

っちゅ~て、
実は、ウソww

昨日の夜
田舎から、

無事
帰還しやして。

夜通し
冷蔵庫に入れる肉を
切りさばき

最後に、本日の
午前中

ひき肉にする肉を
肉屋に持って行って
挽いてもらって

それも
冷蔵庫に収めて

やっと、
肉屋のミッション

コンプリーティッドで
ござんしたw

ふう~。
当家の割り当て肉
約20キロ。

さすがに
右腕、筋肉痛になりやしたw

それでも
今年は

例年よりも
牛が小さくて

お肉は
少ない方だったのだw


今回の主役。
お尻向けで失礼w

暴れないように
目隠しをしてござんす。


縛られて
〆られる寸前。


わしの取り分は
あるかな~…と

遠めに
取り巻いてる、猫さん。


今回のカメラマンは
じ~ちゃん。

主役の牛より
他のものばっか
撮影しとりやすw

アヒルを
いたく気に入ったようで。

撮った写真の半分は
アヒルとひつじw

まあ。
我が村には

他に何も
いないんだけどさw


狩猟民族の血をひく
子ひつじ1号は

アヒルを見ると
捕まえたくなるようで


アヒルを一羽
捕まえやしたが


実は、彼は
後に、こんな姿に…。

犠牲祭前日の
夜ご飯でござんすw


大人が牛と
戦って?いる間にも

子供達は
お庭で、お遊びw

天気にもめぐまれ
よいバイラムでございました

これから
バイラムは、どんどん

夏に近づいて
いくわけで。

というのも。
太陰暦をモトにした

イスラム暦で
日にちを数えるので。

毎年10日くらいずつ
前倒しになっていくわけよ。

真夏になると
牛さばくの、

大変だろうなあ~…。
などと

ふと
考えたりして。


犠牲をまぬがれた
おっかあ羊と子供達。


じ~ちゃん。
最初に恐れてたほど

犠牲祭
怖くなかったようですw

隣のおじさんと
ダム行って

記念撮影
してるくらいだもんなw


家に帰ってくる直前まで
おじさんの手伝いを
させられてた子ひつじ1号。

こちら。
泥をこねて

屋根の修理を
しとります。


村の夕焼け。
どちらさんも
お疲れさんどしたw






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