心の花束

つれづれなるままに心の中に花束を持ちたい

癒しの海

2009-04-21 | 日記
なんじゃもんじゃ


毎年の行事の一つのようにこの時期になると「なんじゃもんじゃ」が気になり、
足が自然と芦屋の岡湊神社へと向かう。

境内はいつも綺麗に掃き清められ神社の風格を保っている。
クリスチャンの私は、人が造ったものに心を奪われたりしないが、
これらを祀り管理している人たちに対しては敬意を払っている。
宗教は自由な国だし、特に日本人は様々な神さまを祀っている。
それは、日本人特有の物に対する感謝の表れだろう。
見えないものに対する畏怖かも知れない。


グループホームで働く友人が、入所の方に気遣われ急遽仕事が休みになったと言う。
早出・遅出・夜勤・常勤と繰り返している友人にとって体の調子が可笑しくなるのも仕方ない事かもしれない。
仕事の量も半端じゃないようだ。
そんな友人が入所の人に気遣われるほど疲れきっていたのかとひどく落ち込んでいた。

家で休んでいても気持ちがおさまらないし、
寝ていると同居の母親に心配をかけるからというので、芦屋の海を見にいくことにした。


少し前までは大勢の人で賑あったであろう城山に登ると、満開を迎えた八重桜が嬉しげに受け入れてくれた。
こんなに綺麗に咲いても誰も見向いてくれないよ言っているみたい。
桜の下で海を眺めながら、「私たちの世代って仕事には手が抜けないよね」って友人がポツリと言った。
何事にも一生懸命だし、時間外労働でも要求出来ない・・・。

でも、自分自身に対しては「後悔しない」生きた証しとして納得している。
私の周りにいる友人たちはみんなそんな生き方をしている。
心が沈んだ時、悩める時芦屋の海は何時も元気をもたらしてくれる。

大海原を眺めていると気持ちが落ち着くから不思議だ。
気の利いた慰めの言葉など持ち合わせない私にとって、友人を癒してくれる
芦屋の海は最高の場所だ。
コメント (2)
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