老婆の私
昔は「修身」の時間があって
たぶんそれで習ったのだと思うのですが
稲むらの火、というのを忘れることができません。
村の長(おさ)が巨大津波のやってくるのを知り
収穫して干してあった自分の稲むらに火をつけ
村人たちを高台に集めて救ったという実話です。
日教組は「道徳」の時間の復活を拒否し続けましたが
それは戦時中の「帝国主義」に子供達を染め上げる
からだと思うからなのでしょう。
そうするほど日本の為政者はおばかでしょうか。
日本人の多くが八田與一のことを知らない
ーー台湾の米・農業を今日あらしめた人ーー
トルコ汽船の遭難者を助けた串本村のことも知らないし
ポーランドの子供達を助けたことも知らない
わずかに知っているのはユダヤ人を助けた
あの杉浦千畝くらい。
他にもユダヤ人を救ったのは近衛秀麿などがいるのに。
「道徳」時間にこのようなかつての日本人の行為を
子供達に語り伝えていかなければ
日本の子供達は「本当のモラル」に触れずに
終わってしまうのではないでしようか。
老婆の私
「稲むらの火」をなぜ忘れられないのでしょうか
ただたんに記憶しているだけ
ではなく
きっと子供心にこの「公」に殉じた行いに
打たれたせいではないでしょうか。
たんなる「暗記」で覚えるのではなく
事実によって子供達の柔らかな心は育てられたのです。
こういう「道徳の教科書」ならぜひとも作ってくださいと
スマホにだけ明け暮れると
心が育たないであろう日本の子供達のために祈ります。