人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

文学が消えてゆく

2018年01月26日 | 日記

宮本輝「泥の河」はもはやない

あの時代へのオマージュ。

あんなに辛い時代だったのに

文学はそれを詩に昇華させて

私らに哀切の情を掻き立てる

のですね。

今の土佐堀川あたりにはかけらも

その名残などないでしよう。

そしてあればそれこそ自治体として「排除」したい

そのものですよね。

だからーー

文学は魔法なのですね。

ひとはそんな魔法を求めてせめてもの文学碑を建てたり

ここがそうだったんだねと

井上靖の跡を辿ったり

藤沢周平、海坂藩の地図を作ったりするのですね。

幻を追うのは楽しいしわくわくするけれど

とりわけ大阪が舞台では「文学」は

夢まぼろしと消え果てているのでした。

それにしても

小栗康平のあの映画のなかで

やっぱり強烈に記憶に焼き付いているのは

加賀まりこでした・・・

 

 

 


「気」という言葉

2018年01月25日 | 日記

知り合いに遠方から「気」を送るから

受け取って体調をよくするように

と言われ

本当によくなっている人がいます。

「科学的」に見たらそんなことは

一笑に付すような戯言に思えますが

知人は真面目です。

「気」とはなんでしょう。

日本のある町から新幹線で3時間も離れた

別の町に住む人に「気」を送って

しかも効果があるなんて。

気運、冷気、気性、気持ち・・・

そして「病気」の「気」。

不思議です、「科学以上」の何かが

「気」には潜んでいるのではないでしょうか。

昔の人が「病は気から」として「病気」という

言葉を生み出したのですね。

気持ちの持ちようによって脳をコントロールすれば

脳ははいはいということを聞いて

遠隔の「気」もちゃんと受け取るのではないでしょうか。

そこの科学万能主義のお偉い方よ

一度あなたも無心に「気」の気持ちを聞いてごらんなさいな。


藁の効能

2018年01月24日 | 日記

藁ーーあの稲を刈った後にできる藁のことです。

昔は刈った稲を束ねて干したので

米を取った後に膨大な稲藁ができました

それを編む藁細工もいろいろありました。

今日お伝えしたいのは

藁の保温力です。

すごいのですよ、これが。

昔、雪国では藁を編んでとんがり帽子みたいにして

雪の中を歩いていたようですが

あれはほんとに暖かかったのだと想像します。

藁はいまでは貴重なものになりましたが、

たまに手に入ったのを庭の片隅に置いておくと

そこからはもう春の草花の準備が始まり

土は暖かそうにほかほかしていて

暖まらせて、とナメクジがたくさんーー

藁を編む、という工芸を絶やしてはならない

と思います。

それにしても、いまも大量に出るはずの

藁はどうなっちやったのでしょうか。

 

 

 


文春ってーー

2018年01月23日 | ニュース

また文春が一人の天才を滅しましたね。

それで彼らは売れたり

名が挙がったり

功績に輝くのでしょうが

こうして一人一人を狙い撃ちして

汚職の摘発とか社会正義に貢献すると

それはほんとの「功績」なのでしょう。

けれども

傷つき悩む一人の天才の私事を暴いて

世間に晒すことで

世の共感を得るかというと

今度ばかりは逆でしたね。

世間がそれを許しませんでした。

ペンの力は正義ともなり

殺人ともなるのです。

そして「真実でないこと」まで書き立てたりもします。

あの悩める天才はもしこのことがなければ

ひっそりと介護に疲れた身も心も

いっとき慰められながらまた

介護に戻って生きていかれたことでしょうに。

そして相手の女性も

この天才を慰めることに自分の生きがいを発見し

喜びを味わいつつ

静かに生きていけたことでしょう。

これは「そっと見守ってさしあげる」のが

文春の最高の選択ではなかったでしようか。

こうすることでもしかすると

後々になって

文春が世間から今度のスクープ以上の

賞賛を浴びて

売れ行きもよいという

結果を生んだかもしれないのに

密かに「ペンのモラル」といったことを考えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お任せ

2018年01月22日 | 日記

老婆の私、一人暮らしをしていると

最後をどう迎えるのか

たえず気になります。

心臓の具合が悪いと突然死

でもって死後発見が来週の友人の来る時かな

すると慌てて119か

いや110か・・・

するとパトカーが来て近所の人は

何事かと好奇心満々で

隣の不幸は蜜の味ですから

うれしそうに覗き込みにくるでしょう

そんなの、どうしても避けたいなあ

ではどうするの?

これといって対策はないのです

突然死は突然やってくるので

今から死にますって言えないのが残念。

遠くにいる身内にも電話する間もないし。

あれやこれや悩みぬいた挙句

仕方ないや、もう、なるようになるしかない

自分であれこれ考えてもしかたのないこと

運命のままにお任せしようって

心境に近づいた今日このごろでございます。

とはいえ、だれにお任せすればいいのでしょう。

この時になってやっと

神様、仏様、キリスト、アラーなど

いろいろおすがりして

お任せする偉大な方の存在の意味が

わかったような気がいたしました。

人類は太古の昔から

そういう偉大な方にお任せして生きていこうという

知恵を持った生き物だったのですね。

無神論者なんて肩肘張ってても

どこか弱いのだと思います。

え?

今頃そんなこと気がついたのかって?

はいーーー