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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ムラを用水から見つめる④

2014-07-03 23:54:05 | 農村環境

ムラを用水から見つめる③より

 現在の我が家(妻の実家)の水田はため池頼りの灌漑である。前回も述べたように、ため池からパイプライン化した用水路は、限りなく無駄な水を流さないようにという考えからだ。それだけに、昨年のように水不足になると、けっこう嫌らしい話が聞こえてくる。そんな条件に比較すると、常に用水路に水が流れているような地域は、水が豊富といえる。わたしの実家のある地域はまさにそんな条件を満たしている。用水系統上比較的下流域にあたるのに、水は余りあるほど流れてくる。その水が枯れてしまった姿などあまり記憶にない。用水路に流れる水は、末端の受益を通過すれば、あとは排水路のようなもの。もちろんそれより下流に農地があれば、それらに還元されるわけであるが、たいがいは河川に落として川に戻る。河川下流域に取水口があれば、再び用水路に水は流されるわけであるが、いずれにしても豊富な水量を維持しているような川を水源としている地域は、よほどのことがなければ現代の土地利用状況からみれば、水不足などあまり考えられない。

 以前何度も触れた西天竜幹線水路は、1000ヘクタール近い水田を灌漑しているが、意外にも取水量を水田面積で除した数値は低い。これを単位用水量と言うが、土地条件によってその数値は異なる。河川沿いの砂地で耕土が薄かったりすると浸透量が多く、減水深の値は大きくなる。値が大きいということは用水量を必要とするわけで、赤土地帯に比較すると単位用水量は大きくなる。西天竜の水田地帯は、水田の耕作が始まると、東側の段丘崖の湧水が増加する。ようは浸透量が多いと考えられる。加えて降雨があっても比較的小さな断面の水路でそれを賄うことができる。やはり台地が水を吸い取る傾向がある。ということは単位用水量も大きいと考えられるのだが、意外と取水量は少ないのだ。これは1度許可を得ると、それを増やすことが容易ではないという、水利権の実態を表す。許可権者は昔に比べれば水田が減って、転作も進んでいるのだから「水はいらないのでは」と言うほどに、減ることはあっても増えることはありえないというのが普通の考えなのである。もちろんこうした用水路の権利を取得した時代とは考え方も大きく違っているが、かつては許可権者よりも周囲の耕作者が黙っていなかった。新たに取水しようとしても既に取得している人たちに説明しなければ、簡単に水を取水するなどということはできなかった。そんな西天竜幹線水路の最下流にあたる伊那市小沢において、水路が干上がってすっからかん、などという光景を見た覚えはない。水路は小沢川の段丘を下ると、小沢川に放流されて終わりとなる。夏場の渇水期でも伊那市内を流れる小沢川に、天竜川と同じような色の水が流れている光景は印象に残る。それが西天竜という人工の川が繰り広げる景色なのである。ここに、かたち上使われなかった水が小沢川という川の姿を描くようになったドラマが誕生したのである。

続く


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