平成7年度に入ると、前年と変わって読みやすい記録となる。とはいえ、例えば「〇〇堤の除水溝の工事を県単で行なう」という記録を読んで思うのは、常会内で行われたさまざまな事象に対しての記録があれば、このまま地域の歴史を綴ったものとなるはずなのだが、記録は書き手の考えによるところが強く、実際はこうした記録が残されるのはわずか(書き手によって異なる)であり、残念な印象も残る。同じ記録に続いて「城山公園へ、村の助成でつつじを五百本老人クラブが植樹した」という記録も見える。ことさら飲み会のために何を何本頼んでいくらかかった、という記録は細かいものの、こうした記録がない、あるいは簡単なのは残念なところである。
記録という捉え方で見ると、7月30日の記録に次のようなものが見られる。「河川清掃を行なう。〇〇さんが義理で出労できないと、三千円出不足金をいただいたが、過去にそのような事で出不足金をもらわなかった例があったということで、三千円を返す。(〇〇子さんの姉の四十九日に二人で出席とのこと)」とある。誰の義理であったかと、具体的な記述が見られる。義理に関しては、後の例として具体的な記録が必要であるという記録者の意図が見られる。「つきあい」とは、それほどしがらみの強いものと言えるし、その現実がうかがえる例である。同じような詳細な記録が「秋の道つくり」にも見られる。ご祝儀のため欠席された方について、具体的に記録がされている。とはいえ、冒頭記した通り、この年の記録者は、具体的な記録を随所で行っている。したがってこの年だけの特徴 といえる。
前々から飲み会が多かった傾向はあるが、常会対抗ソフトボール大会に参加するにあたって「慰労会は毎試合後に行なう」と6月27日集金常会の記録にあり、何かあれば「慰労会」という傾向が強くなりつつある傾向をうかがわせる。ちなみにこの年の同大会は2回戦で敗退しており、ここで慰労会は打ち止めとなっている。
11月27日、年の瀬を前にした集金常会において、会計担当より、「約七十五万円の大金になるが、利用見込みのない場合は、集金を休むか少なくするとかしたらどうか」という提案が出されている。結果的には「今後、便所、水道、屋根葺替え等したいから今迄通り貯金をしていこうとの意見でまとまる」、とある。
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