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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

灰坊太郎・前編

2012-07-17 23:34:28 | ひとから学ぶ

 「灰坊太郎」という昔話がある。昔話は全国に同じ名前のものでほぼ同じような内容をもったものが伝えられているケースが多い。もちろん細かい部分は違ったりするのだがそのひとつにこの「灰坊太郎」がある。検索から見つけた「灰坊太郎」をいくつか紹介してみよう。

 まずは岡山県に伝えられている昔話「灰坊太郎」は次のようなものである(『日本昔話集成』角川書店1950-1958は長野県内では県立図書館、及び中野市立図書館、軽井沢町立図書館にのみ蔵書があり、わたしの居住地からでは確認できないため、“すわさき”さんの「円環伝承」のページから引用させていただきます)。


 朝日長者と夕日長者という長者の家があった。朝日長者の奥さんが亡くなり、後妻を迎えたが、その後妻は、継子の男の子をじゃまにするようになった。

 継母は病のふりをして、継子の肝を食べると治ると旦那さまに言った。困り果てて、息子に「母のために死んでくれるか」と言うと、息子は「喜んで死にましょう」と言う。それで可愛がっていた犬を連れて、二人で山に行った。父が刀を振り上げ、息子を殺そうとすると、犬がわんわんと吠えて父に飛びかかって邪魔をした。父が犬に「おまえが身代わりになるというのか」と問うと、犬は静かになって、うなずいたように見えた。父はその犬を殺して、肝をもって帰った。

 継子の男の子はもはや家に帰れなくなり、その夜は木の上で一夜を過ごしたが、夜中にがさがさと熊笹を掻き分けて、何かがやってくる気配がある。それは、死んだ母だと名乗った。

「木の下に、なんでも欲しいものの出てくる扇と、魔法の馬を呼ぶ笛を置いておきます。朝になったら、小鳥が案内をしますから、それについていくのですよ」

 朝になって、男の子が小鳥についていくと、果たして人里に出、大きな屋敷に辿りついた。ここは夕日長者の屋敷で、男の子はそこの風呂焚きになり、灰でいつも汚れて、灰坊と呼ばれた。

 やがて秋祭の日がきて、屋敷のものは下働きに至るまでみんなうきうきと出かけて行ったが、灰坊は行かずに居残った。そしてみなが出かけてしまってから、例の扇をあおいで きれいな着物を出し、笛を吹いて魔法の馬を呼び寄せた。彼が馬に乗って立派な若様の姿で祭に行くと、人々はあれはどこの若様だ、と驚きざわめいた。

 ところが、この日から長者の娘の元気がなくなって、そのうち寝こんでしまった。長者夫婦は占い師を呼んで祈祷させたが、占い師はこう言って帰ってしまった。

「これは私には治せません、恋の病です。その相手はこの屋敷の中にいますから、一人一人娘に会わせて盃を勧めさせ、娘が盃を受けた相手を婿にすることですね」

 そこで、長者夫婦は使用人の男全員を一人一人娘の前に行かせて、盃を勧めさせたが、娘は誰の盃も受けない。最後に灰坊の番になった。

 人々が驚いたことには、現れた灰坊は、いつもの灰にまみれたみすぼらしい姿ではなく、立ち居ふるまいもしっかりした、例の立派な若様だったのだ。彼が盃を差し出すと、娘は頬を染めて受け、また彼に返した。

 こうして、灰坊太郎は晴れて長者の婿になり、幸せに暮らした。


 「灰坊太郎」については日本版「シンデレラ」の一つとして取り上げられることもよくあるようだ。いわゆるシンデレラストーリーとは「名もなかった一般人女性が、短期間で(あるいは長い年月の末)見違えるほどの成長と幸福を手にし、芸能界や社交界、その他の一流の場などにデビューしたり、あるいは資産家と結婚する成功物語をいう」。そもそも童話シンデレラも一般に聞かれるものと古い形態のものではかなり話の内容は異なっている。名称にしても『灰かぶり姫』や『灰かぶり』などとも言われているものもあるが、「灰」に共通性を見出すことができる。これは「いつも灰だらけ」だった娘が美しく着飾り化粧をすることによって見初められるというところに飛躍的な物語が描かれる。灰坊太郎はこれの男性版ということになる。

 中編


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