Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

七つ道具

2016-03-04 23:38:31 | ひとから学ぶ

 前を走っている車は、当然後ろを走っている車からは見られていることになる。携帯電話をしていれば解るし、よそ見をしていても解る。「何を気にしているのだろう」、そう後ろから思うこともある。今朝方通勤途上で前を走っていた車は、車内の両脇ではなく真ん中にハンガーが掛かっている。普通はそんなところにハンガーを掛けられる場所はないはず。まさか車に突っ張り棒を掛けているとも思えないから、そういう道具があるのかもしれない。車内のいわゆる手掛けにハンガーを掛ける人はよく見かける。よく観察すると両脇にもハンガーがぶら下がっているようだ。ようは両サイドだけでは足りないので、真ん中にも掛けられるようにしたようだ。車のナンバーを見ると「長野」。もはや「これは県の職員だな」と思ったら、予想通りそれらしい駐車場へ向かっていった。わたしのようにふだんスーツなど着用しない者には「車にハンガー」など掛けることはまずない。せいぜい遠隔地の冠婚葬祭に出かける時くらい。無縁の道具だ。そこへいくとハンガーを使わなくてはならないほどきちっとした服を着用するのは、こんな田舎では県の職員くらいだ。電車の中でもそうだが、「この人って県職員だよね」と思われる人は、まず「県職員」だ。

 わたしもそこそこの大きなバッグを背負っているが、若いころはほぼ手ぶらだった。弁当を持つのも「厄介だなー」と思ったものだが、それを格納するのにバッグを利用するようになったが、誰しもそうではない。通勤で車を駐車場に置いて、会社へ向かう間に何人かの同じような「歩く人」に出会うが、女性では見かけないが男性の場合あきらかに弁当とわかるものを手にしている光景を見る。そして弁当だけを手にしているわけではなく、バッグも持っている。ようはバッグに入らない弁当を別に手にしているというわけだ。わたしなら毎日手を塞いだ形で会社まで歩くなんていう面倒なことはしたくない。できれば入りそうな弁当に変えたいし、逆に弁当の入るバッグに変えたい。

 以前利用していたバッグは今のバッグよりは小ぶりだった。会社の互助会で貰った、ようはタダの代物だったから仕方なかったが、大量に仕事を持ち帰る時にはとても入りきらないので、紙袋にそれらを入れて前述の男性のようにバッグとは別に紙袋を手に下げた。面倒でも仕方なかった。大きめのバッグに変えてからというもの、手さげ袋を持つことは少なくなった。そしてバッグの中に日常的に備えているものも自ずと増えた。毎日使っているバッグに常備しているものをあらためて確認しみると、折畳み傘(車で通勤しているとあまり使わないが、電車で通勤したり、歩く時間が多いような外出をした際には必需品)、懐中電灯(小型のLEDである。やはり電車通勤には必需品)、ホッチキス・修正テープ・クリップ(事務用品は常備せずに小型の物入れに入れたものを別に持っていて、移動するたびにバッグから出し入れしていて常備品にしているものはこのくらい。ようは小型のバッグに入りきらないので入れている)、簡易バッグ(飯田下伊那では買い物をしてもレジ袋がつかないので必需品、とはいえいまだ使ったことはないが)、爪切り、カード類(ふだんはあまり使わないもの、保険証も)、裁縫セット(小型のもの)、印鑑(認め)、以上である。先日通っている整骨院で健康保険証の提示を求められて、いつも通りバッグの中を探すが、それがない。そういえばと気がついたのは1ヶ月ほど前に人間ドッグに行った際に、必要ないと思いいつもとは違う小さなバッグへ保険証を入れて出かけた。「いつもと違うものを持つ」と、いつも持っている物が行き先不明になる、そんな体験の一事例だ。

 そういえば昨日通勤途中に前を走っていた車は、後部座席の裏のスペースに樹脂製のスコップのような取っ手と、車に積もった雪をかき落とすスクレパーが見えた。今年はほとんど必要なかっただろうが、冬場の通勤では必需品なんだろうが、わたしは例年でも載せていない道具。七つ道具は人それぞれなのだ。前述のバッグとは別に弁当を手持ちする男性。そこそこの大きさのバッグを肩に掛けていたが、果たして何を持ち歩いているのか…。


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