生坂村草尾は犀川左岸にある生坂村ではそこそこ大きな集落である。背後の上段には巨峰栽培を中心とした農園が広がるが、かつては桑園だった。現在は新規就農した人たちによってぶどう経営されている農園が多く、草尾の人たちの農園というわけではない。草尾のほぼ中心にある四ツ辻に道祖神が祀られている。立派な屋根の下に祀られた双体道祖神は、昨日同様に「現代の道祖神」にあたる。こちらは本当の神様として建立されたもので、背後に「平成十五年一月吉日 草尾氏小中」とある。実はこの立派な屋根の下にはほかにも道祖神が祀られている。ひとつは石祠型のもので、中に双体の小さな像が安置されているが、その像容は稚拙なもの。そもそもこの石祠は少しばかり違和感がある。というのも、石祠の前屋根を支えるように立つ石柱は見るからに花崗岩系。いっぽう石祠本体は砂岩系と、その石質が異なる。そして中に納められた双体像はさらに軟質な石のようにうかがえる。すべてが同じ時期に造られて形成された道祖神とはとても思えないのだ。銘文なくその建立年代は定かではない。もう一体はこの二つの道祖神に挟まれて立っている自然石である。平成11年に刊行された『生坂村誌文化財編』にはさすがに平成15年建立の道祖神は記されていないが、この自然石のことも触れられていない。しかしながらこれも道祖神のひとつと考えて良いのだろう。隣に立っている教育委員会の説明板には次のように書かれている。
道祖神は悪鬼の侵入を防ぐ神、道の神、産土の神、縁結びの神、子供の守り神として江戸中期から建てられた。
石祠内に双体道祖神を祀り正月にやすで屋根を葺く。
双体道祖神 平成十四年造立
かつてはやすで屋根を葺いていたことが記されている。新しい道祖神について「平成十四年造立」と書いたのにはどういう意図があったのだろうか。「平成十五年一月吉日」とはあるものの、実際には前年に建てたということなのだろうか。
さて、道祖神のある辻の下の家の屋号を「どうろく神」というらしい。ここにはもうひとつ「村指定文化財 道祖神祭り」という説明板が掲げられている。
道祖神の富くじまき祭りは、明治初年から十月中旬の夜行われ、木の上から札を昔は七回、今は五回まいて当った者には景品を家庭用品や学用品を、昔は衣類などが配られた。最後は突止めの縁起物の熊手だけは昔から続いている。
というもの。ちょっとわかりづらい説明板である。祭りの夜、道祖神のところに櫓を組んで富くじをまくのだという。実行するのは祭り青年と言われる人たち。かつてサンクローはドウロクジンのある辻から前坂を登っていった山の中でやったらしいが、現在は犀川の河原でやっている。
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