「大雨のようですが・・・」と言われたものの、「雨でもやりたい」とはわたしの答えだった。予報でも強い雨が降ると言われていて、それもかなりの量であることは、天気予報だけではなく、通常ニュースでも報道されていた。バケツをひっくり返したような雨ならともかく、そこまでは強くないだろう、とはわたしの印象だったから、加えて午前中はそれほど強くないという予報でもあったので、現場強行を選択したわけである。実際現場で重労働をしたり機械を使うわけではない。現場案内と簡単な調査程度と本日の業務を想定していた。ようは「雨でもできる」というレベルのもの。とはいえ、時間10mm以上の予報が出ている中での現場は記憶にない。ふつうは「雨なら中止」あるいは「延期」である。それでも「今日やりたい」の背景には、別の用事を済ませたいという思いもあった。
さて、実際現場を案内してもらっている間の雨量は、現地のその後の雨量計から察すると、時間10mmを越えている時間帯もあったようだ。しかし、現場で「雨が強くて無理だ」とはとうてい思わなかったし、もっと強い雨でも対応はできた。ようはかなりの雨でも、現場案内程度は十分対応できるという実践である。せっかく雨具を所持しているのに、「雨だから」といって辞めていたら、「使う時がない」となる。常日ごろ「雨だからこそできること」、あるいは「雨だからこそ見なくてはいけない現場」があると考えている。とりわけ「雨だからこそ」という現場は、豪雨の際の出水量を把握するために体現しなくてはならない。日ごろ、わたしが考えている視点だ。「実際はどうなのか」という事実を知ることにより、説明の補足にもなるし、なにより自信をもって説明ができる。したがって「雨が降ったら見に行こう」という現場がいくつかある。とりわけ災害が発生するほど雨が降る際に現場を実際に「見てみる」という機会は、なかなかないもの。繰り返すが、日ごろからそういう意識を持ち合わせていないと、降ったからといって現場に足を運ぶことはできない。現実的には「危険だから」という視線もあるが、わたしたちの仕事は危険だろうが、現場で見てみないと「事実」を話せない。したがって豪雨時に「現場に出る」、はけしてありえないことではなく、あたりまえのこととわたしは考えている。とくに今回のような雨のケースでは・・・。
さて、実際のところ災害が発生するほどの雨だったのか、ということになる。現場にいた時間に体感した雨の強さは、前述したようにそれほど強いものではなかった。しかし、「雨だからこそ」と思い見に行った現場の近くの観測データでは、日雨量レベルではちょうど1/10確率雨量程度だった。時間雨量的には最大でも1/10確率雨量の半分程度だったので、短時間雨量としてはそれほど強くなかったが、とはいえ時間雨量でも災害申請の可能な雨量に達していた。いわゆる豪雨時の排水量の現実を知るには、十二分の雨量であったことは事実だ。こういうときに、「現場に行く」と言わない同僚たちに、少し残念に思うとともに、とりわけ現在そういう物件に携わっていて悩んでいる社員が、「雨だからこそ」と思い事実を「知ろう」とアクションを起こさないことに、自己内省できない寂しさを抱くばかりだ。
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