年末に飯田市街地の美容院で「雑煮」の話になった。丘の上では年取りの汁で雑煮を作るということはないという。そして雑煮のために作った汁の中身は、ごくあっさりしたものだとも。もちろんわが家の雑煮の様子を話したわけだが、わが家では年取りの汁に餅を入れるのが恒例だ。生家でも同様だったので、それが当たり前だと思っていたら、丘の上ではそうではないという。具になるものを自家で作っているわけではないので、どうしても中に入れるものは少なくなるので、わたしから見たらずいぶんあっさりしたものとなる。こうした雑煮について、『長野県史』から様子をうかがおうと思ってもイメージがわかない。なぜならば、「雑煮に何を入れたか」の答えが例えば「昆布を入れた」「大根を入れた」といった具合に具ごと地域が記されていて、何と何と何を入れた、という記述ではないため解りづらいのだ。いっぽう『長野県上伊那誌』を例にとると、近在の雑煮について次のような事例が報告されている。
雑煮は鰤・大根・人参・里芋・豆腐・冬菜・昆布など入れたすまし汁で、兎肉や鶏肉を使う家もある。(中川村四徳)
オコ(雑煮に入れる野菜)は大根・人参・里芋・牛蒡・生臭(魚類)などであった。(宮田村)
具体的に年取りの汁に入れたという記述はみられないが、そもそも民俗学的に言えば、正月は大晦日から始まっているから、大晦日の汁をそのまま利用するのが素直だ。
かつて飯田市誌編纂にかかわってアンケートをとっており、そのデータを紐解くと、「雑煮は「いつ」「何を入れて」(材料)食べましたか」問いかけている。その答えを紐解いてみよう。わたしが行った美容院は橋南にあたる。橋南の答えを見ると「板つき・三つ葉・餅」あるいは「餅・豆腐・ねぎ・ちくわ・鶏肉」とあり、同じ丘の上の橋北では「餅・かまぼこ・鶏肉・ねぎ」とある。いっぽう村部にあたる下久堅知久平では「大根・里芋・昆布・人参・ごぼう・豆腐」、同南原では「人参・ごぼう・大根・里芋・昆布・豆腐・はまぐり」、松尾上溝では「里芋・しいたけ・人参・大豆・ごぼう・豆腐・こんにゃく・鶏肉」、上郷下黒田では「大根・里芋・人参・こんにゃく・昆布」という具合に、明らかに丘の上より村部の方が具の種類が多いことがわかる。また、座光寺北市場では「年取りの夜のコペ汁に焼いた餅を入れた」とあり、鼎下山の答えにも「年取りの煮物の残りもの利用」と見え、同様に上郷上黒田の答えにも「年取りの煮込んだおかずに入れて・大根・人参・ごぼう・里芋・昆布」を入れたという。このように村部では年取りの汁を利用している答えが目立つ。材料の有無がかかわるのは当たり前ではあるが、マチの雑煮はお吸い物レベルのもので、「雑煮」とい漢字とはイメージが似合わないものだったようだ。
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