Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

かつて存在していた「体育の日」

2020-07-24 23:35:08 | つぶやき

 今日は、本来なら東京オリンピックの開催日だった。ということで「スポーツの日」で休日である。しかし、ちまたでは仕事をしている現場をいくつも目の当たりにした。もちろん休工している現場も目にしたが、いつになく休日とはいえ、仕事をしている人たちが多い、という印象を受けた。

 暦どおりだからわたしも休日ではあるが、草刈に向かう途中で見た、世の中の実感である。義弟が「スポーツの日」について、「体育」が軍隊のイメージがあるから「スポーツ」になったと言うから、なるほどとも思ったが、「本当なのか」と思ってウェブ上で見てみると、そういう主旨の噂はなかった。もっと探せばそういうことをいう人もいるのかもしれない。ウィキペディアによれば「「スポーツ」は、「体育」より広い意味を持ち、自発的に楽しむことを含意することが変更の理由とされる」という。すんなり受け入れてしまうが、「体育」が学校教育の場の単語であって、スポーツが一般的ということのようだ。世界的にも共通語というのが説明のひとつにもなる。しかし、そもそも「体育」はその名のとおり、「適切な運動の実践を通して身体の健全な発達を促し、運動能力や健康な生活を営む態度などを養うことを目的とする教育」であって、それは子ども達だけのものでなく、生涯必要とされるものだと思うが、そもそもの「体育の日」が過去の東京オリンピック開催日に合わせて設けられたので、いろいろ言ったところで世間には受け入れられない。とはいえ、長年「体育の日」に慣れてきたから、その変身に少し口出ししたかっただけである。

 何より、わたしはかつの「体育の日」が誕生日だった。毎年わたしの誕生日は休日だったのだが、祝日法の改正で10月第2日曜日に変更されたのは平成12年だった。もう20年にもなる、「体育の日」が毎年移動するようになって。とはいえ、わたしが生まれた時は、「体育の日」ではなかった。もちろん、前回の東京オリンピックより前に生まれた、ということだ。「2度目の東京オリンピック世代」になるはずだったが、おそらく2度目の東京オリンピックは実現できないだろう。さらにこの言葉にしっくりこないのは、1度目の東京オリンピックの記憶など皆無だ。次のメキシコオリンピックでさえ、ほとんど記憶はなく、君原健二さんがマラソンで「銀メダルだった」と祖母から聞かされた記憶くらいだ。さすがにマラソンの人気が高かったということなのだろう、祖母に「マラソンの結果はどうだった」と聞いた際の祖母の返事だけを覚えている。

 さて、オリンピックは延期されたのに、スポーツの日は今年は7月24日。来年はというと、元に戻るという。もちろんオリンピックが1年と1日ずれたことで、実施されれば来年も7月にスポーツの日が設けられるのだろうが、さすがにスポーツのイメージは「秋」なのだろう。夏の最中ではそぐわないというわけだ。ならばオリンピックなどする季節ではないということなのだろうが、叶わない小言である。


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