やっと回ってきた、続「窓ぎわのトットちゃん」を読み終えました。
これを書いた「黒柳徹子さん」は私より5~6歳年上のようです。
読みながら5~6歳も違うと記憶力の差が随分と違うことが分かりました。
年齢ばかりではないと思います、、、
同じようなことがあり、当時はどこでもあったのでしょうね。
運行時間も定かではなかったようだし、荷物は列車の窓から投げ入れていたり、子どもも窓から乗り降りしていましたから。
昭和20年3月10日は東京大空襲。
その後13日深夜から14日未明は大阪空襲です。
当時大阪にいたので14日の朝は大変な騒ぎでした。
住んでいた所からそう遠くではなかったのでは ⁈
見に行った近所の人の話では道路に落ちた焼夷弾の穴が大きいので驚いたとか・・・
そのころ幼稚園に通っていましたが、当然休みました。
そのことがあってから大阪で住み続けるのは危ないとなったのでしょうね。
父親の実家が広島県佐伯郡水内村にあったのでそこに疎開することになり、母親と妹の三人で行きました。
その年の8月6日原爆投下です。
広島市内からは離れていましたが、黒い雨に遭いました。
が、被爆地域指定区域外のため被爆認定はされません・・・
7年くらい前になりますかね、肺がんの疑いがあり、被爆との関係があるかもと思って相談に行ったことがありました。
その時は被爆指定区域外なので被爆者とは認められないとのことでした。
令和4年4月1日から広島の「黒い雨」に遭われた方へ
4月1日から運用開始といことで書類が届いたので昨年提出したところ、認められたので被爆者となりました。
身体障害者ですが、今は独りで暮らしています。
息子とその家族は頻繁に覘いてくれていて頼めば助けてもくれています。
娘も時々は来てくれて話し相手になってくれています。
遠くにいる娘婿と孫と孫娘とはラインでつながっているので寂しくはないです。
今のこの暮らしが最良で、いつまでもつづいてくれたらと願うこのごろです。